小さな贈り物 (前)
春の訪れと共に、真澄とマヤの結婚式が近づいていた。
数々のハードルを乗り越えてきた。 紫織との地獄のような婚約解消、そしてそれに伴う損失の埋め合わせ、英介の説得。 女優として のマヤの立場を考え、世間への公表を控えて隠れるようにしか会えない日々・・・。
しかし、それをマスコミが黙っている訳はなく・・・あれこれと辛い噂を立てられ、記事にされたことは 1度や2度ではなかった。
・・・あまりにもひどい記事が雑誌に取上げられたのは、つい先日のことだった。 例の事件に関わった 人物が情報を漏らしたのであろう。 発行部数の少ない無名に近い雑誌だったこともあり、その後は 大都の力で無理やりねじ伏せ、話題を消した。
決して忘れてはならない過ちを突きつけられ、マヤを想えばこそ、真澄の心を苦しめていく・・・。
すべてを水に流して心から真澄と幸せになる決意をしていたにも関わらず、残酷な記事により 心が痛んでいた。 それはもちろん、真澄に対する恨みではなく・・・自分の過去に対する罪悪感。 そして真澄を苦しめてしまった、という切ない思いがそうさせていた。
「社長・・・実は、こんな物が届いているのですが・・・」 真澄が書類を片手に持ちながら視線を水城の手に移すと、そこには小さな封筒があった。 ありがちな茶色の封筒。パッと見ただけであまり新しくなさそうな、古ぼけたものだ。 「それが何か?」 真澄がさほど興味を持たずにそう答えると、水城が静かに口を開く。
「!!」 真澄の顔色が即座に変化したのが分かった。
配達先が古い寮の住所になっていたので、宛先不明で倉庫に保管されていて・・・。 今回、たまたま機転を利かせた局員の方が気付いて、こちらへ転送して下さったのです。」
真澄は書類に目を通すフリをしながら、なるべく冷静を取り戻そうと気持ちを抑えた。 しかし、胸の中がに広がっていく不安は隠しきれない。
何か問題があるのでしたら、私からでもよろしいですわ。」
「・・・ああ・・・分かった。 少し・・・考えさせてくれ。」 「かしこまりました。」
そして無意識に窓の外に目をやり、部屋に射し込む光の先を目で追いかけながら、両手で髪を 軽くかきあげ、灰色の煙を吐き出した。
彼女と一緒になる為の苦労など、辛いと思ったことはひとつもなかった。
消し去れない不安がいつも付きまとっていた。 『・・・本当に彼女は、自分を必要とし、すべてを承知の上で一緒になってくれるのだろうか・・・。 それともまだ、心のどこかであの事件の事を思い出し、俺を恨む気持ちを必死で殺しているのでは ないだろうか・・・』 とにかく、マヤを手放したくない一心で、半ば無理やり結婚を決めたというのも事実に近かった。
小さな罪悪感を持っているのかもしれない。
今まで何度そう思って生きてきたことだろう。
夕方を過ぎた頃、真澄は頃合を見計らって水城に声をかけた。 「・・・何かご用でしょうか?」 水城が長い髪をなびかせながら近づいてくると、真澄は少し言いにくそうに言葉を続けた。
水城くん・・・代わりに、彼女と食事をしてアパートまで送り届けてくれないか?」 「社長・・・!」 真澄はタバコを取り出し、静かに火をつけた。 「彼女に、例の手紙を渡して欲しいんだ。」
水城の問いかけに、真澄はタバコの煙を吐き出しながら静かに答えた。
決して思い出させないように、普段から母親の話題も避けているのが分かる。 話題に触れて 欲しくないのが分かるんだ・・・」
「あの子は、あの事件に関しては相当、俺に気を遣っている。 母親の墓参りも・・・俺に言わずに 一人で行っているみたいだしな・・・」 「・・・それは・・・社長がお忙しいから・・・」 そう言う水城の言葉をかき消すように、真澄は続ける。
