蒼い雪


〜written by チカチカ〜

チビちゃん、それじゃまたな。おやすみ」


黒塗りの車のウィンドーがするすると閉まり、車はウインカーを点滅させてマヤの目の前から走り去った。

テールランプの赤い色が、次第に遠ざかっていく。マヤは、視界から消えた車の影をぼんやり眺めていた。

いつまでも見送っていたら、「ッシュン」とくしゃみが出た。

今年は暖冬だと思っていたら、12月に入ってから突然冷え込みだしてきたようだ。

吹きすさぶ北風に肩を丸めていると、アパートの窓を開けて麗が顔を出した。


「マヤ…帰ってきたのかい?早く上がっておいで。そんなとこでぼーっと突っ立ってたら風邪ひいちまうよ。ああ、寒い寒い…」

それだけ言うと、マヤの頭上で窓を勢いよく閉めた。

マヤはアパートに入りながら、もう一度車が消えた視界の先をそっと振り返った。


     




「あんな寒いとこで、何してたんだい」

麗は、ガチャガチャと盛大な音を立てて皿を洗いながら、口をとがらせた。


「速水さんはとっくに帰ったんだろう」

「うん・・・」

「今日はちゃんと聞いたんだろうね」

「あ・・・ううん」

「聞けなかったのかい。いったい何ヶ月たつんだい」

麗のつけつけした物言いを聞きながら、マヤは茶の間のタンスに背をもたれさせて座ると、ぼんやり思い出していた。



そう――あれは、半年前…

麗と晩御飯の片付けをしていたとき、突然真澄が訪ねてきたのだった。


「夜分すまない、速水だが・・・」

ノックの音に扉を開けてみると、ボロアパートにあまりにも不似合いな、端正な姿の人物が立っていた。


「速水さん・・・」

紫織との結婚式を一ヵ月後にひかえ、ちょうどマヤのところにも式の招待状が届いたところだった。


「速水社長、いったいどうしたんですか」

真澄の姿を見つめたまま、身動きできないマヤを、後ろ手でかばうようにしながら、麗が真澄に近づく。


「青木くん、夜分にすまない。彼女を少し連れ出してもいいか。話があるんだが」

真澄の視線が、麗の肩越しにマヤをとらえた。


「いいですけど・・・マヤ、あんたどうする」

「え・・・あの・・・」

「チビちゃん、そこの公園で話そう」

そういうと、くるりと背を向け歩き出した。マヤはあわててサンダルをつっかけると、真澄の後を追った。


梅雨入り前の、少し湿った、ほのかに温かい夜風が吹いている。公園へ入ると、真澄は何も言わずに、しばらく煙草を吸っていた。

公園の園灯に照らされたその横顔は、マヤが今まで見たことがないほど穏やかな表情だった。


「速水さん・・・話ってなんですか」

マヤがおずおずと話しかけた声に、真澄がゆっくりと振り向く。


「チビちゃん」

真澄は、静かな声で言った。


「今日、俺は、紫織さんとの婚約を解消してきた」

「え?」

マヤは驚いて真澄を見る。


「婚約解消って・・・速水さん、結婚式来月じゃないですか?うちにも招待状が届いてましたよ」

「そうだ・・・それを今日とりやめてきたというわけだ」

「・・・わけだって・・・どうして、どうしてですか?」

「理由は・・・」

真澄は、吸いかけの煙草を地面に投げ捨てると、足でふみつぶす。


「今は、言えん」

「じゃ、なぜあたしにそんなことを言いにきたんですか?」

マヤの問いかけに、真澄は口の端に微笑を浮かべて答えた。


「さあ、なぜだろうな。何だか突然きみに言いたくなってな・・・」

マヤが釈然としない気分のまま真澄を見つめると、真澄の澄んだ瞳が、マヤのすぐ目の前にあった。胸の鼓動が急に速まる。


「ところでチビちゃん、来週、オフの日はあるのか」

「・・・ええ、多分あると思いますけど」

「どこか、行きたいところはないか」

