「おはようございます」
マヤが元気に大都芸能の秘書室へと入ってきた。
「おっ、丁度いい所へ来てくれた。 これから一緒に食事をしないか?」
彼女の姿を見るなり、真澄は詰寄り、話し掛けた。
「如何したんですか、いきなり・・・」
マヤは怪訝に様子をうかがう。
「実はこの後、お客との昼食会の予定だったのだが、突然キャンセルになってしまったんだ。 弁当なんだが、あの有名な『一兆』だからな・・・」
世間に疎いマヤでも、その名を知っている。
「ほら、凄いだろ」
彼は、包みをおもむろに開くと、中身を開いて見せた。
旬の食材で埋め尽くされたそれはコンビニや、ロケ弁の物とは比べ物にならないほど、マヤの食指を誘った。
「あっ・・・でも私、水城さんとの打ち合わせがあるんですが・・・」
必死に抵抗を試みる。
『彼女なら、ほかの仕事が長引いて1時間ほど後れると連絡があった。 食事を何処かでとる位ならと思ったが・・・無理強いはしないから・・・』
「いえ、食べさせて頂きます!・・・食べますとも」
真澄の言葉に絡め取られ、いつの間にかマヤのほうがお願いする格好になっていた。
「食後にお茶を頼むよ」
滅多に出さない笑い声を出しながら、秘書に頼むと、二人は社長室へと消えていった。
30分ほど経ってから、一人の秘書がお茶とコーヒーを持って社長室へ入ろうとする。
しかし、その動きはドアノブを掴んだ所で止まった。
傍にいたもう一人の秘書の不破が訊ねた。
「プチャ美、どうしたの?」
彼女は、慌てながらトレイを置き、喋らずこちらに来るようにと合図をした。
不破も何事が起きたのかと思い、ドアの方へ駆け寄る。
ドアは、小物が挟まったのか、完全には閉まってはおらず、傍によると、中の会話が筒抜けであった。
『もう駄目ですよ、速水さん、こんな所じゃ・・・・』
「構わないさ・・・我慢は体に毒だぞ」
がさがさと何かを剥ぎ取る音がする。
『誰か来たら如何するんですか・・・』
「一緒にやればいいじゃないか・・・・3人でやっても面白いぞ」
『もう、強引なんですから・・・』
ドアの前の二人は慌てふためく。
「不破先輩、いつから二人はこんなになっていたんですか、しかも3人って、アンタ・・・・」
『そんな事、私に聞かれても知らないわよ・・・・・こんな時に限って、水城先輩は居ないし・・・』
「私がどうかしたの・・・」
予定を早く終えた、水城が帰ってきた。
二人は地獄に仏と言わんばかりに、救いを求める。 そして急いでドアの方へと促す。
「これ、食べてもいいですか?」
『クスッ、どうぞ・・・』
がさがさと剥ぎ取る音の後、『ぴちゃ、ぴちゃ』と何かを舐める音がする。
「凄い、どんどん大きくなってますよ・・・こんなの初めてです」
「・・・・!」
三人は、ドアの前でフリーズしてしまう。
「先輩、こんな時は如何したらいいんですか?・・・・」
不破が涙目で助けを求める。
『如何したらって言われても・・・・』
流石の水城も打つ手が無い。
「はっ、速水さん・・・・私、もう駄目みたい・・・・」
『クスッ、じゃあ、上に乗ってごらん』
革張りのソファーが『ぎし、ぎし』と、音を立てる。
「やん、動かさないで下さい・・・・」
『おいおい、動いているのは君だろう』
「もう、意地悪なんだから・・・・」
固唾を飲む三人の内、プチャ美が突然、膝から崩れ落ちた。
「やだ、こんな時に鼻血なんか出さないでよ!」
プチャ美は、必死に手で鼻を押さえて、しゃがみ込んでいた。
「らって、こんらの初めてらんらもの・・・」
かわいそうに、毒気に当てられたようだ。
だが、もっとかわいそうな人物が居た。
気付けば、そこには紫織が居た。
「紫、紫織様!・・・・いつからここに!」
その場の空気が、絶対零度を思わせるかのごとく凍りつく。
紫織は、涙をぽろぽろと流し、わなわなと体を震わせていた。
