RAIN 2



ピピピッ




真澄の腕を飾る煌びやかな時計から、その小さな電子音は響き渡った。

それは11時を告げるもので、昼間なら聞き逃してしまいそうなほど小さな音だった。



マヤはマグカップを両手で抱えながら、軽く咳払いをする。

そして、その後すぐに壁にかけられた時計の針が重なり、カチン、と僅かな音をたてると、ビクッとしたように

肩を揺らし、軽い溜息のようなものをこぼした。



真澄は彼女の素振りに気付かない振りをしていた。

しかし、先ほどまで何も考えずにぼんやりとしていた彼女が急に体を固くして足を揃え、真澄の視線を気に

していると思われるような顔つきは、横目でも知ることが可能であった。




・・・やはり、前回のことが原因なのか。

少なくとも今までこんな素振りをする彼女は見たことはない、と真澄は思う。

隣にいるマヤを改めて女であると感じてしまう・・・。

このような仕草をするということは、自分を男として見ている証拠でもあるように思うのだ。

この奥手のマヤが前回の件で何を思い、どんな事を想像しているのか・・・。


「・・・・」


・・・ゾクリ、と身を奮い立たせる真澄。


思いがけない彼女の行動により、再び大きな苛立ちが胸に渦を巻いていくのを感じていた。

思い通りにしてしまいたい、という欲望と、決して壊したくないと思う愛しさに板ばさみされ、身動きが取れない

自分が腹立たしい。

とかく仕事に関しての相手であれば、どれほど困難な状況であっても自分の都合で動かす自信はあるのだが、

この小さな少女に対しては、とことんペースを狂わされてしまう自分がやるせなくなる・・・。


(この俺が何を恐れていると言うんだ・・・・?)

本当はそのような問いの答えなど、とっくに自分でも分かりきっていることだった。






身を縮めたマヤは より一層小さな存在に見えていた。


自分とは比べ物にならないほどに小さなその体は、本気を出して組み敷いてしまえば、どれだけ抵抗しても

思い通りにできてしまうであろう、と思う。


(今すぐにだって、この場所でどうにかしてしまえば・・・)


・・・理性を保とうとすればするほど、まるで悪魔が囁くかのように、別の自分が顔を出す。


いや・・・実際にはそれが本当の自分の姿なのかもしれない。

大人の余裕なんて化けの皮を被っていても、心の奥底で考えていることは、そこら辺の普通の男と何も変わら

ないのだから・・・。

今夜だって、マヤがいつもと変わらぬ声で”来てください”と嬉しそうな返事をくれた瞬間から、男として大きな

期待をしてしまったのも事実であった。 



夜の闇が深くなればなるほど、帰りがたく、彼女を求める気持ちが強くなってしまう。



(早いうちに退散するのが正解だな・・・)


真澄はそう決心すると、カップを勢い良く傾け、部屋を出ることを決めた。










「・・・そういえば今日は、どうやって来たんですか・・・?」


真澄が ”じゃあ、そろそろ失礼する” とでも言葉を出そうとする直前、まるで取ってつけたような質問がマヤの

口から出されていた。


「・・・タクシーだ・・・」

真澄は軽く間を置きつつも、その質問に冷ややかな声で答える。


・・・タクシーを使ったのは特に意味のあることではなく、今日はたまたま自分の車で出社していなかったから、

というだけの理由であった。


真澄は彼女の向こう側にあるコートスタンドの上着に意識を向けた。

そこのポケットには携帯が押し込まれているはずだ。

帰るのだとすればそろそろタクシーを呼びつけておいたほうがいいであろう。

真澄はいつも通り、冷静な思考をしていた。


・・・が、次の瞬間、ふっと隣にいる彼女の行動に目を奪われてしまう。


軽く頷きながら唇をキュッと噛み締めるような仕草をしていたマヤは、おもむろに前かがみをする格好になり、

マグカップをガラステーブルに置いたかと思えば、何を思ったのか空いた手のひらを自らの素足に持っていった

のだ。

その小さな白い手指は、膝小僧辺りからふくらはぎに向かって動いていき、素足に軽くこすり合わせるような

動作が繰り返されていく。


「・・・・・・」


・・・どうやら、これは何気ない彼女のクセらしい。


つい先ほどは警戒したような仕草をしていたはずなのに、もうすっかりと気を抜いてしまったのであろうか?