「は?」

「連れていってやるぞ。チビちゃんには、やはり遊園地がいいのかな」

マヤのポカンとした顔をおもしろそうに眺めながら、真澄はからかい口調で言う。


「もう、あたし、子供じゃないです!」

「じゃ、遊園地は好きじゃないのか」

「そりゃ好きですけど・・・」

「じゃ、決まりだ。きみの好きなケーキもおごってやるぞ」

真澄は、マヤの頭をポンポンと軽く叩くと、大きな声で笑った。



真澄にのせられ、結局二人で遊園地に行くことになってしまった。

その日マヤは、あきれる真澄を尻目に絶叫マシンを乗りまくり――真澄は自主的に見学者に回っていた――

そのあと、ケーキバイキングで特大ケーキを20個たいらげた。その間中、真澄は身をよじって笑っていた。

(確か昔、同じようなことがあった・・・)

(あれは、速水さんがまだ婚約する前だった――)


二人はまるで、昔のように口げんかをした。真澄がからかい、マヤが怒り、それを見て真澄が笑う。.

(まるで昔に戻ったみたい――)


時間を飛び越えたような感覚が、マヤを包み込んだ。別れる間際に、真澄は言った。

「今日は楽しかったよ。じゃ、またな、チビちゃん」

そう言って、柔らかく微笑むと、片手をかるくあげて車のウインドーを上げた。マヤは、走り去る車の背中を見ながらふと思った。

(速水さんは、なぜ今日、あたしを誘ったのだろう・・・)

   

その後も、たまのオフごとに真澄から誘われる日々が続いた。

映画や舞台を見たり、公園を歩いたり、ウィンドーショッピング、夏には海岸も歩いた――ようするに、普通の恋人たちの普通の

デートコースだった。

普通のデートとは違うところ・・・なぜ真澄が自分を誘うのかがわからない。

真澄は、何も言わない。そしてマヤも、何も聞けない。

たわいもない会話をかわし、けんかし、笑いあい、別れ際に一言――「じゃ、またな、チビちゃん」

いつも、それだけ。


今夜も、やっぱりそうだった。

いつものように、アパートの前まで送ってくれた真澄が、いつものように「じゃ、またな」と言いかけようとしたとき、助手席の

ウィンドー越しにマヤが言葉を投げた。


「速水さん・・・」

「どうした、チビちゃん、忘れ物か」

「いえ・・・あの・・・どうして・・・」

(どうして私を誘うんですか?私のことをどう思っているんですか?――)


零れ落ちそうな言葉が、喉の奥にはりついていた。口を開けたまま、言葉の出てこないマヤを、真澄はしばらくじっと見つめていた。

ほんの一瞬だけ真澄の瞳が揺れたような気がした。しかし、次の瞬間、真澄はやわらかい笑みを浮かべてその言葉を放った。


「じゃ、またな、チビちゃん」

走り出す車が、マヤの眼前の空気を静かに切り裂いていく。次第に遠ざかる車のテールランプ。


「やっぱり、聞けないよ・・・」

マヤは、車の影の消えたあとをみながら、口の中でつぶやいた。

(あたしのことを、どう思っているんですか――)

聞いてしまって、“きみのことなど、何とも思っていない・・・”

そういう返事が返ってきたら――いや、そう言われるのはわかりきっている。

真澄が自分のことなど何とも思っていないのはわかっている。

なぜ紫織と結婚しなかったのかはわからないが、真澄が自分のことなど商品としか思っていないことはわかっている

――誘うのは、ちょっとした彼の気まぐれ。

(だったら、いっそこのままの方がいいの?――)


ただ、彼がふとした拍子に見せる、やわらかな笑顔に胸がざわつくのだ。マヤのすべてを包み込むような、優しい笑い顔に、

マヤの心は波打ち、胸が切り裂かれるように傷む。

(私のこと、何にも思ってないなら、そんな優しい顔で、微笑まないでください――)

