30万ヒットキリリク作品ですvvv


RAIN 1





週明けからの晴天続きは一変し、今朝から断続的に雨模様の天気が続いている。




「・・・まだ、降ってるんですね・・・雨・・・」

マヤはキッチンの食器棚からマグカップをふたつ取り出し、ガラス扉を閉め終えながら真澄に声をかけた。


「ああ・・・かなり降っていたな・・」

彼はそんな言葉を返しながら、スーツに付着している無数の雨粒の跡にチラリと目をやる。


・・・そういえば、タクシーのフロントガラスのワイパーが激しく動かされていたな、と思い返す。

いつまでこの雨は降り続くのであろう・・・。


・・・彼は自分がまだ上着を着たままでいることに気がつき、それを肩から外そうと手をかけた。



「あ、あたし、預かりますよっ・・・それ・・・」

彼が上着を手にしたまま、それをどうしたものかと考えあぐねていると、手を止めたマヤが大きな声を出した。


「いや、・・・ここを・・・使わせてもらっていいか?」

真澄は、少し離れた場所に彼女の服が何点か掛けてあるコートスタンドがある事を思い出し、指を差しながら

そう問う。


「はい・・・いいですけど・・・あたしが・・・」

マヤがそう言いかけている時に、真澄はすでに上着をかけ終わっていた。


「あ・・・ごめんなさいっ・・・・」

「・・・・」


(やれやれ・・・・)

相変わらず他人行儀なマヤの言葉遣いに少し溜息を吐き出しつつ、真澄は薄暗い天井を見上げた。





ここは、マヤが一人で暮らすマンション。



紫織との婚約解消後すぐに、真澄のほうから歩み寄る形で想いは通じ合い、二人は恋人同士になった。

長い間、互いを苦しめあっていた多くの出来事を本当の意味での過去に変え、共に歩いていこうと誓い合った

のだ。


それからすぐに、彼女が住んでいたアパートの取り壊しが決まり、ここで暮らすことになった。

・・・というより、このような高級なマンションに住むことをギリギリまで決断できずにいたマヤに苛立ちを感じた

真澄が、半ば強引に引越しの日取りやら何やらを進めてしまい、今に至ると言ったほうが正しいのかもしれ

ない。


どうにも頼りない面が多すぎる彼女に対しては心配事が尽きないのだが、ここであればセキュリティーが

しっかりとしており、安全面での問題はないであろう。


・・・それでも一人暮らしということもあり、毎日のように”戸締りをしたか?” ”変わった事はないか?”と

あれこれうるさく言ってしまっているのであるが・・・。






「今、コーヒー運びますね・・・」

静寂な空間にマヤの声が響き、ほろ苦い香りが一面に広がり始めていた。

先ほどからコポコポと音を出していたはずのコーヒーメーカーは、いつの間にか彼女の手に移っていて、

やがてそのガラス部分はカップに軽く触れ、液体を注ぐ音が流れ出す。


真澄は正面を向きなおすと、彼女が慣れない手つきでトレーにカップを乗せ、ひたひたと足音を立てながら

自分の方へと向かってくる気配を感じた。


「運べるか?」

「・・・・・大丈夫・・です・・・・」

「・・・・・」


そう告げながらも、マヤの神経のすべてが持っているトレーに集中しているということは、彼には手に取るよう

に分かった。

真澄は身を乗り出しながら思わず立ち上がって手を貸してしまいたくなる気持ちを抑え、不器用な彼女が

何かをやらかすのではないかとハラハラしながら見届けることになる。

毎回、このような場面で嫌味のひとつでも言いながら手を出し、子ども扱いをしてしまうパターンなのであるが

それが原因で彼女がヘソを曲げてしまった回数は数え切れないからだ。



「どうぞ・・・」

無事に真澄の手前まで到着したマヤは、まず最初にトレーを静かにガラステーブルの上に置き、それから

マグカップを二つゆっくりと手にして、片方を彼の目の前にコトンと置いた。


「ああ・・・ありがとう・・・」

真澄は心の中でホッと息をつく。


そしてすぐに、気の抜けた息を吐き出した彼女がストンと腰を下ろすと、あまりゆったりしているとは言えない

サイズのソファーは軽く沈んだ。



マヤが体を揺らすと、その振動はソファーを通して真澄にも伝えられる。 

彼女が手の届く距離にいるという存在感は、とてつもなく幸せだ、と心から思う・・・。


真澄は、愛しさが身から溢れ出しそうな思いを抱え、チラリと彼女に目を移していった。



そんな彼の視線に気付いているのかいないのか、うつむき加減でマグカップを強く握り締めているマヤ。

あいにくの天気とはいえ、春の陽気に包まれて暖かい気温のせいか、彼女が身につけているのは真っ白の

シルク素材のシャツに、膝下ほどの丈のライトグリーンのスカートのみ。 シンプルな着こなしではあるが、

彼女らしくとても似合っている、と真澄は思う。


ところが・・・よく見るとその薄いシャツの生地が彼女が身につけている下着のラインを僅かに透かして

いるということに気付くと、彼は思わず眉をひそめてしまった。


(・・・いつもこんな薄着なのか? 今日は稽古だってあったはずだ。最近はこんな姿でフラフラと歩いたりして

いるのか・・・・?)