彼女の行動は訳が分からない・・・。


彼は半ば呆れながらも、そのサラサラとしたマヤの素足を滑る音にとてつもない色気を感じ取り、ついそのまま

彼女の足首辺りに視線を移していた。



(細い・・な・・・・)


そこは、彼女自身の手のひらでも簡単に掴みきれてしまいそうなほどに細かった。

足首だけではなく、ふくらはぎから太ももへと続くラインも信じられないほどにスリムであり、それでもほどよく女

らしい肉付きは残していて、柔らかそうな肌であることは一目瞭然であった。 


過去にも、無理やり彼女の腕を掴んだり、抱きかかえて屋敷に連れ戻したことなどがあるから、その肌に

触れた事はあるはずである。

・・・しかし、恋人という立場になり、そしてこれほどまでに女らしさを開花させた彼女に、意図的に触れた

事はまだない・・・。


今、自分のこの手のひらで腕や足を掴んだりしたら、彼女はどんな顔をするのであろう・・・。

自分の意思から遠く離れた場所で、そんな思考が浮んでは消えていく。


それでも今の彼女の表情は、そんな事とは無縁と感じるほどの幼い顔つきであり、それに気付いた真澄は

自分の考えていた淫らな想像を恥じるように、軽く首を振った。



「・・・この前は自分の車でしたよね・・・。タクシー・・・来てくれるんですか?時間も遅いのに・・・雨だし・・・」

「・・・・・・」


今度は、その上目遣いをしながらのマヤのセリフにドキリとし、彼女に顔を向けた真澄は言葉を失っていた。


距離的関係からしても、彼女が上目遣いになってしまうのは当然ではある。・・・が、前かがみになった彼女

の胸元は先ほどよりも更に大きく開いて見え、谷間がくっきりと映し出されている。

それは、健康的に焼けている首元の肌とは明らかに違う、普段は晒されることのない、白い敏感な肌。


まだ誰も触れたことのない・・・・。


真澄は開きかけていた自分の手のひらに力を込め、それをどうにか拳という形に変え、息を抜いた。



これがマヤではなく、例えば香水などを撒き散らし、見かけからしても男を知り尽くしたような女性であったと

したら、話は早いであろう。・・・それは、男を引きとめようとするセリフ。


しかし、今ここにいるマヤは、単に帰りの心配をしてくれているだけなのだ。

自分としたことが、そう気付くまでに何かを期待してしまっていた・・・。


真澄は額に手を当て軽く瞳を閉じる。

どうにも噛みあっていない二人の何かに苛立ちを加速させてしまう。


・・・当然、意図的にしているのではないのだと分かっている。 

それでも、先ほどから何度も欲望を押し殺そうと必死になっている自分に対し、どうしてマヤはこれほどまでに

鈍感で、刺激させるような態度を向けるのであろう・・・。



「速水さん?」



「・・・そうだな・・・困ったな・・・この時間でこの雨じゃあ、タクシーも空いていないかもしれん・・・」

真澄は苛立ちの末、わざと彼女を困らせるような言葉を出していた。


「・・・・えっ!?」

驚いたような声をあげるマヤ。


もちろん、ほんの冗談を言ったつもりである。 

この不況の世の中、タクシーは腐るほど客を待ち続けているのだから、呼べば喜んで飛んでくるに決まって

いる。


もちろん、この状況で彼女の口から ”じゃあ、泊まっていきますか?” などという言葉が出るのを期待して

いる訳ではなかった。

ただ、彼女がどんなリアクションを返してくるのか、短い時間であれこれと想像をしてみるのが愉快でたまら

ないのだ。


一方マヤはその言葉に大きな瞳を潤ませ、心配そうに真澄を見つめ返す。

そして、必死で頭の中を整理しているというような顔つきで、ようやく言葉を出し始めていた。


「えっと・・・タクシーが来ないと・・・困りますよね・・・。歩いて帰るのも遠いし・・・あ、でも、お屋敷に電話すれば

きっとお迎えが・・・・」


思った通りの言葉がマヤの口から飛び出し、真澄は口元が緩みそうになるのを堪えていた。

彼女がこんな風に困っている顔が、本当に可愛くてたまらない。


「あいにくだが、今日は運転できる使用人は出払っているんだ・・・困ったな・・・」