(微笑まないでください――・・・)



「・・・マヤ、マヤ、大丈夫かい」

気がつくと、座りこんで抱えた膝の中に顔をうずめていた。麗が心配して声をかける。


「マヤ・・・あんた、速水さんがそれほど好きなんだろう?・・・」

麗が、子供をあやすような口調で言った。


「だったら、ぶつかってみなよ。速水さんが、どうしてあんたを誘うのか、あんたをどう思っているのか、聞いてみなよ。 

勇気をだしてさ。そんな風にめそめそしているのは、大っ嫌いだよ、あたし」


「麗・・・」


麗は、しゃべりながら、次第にぴしゃりとした口調になっていった。

「泣くんじゃないよ。大体この半年、あたしが言ってるにもかかわらず、全然実行しなかった報いだよ。次に会うときは、絶対に聞くんだよ。

それで、いい返事をもらえなけれが、このだらだらした関係をきっぱりやめる。約束しとくれ」


「きっぱり・・・」

「まったく、あの社長も何考えてるんだか・・・今度会ったら問い詰めてやるよ。あんたの心もてあそんで何楽しいんだか・・・」

ぶつぶつと、真澄への不満を口にしている麗を見ながら、マヤは思った。

(麗の言うとおりだ・・・)

(このままじゃ、つらくなるだけ――今度あったら必ず聞いてみる・・・)

(私のこと、どう思っているのか・・・)

マヤはふらりと立ち上がると、部屋の窓を細く開けた。止められた流れの堰が突然切られたように、寒風が窓のすきまから勢いよく

流れ込んでくる。

窓に四角く縁を切り取られた蒼い夜空には、冬のまばゆい星の光がゆっくりと輝いていた。




真澄と会う日が、明日に迫っていた。

夕方、マヤは稽古を終えると、クリスマス一色になっている街を駅に向かって歩き始めた。


(クリスマスか――)

クリスマスの予定は、まったく決まってない。劇団の仲間と簡単なパーティをする予定にはなっているが、真澄からはまったく

なんの誘いもない。

(そうだよね・・・クリスマスは恋人と過ごすものなんだもの・・・)

(速水さんは、私のことなんか何とも思ってないんだもの・・・)