「会いたいと言うから来て見れば、こう言う訳でしたのね・・・・いくら鈍い者でも解ります」
「こんなのはどうだ?・・・」
『そんな・・・じらしながら抜いちゃ、変になっちゃいます・・・』
相変わらず、ソファーがきしむ音が続いている。
水城は頭を抱え込んだ。 もはや誤魔化しも効かない様子だった。
「・・・・!」
とどめを刺された紫織は、何も言わぬまま、帰っていった。
その様子は、あまりにも痛々しく、掛ける言葉も見つからなかった。
『もう、このままにはして置けない!』
水城が、あまりのご乱交に、苦言を呈すつもりでドアを叩こうとした時、向こうからいきなり開かれた。
「おーい、お茶はまだなのか?」
『はぁ・・・・』
目が点になる三人。
それもそのはずである。 真澄は、ジャケットこそ脱いではいたものの、ネクタイも緩む事無く、品行方正な姿で出て来たからだった。
「始めに頼んでおいたじゃないか・・・・ってプチャ美くん、如何したんだ、その鼻血は!」
顔面を血で染めている彼女の方へ駆け寄る。
遮る物が無くなり、見えた社長室の光景を見て、水城は再度驚く。
マヤがソファーの上に立ち、うずまきキャンディーを頬張りながら、テーブルに高く重ねられた『ジェンガ』らしい積み木と格闘している姿だった。
その積み木の高さは、マヤの身長を越しており、それは踏み台を使わなければ無理と言うのも頷けた。
三人は開いた口がふさがらない。
「あっ、水城さん、お帰りなさい・・・・このゲーム面白いですよ!」
マヤはとても楽しそうに話し掛けた。
「真澄様・・・・これは一体どういうことですの?・・・・・」
水城は状況を掴もうと必死である。
「大都のタレントが出ているCMのスポンサーが、粗品として、置いて行ったんだ。
君が遅くなるって言ったから、これでウチの大女優様のご機嫌を取っていただけだが・・・・」
真澄は、然も当たり前の如く答える。
「はははっ・・・そうでしたの・・・・マヤちゃん、書類を取ってくるから、もうちょっと時間を頂戴ね」
苦笑を浮かべ、水城は部屋を後にする。
「如何したんだろう・・・・・水城さん」
『さぁな。』
そう言うとまた、二人は『ジェンガ』の続きをやり始めた。
秘書室に戻った水城を含めた三人は、我慢出来ずに笑い転げ、立ち直るまでに暫くの時間を要する羽目になってしまった。
後日談
1年後の誕生日、紫織との奇跡的な婚約解消を果たした真澄は、本格的にマヤとの交際を始めていた。
「真澄様、もうすぐお誕生日ですわね。 マヤちゃんから、何かプレゼントはあるのですか?」
いつものコーヒーをデスクに置きながら、水城は訊ねた。
「ああ、今年はいい物があるらしい」
書類に視線を向けたまま、そのコーヒ−を啜り、真澄は答えた。
そこに突然、マヤが入ってきた。
「速水さん、プレゼントが出来たんです。 あまりにも嬉しい物だから、押しかけちゃってすいません・・・」
『そうか・・・どれ、見せてごらん』
そう言われてマヤは、持っていたバッグの中に手を入れた。
その光景に、真澄たちは手編みの何かだろうと想像した。
だが、それは見事に裏切られる。
マヤは写真を一枚取り出し、こう言った。
「出来たんです・・・・赤ちゃん。 3ヶ月ですって」
その写真には、二人の愛の結晶が、小さな姿で写っていた。
真澄は、誰はばかる事無くマヤを抱きしめた。
「有り難う、マヤ。 最高の贈り物だよ」
水城も、長年の苦労が報われた思いで、涙が止まらなかった。
それから暫く、秘書たちは今まで以上の忙しさを経験させられる事となった。
本当にお騒がせな二人である。
だが、不思議と嫌な気持ちにならないと、皆は思った。
お わり
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