暗闇を超えて・・・ 1



真澄はその夜、馴染みのバーで狂ったようにブランデーグラスを空にしていった。


「真澄さん、今日はかなりペースが早いですね。」

昔から真澄をよく知っているバーテンダーは、少し心配するかのようにそう言葉をかける。


「・・・・」

言葉を返す気力さえない。

ただひたすらにグラスを揺らし、味わいもせずに飲み干していく・・・。

心が荒れる、というのはまさにこの事を言うのであろうか・・・。



真澄が酒に溺れている原因・・・それは、今日発売された某週刊誌に載っていた記事だ。


最近マンションで一人暮らしを始めた桜小路の部屋からマヤが朝帰りした、というスクープ写真。

記事によると、時間差で桜小路が出てきて、2人は仲良く近所のコンビ二へ足を運んだという・・・。


写真は間違いなく本人達であり、真澄は週刊誌を持つ手も震わせ、事実を確認するために聖に調査を依頼した。


しかし、まだ事実はうやむやのままだった。


男と女が朝帰りをする・・・という事は、世間一般の常識では確実に関係を持ったと思われても仕方がないであろう。


頭の中で何度も「何かの間違いに決まっている」と言い聞かせようとしていたが、2人が熱く肌を重ねる姿は何度も

目の前をチラつき、真澄の怒りと苛立ちを加速させていく。


真澄はグラスに浮ぶ波を無表情でゆらゆらと動かし、肩で大きく息をついた。


自分は紫織と婚約中の身であり・・・マヤが誰を好きになり誰と関係を持っても文句の言える立場ではない。

・・・そんなことは100も承知である。

もしも言えるとしたら、大都芸能の社長としての忠告くらいであろうか。


真澄はマヤを大都芸能に呼びつけ、説教のひとつでもしながら真相を確かめるつもりでいたが、それすらも

すっぽかされ、とうとう彼女は大都へは現われなかった。

堂々と来れない理由が何だと言うのか・・・。その時点で、すべての事実を認めているような気にさえなる。



「もう一杯、同じものを頼む。」


真澄は、割れるかと思うほどに力強くテーブルにグラスを叩きつけると、タバコを取り出して無表情で口へと運んだ。


今日だけでどれだけの本数のタバコを吸ったのか見当もつかないほどだった。


ぶつけようのない気持ちを酒とタバコに向かわせている自分がひどくちっぽけな存在に思えてくる。


もしも2人の事実関係を確認したら、桜小路を殴りつけても足りないような行動にでてしまうかもしれない。

真澄にしてはめずらしく、酒に飲まれつつあった。 






『何もかも忘れてしまいたい・・・すべてが夢でありたい・・・』

それは、大都芸能の社長という立場も、紫織との婚約も含めての事だ。

いかに自分が情けない人間なのか、ひしひしと思い知らされていく。


マスターに咎(とが)められ、ようやく重い腰をあげた真澄は、タクシーを呼びつけた。



彼はここ最近、誰にも邪魔されずに済む都内のプライベートマンションで寝泊りする日々が続いている。


今日も彼は迷うことなくそのままマンションへと向かった。




タクシーを降り、フラついた足取りでマンションの入り口へと向かう真澄。

もう深夜0時を回ろうとしていた。



・・・ふと、入り口付近に小柄な女性の姿がぼんやりと視界に映る。 

薄いブルーのブラウスに、白っぽいミニスカート姿。そして、肩よりもすこし長い黒髪・・・。



フラリとした足取りで近づいていくと、女性がこちらをじっと見つめているように見えた。


『・・・マ・・・ヤ?』


その姿には、酔った気分も冷めてしまいそうなほどにドキリと心臓を動かされた。


そこにポツンと立ちすくんでいたのは、本当にマヤ本人であったのだ。



彼女は真澄の姿を確認すると、少しずつ彼の方へと近づいてきた。

「何を・・・しているんだ・・・」

お決まりのようなセリフが口をついて出る。


「速水さん・・・・あの・・・あたし・・・」

マヤは泣きそうな表情でおどおどと声を出した。



例の件で大都に呼びつけたにも関わらず、すっぽかした事を謝りに来たのであろうか。



「チビちゃん・・・こんな時間に俺を待ち伏せとは・・・いい度胸だ。」

真澄が冷たい口調でそう言いながら近づくと、マヤはビクビクしながら顔を下に向けた。


「あの・・・ごめんなさい・・・お・・・怒られると思ったから・・・記事のこと・・・」


マヤは目を泳がせながら、切れ切れにそう言葉を続けた。


「・・・よく分かっているじゃないか。ついでに、この俺からの呼び出しをすっぽかすとはな。」


真澄は普段と同じような口調で抑えていたつもりだったが、内心は気が気でなかった。