明日、はっきりと真澄の口から聞く言葉を、やっぱり恐れながら、マヤはすでに冬の日が落ちた夕暮れの道を歩いていた。

そのとき、ふいにマヤの目に、ひとつの看板が飛び込んできた。


『占いの館 FUWA☆FUWA』


小さなビルの一角に、かわいらしい色彩の看板が立てかけられている。

いつもはあまり、占いに興味のないマヤだが、心のなかが晴れない状態の今、ふと占ってもらおうという気になった。

ビルの狭い階段を上がると、想像していたおどろおどろしい雰囲気は全くなく、小奇麗なカウンターに明るい笑顔の女性が座っていた。


「いらっしゃいませ、FUWA☆FUWAへようこそ♪」

「あの・・・占ってほしいんですけど」

「はいはい、何占いがいいのかしら」

「え?何種類もあるんですか」

「星占い、タロット、四柱推命、水晶玉、手相、・・・他にもいろいろありますよ」

「そんなに・・・全部する人いるんですか?」

「一度に全部できないなら、通ってもらってもいいのよ。今なら5回通っても4回分の料金でOKの回数券がおトクですよ」

女性が、にっこり微笑んで言った。


「いえ・・・あたし、そんなに来れないと思うし・・・あのおすすめ占いはありますか?」

「そうねえ、水晶玉占いがいいんじゃないかしら。とってもよく当たるって、評判なのよ」

「・・・それでお願いします」

「じゃ、こちらの部屋へどうぞ」

女性に案内されて、『水晶玉占いの部屋』と書かれた小部屋へ入った。


部屋の中は、カーテンがかっていて少し薄暗い。女性は、大きな水晶玉が置かれたテーブルの前に座るように言った。


「何を占ってほしいのかしら」

女性が、やさしい目つきでマヤにたずねた。


「あの、あたし・・・どうしたらいいか・・・わからなくて」

「恋の悩みかしら」

「恋っていうか・・・好きな人がいるんですけど・・・その人の気持ちがわからなくて」

「まず、あなたのお名前とお名前を教えてください」

「えっと・・・あたしは北島マヤっていいます・・・」

「マヤちゃんね、私はふわふわって言います。今から占ってみるから、できるだけいろいろ聞かせてもらえるかしら。

マヤちゃんはいつからその人を好きなの?」

ふわふわと名乗ったその女性はマヤから次々と話を引き出していく。マヤは問われるままに、麗以外の人に初めて自分の気持ちを

打ち明けていた。

真澄をいつのまにか好きになっていたこと、婚約者がいてあきらめようとしたこと、なのに結婚をとりやめたこと、そして彼がなぜ自分を

誘うのかわからないこと・・・


「そうなんだ・・・それでマヤちゃんは迷ってここに来たというわけね」

「ええ、そうなんです・・・。明日、速水さんから聞く言葉がすごく怖いんです・・・どう言われるかわかっているのに・・・怖いんです・・・

普段占いなんか、あんまり興味ないんですけど・・・」

「そうね、じゃ占った結果なんだけど・・・」

ふわふわさんは、手にした水晶玉を見つめながら、マヤに語りかけた。


「うーん、あなたと速水さんって、実のところ相性がすごくいいとは言えないのよ・・・」

「やっぱりそうですか・・・」

マヤが、うなだれる。

「すごく障害が多い恋だと思うわ。相性だけで見ると結構大変な相手よ。」

ふわふわさんが、ふいにいたずらっこのような笑みを見せた。

「それに、この速水さんてひと、相当嫉妬深い性格みたいよ。きっと一度好きになったらとことん気持ちをひきずるタイプね。

こと女性に関しては優柔不断だし、お金持ちのわりには意外なとこでセコイし・・・全員プレゼントのシールなんて、ちまちまと集めてる

タイプよ、きっと!」

「はあ・・・そんな風には見えないんですけど」

いきなり断定的な口調になったふわふわさんを、いぶかしげに見るマヤ。


「あら・・・ごめんなさい・・・ちょっと熱くなっちゃったわ」

ふわふわさんはひとつ咳払いをすると、

「でもね、マヤちゃん。相性だけでは、現実の恋は語れないわ。私の水晶玉は未来のことがわかるのよ。あなたの想いはきっと

叶う時がくるって、水晶玉にはそうでているわよ」

「・・・それはいつですか」

「初雪――この冬最初の雪が降る日・・・」

「この冬最初の雪が降る日?」

マヤは、その言葉を繰り返しながら、ふと思う。ここ数年東京に雪が降ったのはいつのことだろうか・・・


「あら、何だか不満そうね。私の占いは当たるって評判なのよ」

「でも、今年暖冬だって天気予報で言ってましたよ」

「天気予報より、私を信じなさい!」

ふわふわさんは、片目でウィンクしながらマヤに言った。


「マヤちゃん、恋することを恐がらないで。今まで、自分の道を信じて切り開いてきたあなただから・・・どうか、恋におびえて

しまわないで・・・待つだけでなく、どうか自分の気持ちを伝えてみて」

いつのまにか、ふわふわさんの手が、マヤの両手を包み込んでいた。とても温かい手だった。


「私は、いつまでもあなたを、あなたたちを応援しているわ」

「ふわふわさん・・・あなたは一体誰ですか」

マヤの問いかける声に、


「私はマヤちゃんと速水さんのファンよ。いつまでも・・・。がんばってね」

そう言って、とても優しい笑顔でさよならを言ってくれた。ふわふわさんの笑顔にに見送られながら、占いの館をあとにした。


(ふわふわさん・・・とってもいい人だったな・・・それにしても、何だかあたしと速水さんの事をよく知っているような口ぶりだったけど・・・)


