使用人からの内線の声が部屋に響くと、ウトウトとしていた真澄は30センチほど飛び上がっていた。
彼は転げ落ちるようにしてベットから抜け出し、ドキンドキンと心臓を鳴らし始めた。
やはり、落ち着きのない真澄の言動を、使用人達は怪しげに見守っている様子である。 ”ひょっとしたら奇妙な病気でもしているのではないか” などと疑っている可能性も高い。
「・・・応接間でよろしいですか?」
使用人の問いかけに対し、真澄はどうにか冷静に言葉を返していた。 それにしても、二人きりになりたくて思わず自室に呼んでしまう辺り、かなりちゃっかりしている。
使用人は、”熱があって会社を休んだんじゃないのかよ?”と心の中で突っ込んでいたが、何も言えずにいた。
そんな使用人の疑いや突っ込みにも気付かず、真澄はマヤの顔が見れると思っただけで顔色が変わり、パッと薔薇 の花でも咲いたような気分になっていた。 ・・・本当に現金な男である。 金持ちなので現金がすべてなのだ。
に立ちはだかり、愕然とする。
髪型だって、昨日からの嫉妬続きも影響したのか、まるでデーモン小暮状態になっているではないか!
いう計算がチラリと脳裏に浮かんでいた。 さすが、転んでもタダでは起きない男、速水真澄・・・。
(じゃじゃ〜ん!) ・・・また効果音つきだ。
これは、時々、仕事のしすぎで目が疲れたときに目蓋に貼ったりしている、優れものなのだ。 真澄はニヤニヤとしながら、額にそれを貼り付けた。
”早く治りますように・・・おまじない♪”なんて言いながら、ほっぺにチュウの一つでもしてくれるかもしれないぞ☆) 病人のくせになんとも浮かれた発想である。
とっておきのラフなトレーナーを着込んで待機することにした。 鏡を見ると、なかなか似合っているようで、ご満悦の真澄。
なんだかんだと年齢のことを気にしっぱなしの真澄。 彼は、マヤが ”速水さん・・・こんな私服姿も素敵!何を着て も似合うのね・・・” なんて言ってくれるかもしれない、と更に期待を膨らませてみたりする。 そして、顔がニヤけて 止まらない真澄は、まるで落ち着きのないハムスターのようにグルグルと部屋を回り始める。
携帯に連絡もしないで急に屋敷に来るなんて、なんだかおかしいではないか、と気付いたのだ。
真澄は自分で思いついたその言葉にハッと息を呑み、浮かれた表情を一変させた。 まるで心臓にズキュンとピストルの弾が貫通したような痛みが走り抜ける。
ないがっ!!!!)
ビクリとなった。
真澄は心の中では大きな動揺を抱えつつも、あくまでもクールに声を出す。
・・・会いたくてたまらなかった、愛しのマヤがドアの隙間からひょっこりと顔を出す姿が目に入った。
真澄は、あれほどバクバクとしていたなどという様子は欠片も見せずに、クールに対応していた。 彼もマヤに負けないほどの仮面を持っているに違いない。
彼女は、春を思わせるような薄い若草色のワンピースを着込み、手には小さな花束を持ち、もじもじとしながら こちらを見ているではないか・・・・。
真澄は、しばし彼女に目を奪われていたのだが、困ったような顔をしている使用人に、 「君、もういいから下がりたまえ。何か用事があれば声をかけるから」 と、偉そうに告げた。
使用人はジロジロと真澄の額の”冷え冷えぴったんこシート”を気にしつつ、ドアを閉めた。
つもりなのかという事・・・・。 それなのに、なぜか口を開けずにいる自分が情けない。
の洋子並みに強く言えたらいいのに・・・。 真澄はちょっぴり、洋子を羨ましくも思う。
はドキドキとする気持ちも感じていた。 ここが屋敷などではなく、どこか洒落たホテルかなにかであり、落ち込んだ気持ちでなければ・・・!! 真澄は、まるで現実逃避をするかのように、そんな場所でマヤの肩なんかを抱いて余裕の表情をしている自分を思 い浮かべてみたりする。
(俺ってやつは!!こんな切羽詰った状態でもバカな妄想をしてしまうなんて!!) 会議中でも妄想しまくりなのだから、さほどそれと変わりはないが。
下がらせた使用人に連絡をしようかと考え始める。 ところが、立ち上がろうかと思った瞬間、黙り込んでいたマヤが口を開いた。
ふいに声をかけられ、ビクッとしつつも、真澄は返事をする。
本当は心の病が重症なのだが。
真澄はハッと目を見開き、思わず体を硬直させていた。
ドキン、ドキン、ドキン・・・・
マヤは驚いたような顔をして真澄を見つめ返している。
言葉にしてしまってから、自分でも相当ヤバイと思っていた。
どうにも誤魔化すことができず、真澄は完全にパニック状態であった。 ところがマヤは、大きな瞳をさらに大きくさせ、俯きながら言葉を出した。
やはり、マヤは里美に会って心変わりをしてしまったのだ・・・と・・・・。
別れの予感を胸に抱え、どうにか繋ぎとめようと言葉を探す、情けない男・・・。
(幸せなど、やはり、この俺には求めることも掴むことも許されないのだ・・・)
しかなくて・・・」
感傷に浸っていた真澄であるが、微妙に会話がズレ始めたことに気付き、湿り気のあるまつ毛をパチパチとさせ 始めていた。
やっぱりもう、速水さんの耳には入ってたんだ・・・本当にごめんなさい!!」
真澄は、目の前の雨雲がサーーッと消えていくのを感じていた。 (俺と付き合っていることを里美に・・・って・・・??なっ!!!!それはつまり・・・・!?!?!?)