ドキリとした反面、そんな小さな嫉妬のような怒りのような感情が沸き起こってきたのだ。


そして彼は、そのまま何となく彼女の体のラインを追っていき、今度は胸元で目を止めていた。


――ドキン――


先ほどまでは気づかずに過ごしていたが、彼女のシャツのボタンは一番上だけが外されていて、こうして間近

から見下ろすと、かなり際どいように感じられたからだ。


「・・・・・・」


生唾を呑みこみ、そこから大きく下に視線を外す真澄。


・・・・しかし更にその先には・・・マヤの足が待ち受けていた。

・・・・それはまるで小鹿のように細くてスラリと伸びた足。


(靴下も・・・履いていないじゃないか・・・・)

先ほどまではスリッパを履いていたので、まさか裸足でいるとは思わなかった。


その細くて白い素足は、ガラステーブルの下へと伸び、可愛らしいサイズの指がピクピクと不規則に動き、

真澄の心に揺さぶりをかけているようにも思える。


彼は一瞬、息を止めて言葉を失う。


(君という子は・・・本当に・・・・)



そして・・・・・ふと、この間の夜の記憶を呼び起こしていた。










――それは先日の帰り際の出来事だった――




「じゃあ、そろそろ帰るよ」

「あ、はい・・・」

真澄が立ち上がると、マヤは反射的に腰を上げ、スカートのシワをのばすような手つきをし、見送るつもり

なのか、キョロキョロと辺りを見回し始めた。


「忘れ物、ないですよね・・・」

「・・・ああ・・・」


手荷物など持たない主義の真澄に、忘れ物などあるはずがなかった。

それなのに、まるでいつもの友達でも見送るかのようなセリフを投げかける彼女・・・。

真澄はその時・・・・あまりにもそっけない言葉と態度に、どこか不満な思いを体中で感じ、苛立つ気持ちが

湧き出していた。

確かに、自分より11も年下の純粋な彼女に対してどんな言葉を期待していたのか、と誰かに問われて

しまったら返す言葉も見つからないのだが・・・。 



真澄は、気持ちが通じ合った時点では、もうそれだけで充分だと思ったのが本音であり、こうして二人の

時間を共有できることですら、幸せだと思っていた。


しかし・・・・

会えば会うほどに、今まで知らずにいた彼女をすべて知りたくなっていく。

自分しか知らない彼女が欲しい。

独占したい・・・。


(一体、いつまでこんな子供染みた付き合いを続けいくつもりだ?)

マヤに問おうとしたのではない。

それは、自分自身に対する問いかけだった。



真澄は、彼女に気付かれないほどに小さく首を振ると、どうにか本音を押し殺す。

その代わりに、マヤのぬくもりをほんの僅かでも今日の記憶に残したいと思い、俯いている彼女の前に

立ちふさがるようにして肩を引き寄せ、視線を絡ませた。 

キスをしたい、と思ったのだ。


・・・しかし・・・・目の前には、そんな彼の行動に驚いたような表情で顔をあげる彼女の姿があった。


「・・・・・」


真澄は、そのような事で意外そうな顔を見せる彼女がたまらなく愛しくもあり、同時に、どうしてこれほどまで

に純粋で汚れがないのだろう・・・と、そんなやりきれなくも思い、それでも小さな彼女の肩を、戸惑うことなく

手のひらでゆっくりと押さえつける。


(速水さん・・・?)

まるで彼女の心の声が聞こえたように思った・・・。


互いの唇が引き寄せられる直前、軽く吐息が混ざり合っていた。そして、柔らかく温かい、みずみずしさを

含んだ、彼女の小さな唇の感触は瞬時に真澄の全身に突き抜けるように伝えられる。

「んっ・・・」

マヤが小さな声をあげた。

今、自分と触れ合っているのは、何年も想い焦がれた彼女の唇なのだ、と意識すると、彼は思わず押さえ

つけている手の力を強めてしまう。


戸惑いながらも瞳を伏せ、真澄の胸元のシャツを握り締めているマヤの頼りなさが、たまらなく彼の感情を

昂らせていく。


(ああ、愛している・・・・)