――マヤちゃん、恐がらないで・・・――

ふわふわさんの手のひらの温かさが、胸にしみわたっていく。おかげで、いくぶん心が軽くなったようだ。

(でも、雪が降ることなんてめったにないことだしな・・・ふわふわさんたら、あたしの想いが絶対みのらないってことをじつは遠まわしに

言いたかったりして・・・)

そう考えると少し笑えたが、ふわふわさんの思いやりに、少しだけ力が湧いてきた。

(あした、速水さんをとても好きだと、そう言おう・・・――)


すっかりと暮れおちた空の色は、ほんのりと蒼く淡く、マヤの心に染み渡っていた。



 

    


いつにもまして、蒼い夜空だった。


朝から突然冷え込んだ空気は、日が落ちるとともにいよいよその冷たさを増し、昏い冬の夜空を透明な蒼さに染めあげていた。

しんと凍りつきそうな蒼い夜の中を、真澄とふたり、歩いていた。


「チビちゃん、少し歩かないか」

車をとめて別れ際に、真澄がそう言ったとき、マヤは真澄にいうべき言葉を、やっとの思いで舌先に乗せかけたところだった。

昨日あんなに決心したというのに、真澄の顔をみてからもやはり言いあぐね、迷い迷って、今に至ってしまったのだった。

真澄の言葉に、それまではりつめた気持ちが宙ぶらりんになる。


真澄が、マヤの半歩先を歩いている。

アパートまでの道のりは、早足で歩けばすぐについてしまう。ほんの少しだけでも一緒にいたいから、わざとゆっくり足を運ぶ。

真澄は何も言わず、そしてマヤは何も言えずに、ただゆっくりと歩き続ける。


そのとき、北風がふいに刃のような鋭さでふたりに切りかかり、マヤは道の真ん中でたちどまるとかじかんだ手を顔の前であわせて、

白い息をそっと吹きかけた。真澄がそれに気づいて、ゆっくりとマヤのそばに近寄る。

真澄は、一言もいわず、マヤの両手を軽く手に取ると、まるで大事な壊れ物を扱うかのように自分のコートのポケットにそっと入れた。

それぞれの手がコートの両側のポケットに入ったため、マヤの体は、真澄の胸にすっぽりと抱きかかえられてしまう。

真澄の香りに、ふわりと包み込まれる。

ポケットの中の長い指がマヤの手にやわらかく触れる。マヤは突然目の前に現れた真澄の胸の広さに、呼吸がとまりそうになり、

あわてて真澄の顔を見上げる。


「少しは温かくなったか」

真澄が、マヤをみつめ、今まで見た中で一番優しく、やわらかな微笑を微笑を浮かべていた。

(そんな、そんなやさしい瞳で、微笑まないでください――)

(微笑まないで――)