「え?」 「携帯電話・・・だ・・・俺は昨日メールを出したんだが・・・返事が・・・」 「そ、それも謝らなくちゃいけないのっ! あたし、あれほど速水さんに”携帯電話は必ずいつでも持っているよう に”って言われたのに、テレビ局の控え室のロッカーに忘れてきちゃって!!」
も分からなくて困っちゃったの・・・。で、仕方がないから、大都芸能に朝、電話してみたの。そしたら急病でお休みし ているっていうから・・・」
(お、俺としたことが!!!)
よく分からないし・・・でも、あたしのせいで速水さんのお仕事がうまく行かなくなっちゃったらどうしよう、って・・・」 マヤは大きな涙を浮かべながら言葉を出していた。
いやもう、ほんとにそれ以前の問題である。
「もういいんだ・・・マヤ。ちょうどいい機会だから、そろそろ交際宣言をしてしまおうじゃないか。君が気にする事は なにもない・・・」
の夜は良く眠れなかったの・・・」
真澄は胸が熱くなり、ひたすらマヤを強く強く抱きしめる。
・・・度が過ぎる大嘘である。 昨日なんて、携帯を中心に世の中が回っていると思われるほど気にしていたのだから、忘れるなんてあり得ない。
「ありがとう・・速水さん。 なんか、里美さんとの事も、あれこれ勝手に噂されてしまってたから、もしかして速水さん が疑ったりしてるんじゃないか、心配だったの・・・」
真澄は痛いところを疲れていたが、フッと余裕の表情を取り繕う。
真澄は、勝手に勘違いをして嫉妬しまくり、とうとう子供の知恵熱のように発熱までしてしまったという事実を欠片も 見せず、堂々とマヤにそう告げた。
マヤは、真澄の名演技にまんまと騙され、言葉を続けていった。
「・・・なんだ?」 「あたし、里美さんと昔、海に行ったんです。 それで、”また行こうよ”って昨日誘われて、昔の事をいろいろと思い 出していたの・・・」 マヤはそこまで言うと、遠い目をしていた。
・・・彼は、どうして彼女がそんな嫌なことをわざわざ言うのかとムッとしそうになる気持ちを抑え、とりあえず耳を 傾けることにした。 本当は、聞きたくなくて耳を塞いでしまいたいとも思い、冷や汗を浮かべているのだが。 しかも、そのデートの情報は原稿用紙100枚分以上のレポートによって詳しく知っているという事実も隠さなくては ならないという点が非常に苦しくもある。
ことばかりが浮んできちゃうの。 久しぶりに里美さんに会ったらどんな気持ちになるのかって不安だったけど・・・ あたし、はっきり確信できたみたい・・・」
真っ黒になった心の中のススも消え去り、空気はどんどん浄化されていく・・・。 別の意味で、今度は胸が熱くなって泣きそうになった。
「・・・・?」 「ほら、昔好きだったはずの人が、そうじゃない人になってしまったんだ・・・って実感したこととか・・・」
今までだって、とりあえず付き合った女性はいたけれど、都合が悪くなって別れてしまっても何の感情もなかった。 ・・だから、『忘れられない女性』なんてのもいないわけで・・・。
ものなんだ・・・」 とりあえず、口からでまかせを並べていた。 本当は、真澄にとっての初恋はマヤであり、これほど愛しい気持ちを 抱えたことだって他にはないのだが。 そんなこと、言える訳がないのだ。
し、当たり前かっ」 マヤは、そう言いながらペロッと舌を出しておどけている。
・・・虚しい気持ちが泉のように湧いて出てきていたが、どうにもならない。
マヤは、首を傾げながら真澄の顔を覗きこむと、心配そうにしているようだ。 「あ、ああ・・・大丈夫だ・・・」
「ふふっ・・・さっきから思ったんだけど、速水さんでも”冷え冷えぴったんこシート”なんて貼るんだ・・!可愛いっ! 似合わないのに似合ってる〜〜〜!!」
真澄は、話の流れ的に、なんだかビミョーな気持ちになっていた。 (くそっ・・・・・・)
いや、間違いなく妄想通りである。
ないですねっ!」 真澄は、この言葉だけは嬉しく感じつつも、ついつい 「君は見た目も精神年齢も実際より若いから、それはどうかな・・・」 などと言ってしまう。