「・・・・・・ええ・・・・?じゃ、じゃあ・・ど・・・・どうするんですか・・・・?」


「そうだな・・・・・」


「・・・・・?」


「仕方がないから、今夜は泊めてもらおうかな・・・」

・・・驚くほど簡単に、軽々しい事を口にする真澄。


「・・・・・・・????」

横目で確認すると、マヤは、みるみると顔を真っ赤にし、勢い良く真澄から顔を背けてしまった。


「はっ・・・・速水さんってば・・・もうっ・・・・」


「・・・なんだ?」


「・・・じょ、冗談・・・です・・・よね・・・?」






「その通り、冗談に決まっている」


「!!!!!!」


マヤは、最初は何が起きたのか分からない、というような間の抜けた表情をしていたものの、すぐに頬を膨らめ、

明らかに怒りを含んでいるというような顔つきに変わった。


真澄は、その顔を見て思わずクックッと笑いが止まらなくなる。

自分に対してもおかしくてたまらないのだ。

これほど無邪気な彼女に対し、そんなやましいことをしようとあれこれ企んでしまった自分はどうかしている

のではないか、と・・・。


真澄はワイシャツのポケットからタバコを取り出すと、目を細めながらライターをカチンと弾いていた。


「そ、そうですよねっ!あたしも冗談だと思いましたっ!!」

マヤが興奮気味に叫んでいる。


「・・・その割には、ずいぶん顔が赤いようだが? 君さえよければ、どんなことを想像していたのか、細かく

聞かせてくれないか?」

タバコを口にくわえながら、冷ややかに言葉を並べる真澄。


「・・・・・・・」

マヤは押し黙り、唇を噛み締めながら俯いてしまった。


・・・少しイジワルをしすぎたであろうか。

でも、ついつい、こういう表情が見たくてからかってしまう。 もしかしたら、自分の気持を誤魔化すためにも、

彼女を子供扱いをしてしまっているのかもしれない。

そして、例え怒らせてしまったのだとしても、今はまだ、その方が救われるかもしれない、とも思う。

この前のような事がもう一度あれば・・・今度は本当に自分の感情を押さえ込む自信など欠片もないのだから。


真澄はふいに真面目な顔つきをし、大きく煙を吐き出した。

このまま、この雰囲気が続けば、もう感情的にならずに済みそうだ、とホッと胸を撫で下ろしていたのだ。



ところが、たばこの煙をくゆらせていると突然、マヤが立ち上がったため、真澄は咄嗟に顔をあげる。


「マヤ・・・?」


真澄は彼女が立ちあがった為、無意識にマヤのスカート、そして素足を間近に目にすることになり、ドキリと

して視線を流した。


「なんだ・・・?怒ったのか・・・?」


真澄の問いかけに返事すらしないマヤは、何かを思考しているようである。

そして、彼女はまるで彼に構うことなく、ヒラヒラとスカートをなびかせながら、隣の部屋へと向かっていった。



(・・・その部屋は・・・・寝室だろう?)

・・・真澄は、その事に気付いてハッと息を殺した。


居間と隣の部屋は木製の引き戸で区切られており、開け放てば一つの部屋になるという間取りになっている

のだが、マヤは向こう側は寝室として使用しているはずなのだ。


彼女はその引き戸に手をかけ、自分が通れるほどの間隔を開けると中に押し入り、消えてしまった。



彼女が何を考えているのか、本当に訳が分からない・・・・。

怒っているのだろうか、それとも何かを思い出して部屋に物を取りにでも行ったのだろうか。


マヤの取る行動は、ある時はとても単純ではあるが、時には彼にはとても理解しがたいのである。


(・・・・・・)


マヤがすぐに部屋を出てくる気配はなかった。

いや、実際にはほんの数十秒ほどしか経過していないのだから、それは無理やりこじつけた理由かもしれない。


・・・・真澄は無意識に立ち上がると、タバコを勢い良くもみ消す。



そして、追いかけるという名目で、彼はその小さな彼女の体に引き寄せられるようにして薄暗い寝室へと

向かっていった。




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