空色の一日



「誕生日は、何が欲しい? どこに行きたい?」

何度となく、真澄に問われていた言葉。


2人が付き合いだして、初めてのマヤの誕生日。

真澄は本当にマヤを愛しく思い、最高の誕生日を祝ってあげたいと思っていた。


ところがマヤは、

「いいの。本当に何もいらないの。 お休みが取れたら、のんびり過ごしたいなあ。」

そんな事を言っていた。


マヤはオフを一日もらい、真澄もなんとか仕事の都合をつけ、2人は当日を迎えた。




2月20日。

まるで春が訪れたかと思うような、風のない、暖かい一日が始まろうとしていた。

真澄もマヤも、今までの冬服よりも薄い長袖のシャツに軽めのジャケット姿。


いつもの真澄の車に乗り込み、とても嬉しそうな笑顔を見せるマヤ。

体中から幸せが溢れているのが分かる。


「どうする?どこに行きたい?」

とうとう、当日の朝にまで、また同じ質問を繰り返すことになってしまった。


カチリ、とシートベルトを締めたマヤは、まっすぐに真澄に視線を合わせる。

「あのね・・・この先に、大きな川原があるの。 あたし、よく発声練習とかで行くんです。

ちょっとだけ、そこに行きたいなあ・・・」


「川原・・・か。」

真澄は、余りにも意外な場所を指定され、とまどいながらも車を走らせた。


「まさか、俺まで発声練習の稽古に付き合わされるんじゃないだろうな?」

「や、やだ〜!違いますよ!」

付き合い始めても、相変わらずの2人のやりとり。

笑い声を乗せた車は、すぐに目的の川原に到着した。


「今日は本当に暖かいですね!!」

マヤは、まるで子犬のように駆け出し、どんどん先に行ってしまった。

「おいおい・・・待ってくれよ」

真澄は、マヤを軽く追いかける。

そして、ほんの一瞬で座り込んでいるマヤに追いつき、隣の場所をキープした。


マヤは、それと同時に大きく腕を伸ばし、思い切り仰向けに寝転ぶ。


「わあ〜空が、すっごくキレイ・・・・」

「ん?」


真澄はつられて空を仰いでみた。


どこまでも続く、水色の大空。 大きな雲がたくさん浮かび、少しずつ流れていく姿が目に映る。

「ほんとうだな・・・」

真澄も、マヤに続いて仰向けに寝転んだ。


こんな風に、昼間の空をじっくりと眺めて時を過ごすことなど、いつの間に忘れていたのだろう。

星空を眺めることは時折あるけれど・・・昼間はいつも、仕事に追われ・・・時間の感覚も忘れて

毎日を過ごしてたかもしれない・・・。


「速水さん、お仕事忙しいから、こんな風に昼の空を見上げる事なんてないんでしょう?」

・・・まるで、心を見透かしたかのような、マヤの言葉だった。

「ああ・・・たまには、こういう風景も見ないと腐りそうだな・・・」


しばらく、2人は吸い込まれるように空を見つめ、交わす言葉もなく、時を過ごした。





「あたし、もしも速水さんに出会わなければ、何をしていたのかなあ。」

突然、ポツリとマヤが呟いた。

「・・・それは、俺だって聞いてみたい・・・」

真澄はそう、素直に答えていた。


過去を振り返ればキリがない。 さまざまな出逢いや別れがあり、今の自分がいる。

どこかで何かが違っていれば、マヤとはめぐり逢えない運命だったのかもしれない。




「速水さんが、普通の会社の人だったら、出逢えなかったのかなあ。」

「・・・・。」

今自分が不安に思っていた事をそのままマヤが口にしたので、真澄は少し息を呑んだ。


「・・・もしかしたら、出逢い方が違うだけかもしれないぞ。」

「・・・・例えば?」


マヤが、ふっと空から視線を外し、真澄に振り返った。

「例えば・・・・会社帰りの俺が、万福軒に立ち寄る、とか・・・」

「や・・・やだあ〜!なんか、ロマンチックじゃないわ!!」

真澄がクックックッと笑い出すと、マヤは頬を膨らめてまた空に視線を戻してしまった。


「じゃあ、もしも君が大女優のままで、俺が一般の市民だったら、どうなんだ?」

「・・・・・。」


マヤは、なかなか答えを出さない。 

こういう時、本気でじっくりと考えてしまうのが、彼女のいいところなのだ。


真澄はスッと手を伸ばし、サラサラのマヤの黒髪に触れる。


「そしたらきっと・・・俺は君のファンクラブに入って、毎日舞台を観にいっているだろうな。

紫のバラを抱えて。」

「え?それじゃあ、あんまり変わらない気がする・・・」

真澄は、そんなマヤの言葉を聞き、おもむろに体を起こした。

そして、マヤの顔をじっと覗き込み・・・彼女の小さな可愛らしい唇を一瞬で奪う・・・。


付き合い始めた頃から変わらず、こんなキスだけで顔を真っ赤にしながら、恥ずかしそうに

目を逸らしてしまったマヤ。

真澄は愛しさを込めた瞳で彼女を見つめ続け、呟いた。


「だから・・・どこでどう人生が変わっていても、君とは共に歩く運命だったって事だ。」


真澄の言葉に、マヤは小さく頷いた。


2人は手を絡ませ、再び空に心を奪われていく・・・。

空は何も語らないものの、とても大切な時間を与えてくれた。

・・・とても大切なことを教えてくれた。


こうやって愛しい人と何かを共有する幸せ。

同じ景色でも、一人で見るときとは、まるで違うという感覚。

それが、共に生きていくという意味であり、必要としているのだということ。


真澄は、目の前に広がる川の音や、遠くから聞こえる野球の練習の掛け声に耳を傾けながら、

繋いでいないほうの手を、自分のジャケットのポケットにそっと入れた。


・・・そこには、プロポースするために用意した、指輪の入った箱がひとつ・・・。

本当は、どこか洒落たレストランかどこかで渡そうと思っていた贈り物。

・・・どうしても、この青空の下で、渡してしまいたくなった。


「・・・マヤ・・・」

真澄の呼びかけに、マヤがそっと振り返る・・・。





2月20日。

本当によく晴れた、暖かい1日だった。


それは、マヤの記念すべき誕生日でもあり、忘れられないプロポーズの日になった。





おしまい