「クックックッ・・・」 真澄は、頬を膨らませたマヤが可愛くてたまらないと思った・・・。 先ほどまでのブルーな気持ちがウソのようだった。 そして、”悪い夢であってくれ”などと祈っていた自分を忘れ、 幸せな現実を噛み締めていく。
本当に調子のよい男、速水真澄。
マヤと真澄の交際宣言が出されると、寝耳に水のマスコミたちは、それはもう大騒ぎであった。 しかし、そんな強い話題を抱えてスタートしたドラマも絶好調の視聴率を確保し、真澄の株も上がるばかりとなり、 すべてが順調に進んでいった。
で画面に映るシーンがあろうが、もう問題なし、という顔つきで余裕の真澄である。
ひょっとして、ショックのあまり、シャンパングラスを割ったりしたんじゃないのか?いやいや、お前のことだから、 ポップコーンのカップでも握りつぶすのかな・・・?) 自分の過去を棚に上げ、本当に嫌な男である。
永遠に赤・・・・。なんという素晴らしいことだろう♪♪ 今後も、マヤと関る男達の信号は赤しかないと決まっている のだ!!
コンコン・・・
「やあ、水城くん・・・」 「社長。ドラマも好調にスタートしましたし、交際宣言も良い影響を与えてくれましたわね。さすがですわ・・・」 「ははは・・・俺を誰だと思っているんだ・・・」 まるですべてを計算して行動したかのように威張る真澄。 かなりのお調子者である。
「当たり前だ・・・そんな小さなことを気にしていたら女優を恋人になんてできないさ・・・」
どっちにしても、彼が仕事に関する集中力は欠けっぱなしらしい。
が大幅に減ったように思うのですが・・・」 ふいに水城が、何やらひっかかるような言い方で更に話を進めてきた。
真澄はドキリとしながらも、平静を装っていた。 実は、脚本家に金を握らせ、そのように仕組んだのは真澄本人 なのだから・・・。
気まぐれなのは真澄であろうが。
水城はそう言うと、バサッと紙の束を真澄に手渡す。
水城がコツコツとハイヒールの音を響かせて部屋を出て行くと、それにチラリと目をやる真澄。 彼は、彼女が出て行ってホッと息をつくと、手渡された書類に目をやった。
「・・・・」 (6ヶ月・・・・・・半年・・・・・・180日以上・・・・・) 真澄は、大きな溜息を漏らしてしまった。 マヤと長い間、離れ離れになるという事を想像すると、寂しさが湧いて出てきてしまうのだ。 せめて・・・それまでに、もう少し二人の仲を進展させておきたいものだとも思う。 これに関しても、弱気な自分には頭が痛い課題ではあるが。
充分、素質はあると思うのだが。
の嫉妬メーターがカチンと作動するのを感じた。
男友達のつもりで相談に乗っていてもらったのに、気付いたら一番大事な存在に・・・なんてパターンもよくある。 まあ、マヤに限って、桜小路なんぞに心を動かされるとは思えないが・・・この男のしつこさはギネス並みなのだ。
自分のしつこさを棚に上げ、そんなことを思考する真澄。 「・・・・・・・」
すると、この間コーヒーで汚れた桜小路が表紙になっている本がまだ置いてあることに気付いた。
真澄は何気なく、その雑誌を手にしていた。 相変わらずセンスのないシャツに太い眉、そしてまっすぐなカメラ目線で映っている姿だけでも腹が立つ。 ・・・が、更に、コーヒーの染みで、なんだか桜小路のほっぺが赤くなっているようにも見える。 まるでマヤを見な がらこんな顔をしているかのように!! 毎晩、こんな顔をしてマヤを思い浮かべて、どんなことをしているのかと 想像すると、ハリセンで叩いてやりたい気分だ!
恋人である自分よりもマヤと共有している時間が長いなんて、なんとも許せない!
真澄は誰も見ていないのをいいことに、桜小路の額をデコピンで連打していた・・・・・。 なんともオイタワシイ姿・・・。
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