いつものように、軽く触れる程度のキスのつもりであった。

それなのに、いつしか我を失い、彼女の唇に吸い付くように離せなくなってしまった。

無意識のうちに彼女の頭を抱え込み、角度を変えながら更に唇を求めていた。


マヤは決して拒否する事はなかったものの、背の高い彼に背伸びをしてしがみ付き、耐えているようである。


(マヤ・・・・・)



しばらくして、ようやく真澄が唇を解放すると、マヤは恥ずかしそうに視線を外してしまった。

それから・・・彼女は苦しかったのだろうか・・・・無意識に『はあっ』と吐き出したその熱い息は意図的にでは

なくとも、確実に彼の首元にかかっていた。


ゾクリ、と真澄の全身に震えるような快感が走る。


(マ・・・ヤ・・・・)


・・・・サラサラとした彼女の髪が頬に触れ、ふわりとシャンプーの香りが鼻をくすぐる。



・・・この手の事に関しては、マヤには決して無理をさせたくないと思っていた。

・・・だから、少しずつ彼女のペースに合わせながら近づいていければよいと考えていたはず。

・・・それなのに・・・。


真澄の瞳は厳しく光る。


ドサッ・・・

・・・・乾いた音を響かせ、先ほどまで腰掛けていたソファーに彼女を押し倒す形で二人は倒れこんだ・・・。



「速水・・・さ・・ん?」

その声を耳にし、真澄はそっと彼女の顔を覗き込もうと、ゆっくり頭を起こした。

どんな顔をしているのか、恐れながらも知りたいと思ったからだ。


しかし・・・そこには、まるで人を疑うことを知らない小さな子供が怯えているかのような顔つきをしている彼女

の姿。


「・・・・・・」

付き合っている以上、少なくともある程度の覚悟をしていて当然だろう・・・という真澄の思考は見事に裏切ら

れたように思った。 


(まるであの時と変わっていない・・・)

そう、あの社務所での夜と・・・。




「すまない・・・」

「・・・・」

真澄は、あまりにも性急に求めようとしてしまった自分を悔やみ、どうにか冷静さを取り戻すと大きな息を

つきながら体を起こしていた。 


そして彼女の細い腕を軽々と掴みあげ、同じく体を起こしてやる。

乱れた髪を直しながらマヤは真っ赤な顔をして俯いたままだ。


潤んだ彼女の瞳を見ると、とてつもなく もどかしい気持ちが止まらなかった・・・。

とにかく、例えようの無い後悔だけが頭を駆け巡っていた・・・・。


恋人同士なのだから、こんなことで謝るのもおかしいとは思う。 けれど、純粋な彼女に対しては、まだ

そのような大人の愛し方を教えたり、求めたりすることは早すぎたのだ、と自分を納得させるしか方法が

なかった。


とにかくその夜は、激しい後悔だけを胸に抱え、マンションを後にしていた。









「・・・ちょっと苦かった・・・ですか・・・?」

「・・・・・・・?」

突然、マヤが首を傾げながら、ボソボソと言葉を出したので、ぼんやりとしていた真澄は、

(コーヒーのことか・・・)

と、その問いの意味を理解するのに少々時間を要してしまった。


どうやら、あまりにも真澄が黙り込んでいるため、マヤは気を病んでいたのであろう。

彼はひとまず、彼女を安心させるようにとカップを傾ける。そう言われてみれば僅かに濃い目であるかも

しれない、などと感じたが、気にするほどではないようだ。


「いや・・・・ちょうどいい濃さだと思うが・・・」

「そっかぁ・・・それなら・・・よかった・・・です・・・」


ゆらゆらと立ち昇る湯気越しに、目を細めた表情のマヤが見えた。

真澄は、そんな彼女の顔つきにフッと口元を緩めてしまう。


だいたい・・・このようなマグカップでコーヒーを差し出す者など、彼女以外にはこの世にいないであろうから。

それなのに、要領の悪い彼女が時間をかけて自分の為だけに入れてくれたコーヒーの味は、ブランドの

カップで出された高級なカフェのものよりも、確実に美味いと感じるのが不思議でたまらない。

コーヒーに限らず、彼女が与えてくれた時間や贈り物、そしてなによりも自分に向けられる笑顔や気持ち

のすべてが、自分にとって最高の物だと断言できる・・・。


真澄は、それほどまでに幸せであるという事を実感すると、それ以上の関係を求めようとしている自分を

心の奥底で叱咤し、押し込めていく。 



彼女はまだ、そのような関係を望んでいない。

それは痛いほど分かっているのだから。




真澄は温かいコーヒーを喉に押し込めると同時に、繰り返し同じ言葉を心に投げかけていった。







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