まるで記事の内容を認めるかのようなマヤの発言。 単刀直入にマヤに問いただしてしまいたい気持ちに襲われ、

ぐっと我慢する。


「す・・・すみませんでした。だから・・・謝りに来たんです。本当に・・・すみませんでした。」


真澄には、桜小路との事実関係をひっくるめてマヤが謝っているのか何なのか理解できない。


「・・・いつからここにいたんだ?」


「あの・・・さっきです。もう帰ろうかと思ってました・・・」


「・・・・・」


マヤの言葉を聞き、すぐには帰したくない欲望が真澄を支配していく。


「・・・まだ話はある。・・・一緒に来い。」

半ば強引に真澄はマヤの腕を掴むと、入り口のオートロックを解除し、扉の中へと引っ張り込んだ。


「え?・・・で・・・でも・・・」

「・・・桜小路のマンションには入れても、社長の俺の部屋には入れないと言うのか?」

「・・・・」

自分でも呆れるほどに強引な自分がマヤを誘っていた。


「あの・・・でも・・・」

「いいから来るんだ!」


静まり返っている空間に低い真澄の声が響くと、マヤは小さく頷き、彼に腕を掴まれたままで従った。



「あの・・・逃げませんから・・・離してください・・・」

マヤにそう言われ、真澄は慌てて彼女の腕を解放する。



そして言葉では言い表せないような複雑な思いを胸にしまい、マヤと共にエレベーターに乗り込む。


いつものマヤが今日は やけに大人びた表情をしているようにも思えて仕方がなかった。


切りつけるような嫉妬心をマヤに悟られないように手に汗を握りしめる真澄。


・・・とにかく、1秒でも長く彼女を捕まえておきたかった。


部屋に入れてしまえば、自分がどんな行動に出てしまうのか、今日ばかりは自信が持てない・・・・。




「あの・・・本当に・・・こんな時間にすみません・・・」

部屋に入るなり、マヤはひたすら同じようなセリフを繰り返していた。


やはり、彼女は全く分かっていない。

こんな時間に男が部屋に誘い、女がついてくるという事は、何が起こっても文句など言えない状況であろう。

それなのに、こんなに簡単に着いて来て、自分から謝っているなんて・・・。



「いいから、まずそこに座れ。」


真澄に促され、マヤは少し間を空けてからソファーに身を沈めた。

隣のキッチンへと向かった真澄は、何やら飲み物を用意しているようだった。


ぐるりと部屋中を見渡すマヤ。


どれもシンプルな色合いの物ばかりで、このリビングから繋がった部屋に、ベットがポツリと置かれている。

『速水さん・・・あのベットで仮眠して仕事に行ったりするんだ・・・』


・・・無意識にそんな事を想像し、いま真澄と2人きりで部屋にいる、という事が急に不安に思えてもくる。


こんな夜中に男の人と二人きりで過ごすなんて・・・・真澄との社務所の夜以来だ。




実際、桜小路の部屋から朝帰りした事は、全くの嘘ではなかった。

たまたま、仲の良いメンバーで彼の部屋へと押しかけたのだ。 そして、朝まで熱く演劇の話などで盛り上がり、

早朝に解散になった。  そこを、スクープを狙っていたカメラマンに、いかにも2人で密会していたかのように撮られ、

記事にされてしまったのだった。


『・・・いくら相手が桜小路君だって・・・・あたし一人で部屋に遊びに行くことなんて、しないわよ・・・』

そう思いながら、ふっと疑問を感じる。


『あたし・・・どうして速水さんの部屋には着いてきちゃったんだろ・・・・』





「お子様は酒は飲まないだろう?」

真澄に声をかけられ、マヤはハッと顔を彼のほうへと向けた。

「お・・・お子様じゃないですっ!もう20歳超えましたから!!お気遣いなく!!」

マヤがそう突っかかったので、真澄は遠慮なくグラスにワインを注ぎ、彼女の元へと運んできた。


「軽めのワインだ・・・これくらいなら大丈夫だろう。」

「・・・あ・・・はい・・・。頂きます・・・」


何も考えずにグラスに口をつけるマヤを見ていると、あまりに無防備すぎる彼女に呆れてしまう真澄。


そしてまた、こんな時間に無理やり部屋に連れ込み、酒を飲ませている自分にも嫌気がさす。




彼はマヤの表情に視線を奪われている事にハッと気付き、慌ててネクタイを緩め、シャツから外して投げ捨てた。

静けさの漂う室内に、それはパサリと音をたてる。



「そうやって・・・ネクタイを外す姿って、男っぽい感じがしますね・・・」

何気ないマヤの言葉にひどくドキリとさせられた。

「・・・・・」


真澄がどう受け止めていいのか分からず黙ったままでいると、マヤが慌てて言葉を追加した。


「あ・・・あの、なんていうか・・・あたし・・・お父さんもいなかったし・・・」