マヤの胸に、突然叫び出したいような感情がこみあげてきた。その思いは、何も言えなかった固い口をこじ開け、目の前のやわらかな

微笑に向かって一気に流れ出していく。


「速水さんの気持ちがわからないです。なぜ、あたしを誘ってくれるんですか。なぜ、あたしにやさしくしてくれるんですか」

マヤの瞳から、透明な涙粒がひとしずく、きらりと光り頬を流れ落ちた。


「好きじゃないなら、あたしにやさしくしないでください。そんなにやさしくあたしを見ないでください!」

そう叫んだあと、真澄の瞳をまっすぐに見据えて、か細いがはっきりとした声でささやくように言った。


「速水さん、あなたが・・・好きです・・・」

マヤの放った透明な言葉の響きが、冷たい冬の澄んだ空気を震わせていく。

マヤの言葉が真澄の微笑を、わずかに歪ませる。真澄の目がかすかに細められる。


「マヤ」

真澄が、マヤを見つめていた。

いつもの、あの穏やかなやわらかい微笑みではなく。心の底まで揺さぶられような切ない表情で。

長い睫の落とした翳が、端正な顔を縁取っている。細い指先が、ふいにマヤの頬にかかる。


「・・・冷たいか」

真澄の低い声がマヤの胸に深く強く響く。真澄の手のひらの冷たさが、当てられた左頬から全身へ広がっていく。


「はい、ちょっと冷たい・・・です・・・あの・・・」

「チビちゃん、好きだ」

真澄の口から、静かに言葉が流れ出した。何気ない口調で、静かに奏でられたその言葉を、マヤは信じられない気持ちで聞いていた。


「速水さん・・・」

「きみが、好きだ。この半年、何も言おうとしなかった俺を、許してほしい。俺のわがままにつき合わせてしまってすまないと思っている」

真澄が、苦しげに少し表情をゆがめた。


「実は今日、紫織さんの婚約が決まった」

「紫織さんの?」

「俺の身勝手さで迷惑をかけた彼女だ。彼女が幸せを見つけるまで、俺も決してきみへの思いを口にしないと誓った」

(ああ、このひとは、そうだった・・・一度誓ったことは必ず守る、他の誰よりも、そういうひとだった・・・)

「そのせいで、きみを苦しませてしまった・・・すまない」

マヤの瞳から、あらたな透明のしずくが零れ落ちる。いつのまにか、昏く蒼い空から、ひらひらと白い花のような雪片が舞い降りていた。


「速水さん――」

「どうした、チビちゃん、何か悲しいことがあるのか」

真澄が、心配そうにマヤの顔を覗きこんだ。

(このひとはいつだってそう・・・自分勝手で、わがままで、鈍感で・・・そして――)

(そんなあなたが、どうしようもなく好きで・・・好きで――)


「速水さんが、好きで・・・好きすぎて・・・涙が、とまりません――」

「マヤ・・・」

真澄の指が、涙のしずくにふれる。蒼く透明な冬の空に、その指の白さが淡く溶けてゆく。

ひそやかに舞い落ちる雪片は、空の色を映しとって蒼く煌き、真澄の顔の輪郭を白くかすませる。

イラスト:しのぶ様


「好きだから泣くのか・・・よくわからんな、その心理は。その論理でいくと、俺はきみの前で大泣きしなけりゃならんぞ」

真澄は、おどけた口調でいうと、ふいにあのやわらかな微笑を浮かべた。


「チビちゃん、笑ってくれないか。俺はきみの笑顔が好きなんだ」

真澄の言葉になんとか懸命に笑顔を作ろうとするマヤ。しかしその努力もむなしく、泣き笑いのような表情にしかならない。


「だ・・・だめです。涙がとまりません」

「そうか、じゃ、こうすればどうだ」

言うが早いか、真澄の唇が、マヤの上に降ってきた。

ひとひらの雪のように冷たく。かすかに、あまく。

マヤは驚きのあまり、目を見開いたまま、真澄の冷たい唇を受け止めていた。



夜空には、蒼い雪。

この冬最初の雪。


(この冬最初の雪が降る日に、きっと想いはかなうわよ)

(ね、だから、私の占いは当たるって言ったでしょ――)


マヤの頭の隅っこで、ふわふわさんがひとつウィンクをすると、片手をひらひらさせながら消えていった。


「チビちゃん・・・クリスマスの予定は空けておけよ・・・」

真澄の冷たい唇が、熱い耳朶にそっと触れる。その低い囁きが、甘い吐息とともに、どこか遠い世界から聞こえてきた美しい音色

のように、マヤの体を包みこんでいった。


マヤは、蒼い雪が降りかかる、白く淡い顔の輪郭にそっと手をのばし、静かに、眼をとじた。













おわり












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