「・・・そうか・・・俺は・・・君から見たらそういう世代という訳か。」

「ち、違います!ただその・・・あたしの周りでスーツ着てる人ってあんまりいないし・・・。ドラマとかで帰宅した父親

とかがそんな仕草してるな、って思っただけで・・・」


一生懸命に言葉を並べていくマヤが心から愛しく思えて仕方がない。

ふいに見せる仕草や表情は確実に女っぽさを増しているにも関わらず、こんな風に慌てふためく姿は、やはりまだ

子供のようにも思える。


「まあいい・・・・君といると本当に退屈しないよ・・・クックックッ」

「も・・・もうっ・・・!!」

マヤは、また笑われたと思って少し不機嫌になっていたが、真澄には最高に安心できる時間のように思えた。





お互いに当たり障りのない会話が少し続いた。

新しいドラマの撮影の事、そして彼女が手にした紅天女の上演権のこと・・・。


普段なら、マヤといればどんな話題でも楽しく感じるはずであるのに、今日の真澄にはそうはいかない。


・・・なかなか肝心の話題に触れられないのだ・・・


真澄は知らず知らずのうちに酒の力を借りようとしていたのだろうか・・・何杯目かのワインをグラスに注ぎ、

少しでも本題に近づくように話を進めていった。


「よくこのマンションの場所が分かったな。」


マヤは、グラスを静かにテーブルに置くと、真澄をチラリと見上げた。

「あの・・・水城さんに聞いて・・・。やっぱり、直接謝ろうと思って。今日中がよかったし。あ、でも日付が変わって

しまいましたけど・・・」



マヤは、記事の件を知った時、真澄にだけは誤解を解きたいと思っていたのだった。 しかし真澄の方から

呼び出され、急に怖くなってしまった。

・・・女優として、大都の商品として怒られるのだろう、という虚しさもあったのかもしれない。



「・・・記事の内容は本当なのか・・・」

真澄がようやく吐き捨てるようにそう呟くと、マヤはギクリと体を奮わせた。


「・・・あの・・・部屋には行きましたけど・・・全部は本当じゃなくて・・・コンビ二も行ってないし。」

切れ切れに言い訳のような口調になってしまう。


「・・・朝帰りは事実だと言うんだな?」


今までで一番というほどの低い声でそう言う真澄。 マヤが息を呑んだのが分かった。

そして彼は、嫉妬心をむき出しにしている自分の言葉に気付き、慌てて言葉を追加する。


「まあ・・・俺はそこまで言えた立場じゃないが・・・・・・もう少し上手くやれ、と言っているんだ。」


心とはうらはらなセリフを言い、ワインを一気に飲み干した。

当然、そんな事を言いたかった訳ではない。


”桜小路と付き合っているのか?” 


”あいつのことが好きなのか?”


一つを言葉にしたら、次々と責めるように問いただしてしまうであろう。 

真澄はグラスを強く握り締め、その言葉を胸にしまった。

自分には、そこまで干渉する権利は全くないのだ・・・。




言葉を失ったまま、マヤはグラスの中に浮ぶワインの色をじっと見つめたままでいた。



『ああ・・・やっぱり速水さんは、大都芸能の社長としてしか、あたしを見ていないんだ・・・』

とっくに分かっていた事なのに、とても虚しくてやるせない想いがマヤの心の中で大きく広がっていく。


本当は、桜小路とは全く何もないという事を、真澄にただ知ってもらいたくて来たのだ。

真澄にだけは誤解されたくない気持ちがあったのだ。 

例え、そんな事どちらでも構わないと真澄が思っていても、心のどこかで何かを期待していたのかもしれない。

その希望が見事に打ち砕かれた瞬間であった・・・。


「・・・分かりました。これからは・・・気をつけます。すみませんでした・・・」

弱々しく、言葉になっていないようなマヤの声。



・・・それが真澄の胸に大きく突き刺さり、気が狂いそうなほどの嫉妬と怒りに火をつけた。




「あの・・・あたし・・・もう帰りますから・・・」

マヤはそう告げると、急にすくっと立ち上がった。

飲みなれていないワインの酔いが回り、ぐらりと視界が揺れる。

「大丈夫か?」

ふらついたマヤを抱きかかえる真澄。 彼女の髪の香りが広がり、彼の心を奪う。


「大丈夫です・・・タクシーで帰ります・・・」

「待てっ!!」


思わず大声をあげていた。


頼りないマヤの表情に、自分の中の理性が崩れ落ちていくのを感じる。

『・・・・このまま帰したくない・・・・・』

彼女を思い切り強く抱きしめ、腕の中へと閉じ込める。


「帰さない・・・」


真澄の低い声はマヤの耳元で静かに響いていた。


 

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