泣くだろうな。俺を心から恨んでいた頃なら、まだいいが・・・・今はそうじゃない。」 「・・・・。」 「俺が渡せば、彼女は気を遣う。 あの子は以前、こう言った。『悪いのは全部あたしですから、 速水さんは何も悪くない』 と。 ・・・・俺には、そうは思えない。」 「でも・・・」 「決して逃げている訳ではない・・・。これ以上、彼女を苦しめたくない・・・それだけだ。」 真澄はタバコの煙と同時に言葉を吐き出し、そっと両手を組んで俯いている。 「・・・・。」
相手を思いやる気持ちが強く、気を遣っているということを知っている。 例え、母親からの手紙を見たとしても、マヤが真澄に対する憎しみを復活させるなどという事は ないと確信できる。 しかし・・・・少なからずとも過去を思い出すことは間違いない。
責めてしまうことも考えられるのだ。 「かしこまりました・・・私にお任せください。」 しばしの沈黙の後、水城はそう静かに答えた。 コンコン・・・
「マヤちゃん!」 「水城さん・・・ちょっと早かったかなあ・・・速水さん、もうお仕事終わりました?」 マヤはおずおずと部屋に足を踏み入れた。 一瞬、何もかも忘れて微笑んでしまいたくなるほどの、愛しいマヤの姿が真澄の目に映る。
真澄がそう言いかけると、水城がすぐに間に入った。 「マヤちゃん・・・ごめんなさいね・・・。実は、どうしても社長に今日中に仕上げてもらわないと困る書類 があって・・・。 それで、私が代わりにマヤちゃんと食事のお相手をしてもいいかしら?」
マヤは困惑した表情で真澄に視線を移したが、すぐに肩を落とし、無言になって俯いた。
「本当にごめんなさいね。結婚式も近いし、仕事が押しているのよ。」
溜息をついた。 「じゃあ、仕方ないですね。今日は許してあげます。 その代わり、水城さんとすっごいおいしい 料理を食べてきちゃうから! 当然、速水さんのポケットマネーから出してもらえるんでしょ?」
真澄にも手に取るように分かった。
太らないでくれよ・・・」 真澄がそうからかうと、マヤは真っ赤になって頬をふくらませた。 「ふんだ!速水さんなんて大嫌い!仕事虫! 水城さん、早く行きましょう!!」 「マヤちゃんったら・・・。じゃあ社長、今日はこのまま失礼します。」 「ああ・・・頼むよ。」
真澄はうなだれるように机に片肘をつき、急ぐほどではない書類を放り投げ、息を吐き出した。
「いいんです!今日はたくさん食べたい気分なんです!それに、食べ放題なんでしょう?」 ・・・マヤと水城は、都内のホテルのディナーバイキングに来ていた。 マヤは次から次へと皿を空っぽにし、山盛りの料理やらデザートを食べ続けていく。 「本当にドレスが入らなくなるわよ・・・」 クスクスと笑いながら見守る水城であったが、心の中は別の事で一杯になっている。
・・・しかし、それとは裏腹なことも考えてしまう。 どんなに幸せでも、結婚前というのは不安が付き物なのだ。
正直、あの母親の事件に関しては水城も真澄の神経を疑い、不信感を抱いたことに間違いはなかった。 遠い昔の事とはいえ・・・残酷な事実であり、思い出して胸を痛めることもしばしばあった。 『どうするべきなのかしら・・・・』
マヤに声をかけられ、ハッとする。
水城は、そう誤魔化しながらグラスの水に口をつけた。 「あ、あたし、ケーキもっと取ってきます!」 マヤが席を立つと、水城は彼女の後姿を目で追いかけ、再び思い悩む。
水城は、少し汗ばんでいる両手を組み合わせ、なるべく冷静に・・・と頭の中を整理することに集中した。
渡すように頼んだことこそ、彼の誠意なのではないだろうか・・・?
自分の手で渡してあげたかったに違いないのだから・・・。
『やはり、これは今日渡すべき物なのかもしれないわ・・・。』
マヤが嬉しそうな顔で戻ってきたので、水城は慌てて笑顔で顔を上げた。
そう言いながら、幸せそうにケーキを頬張るマヤを見つめ、水城はようやく心を決めた。
「あ〜たくさん食べちゃった!ご馳走様でした!・・・あ、後で速水さんに請求しないとね!」 水城の車に乗り込むと、マヤは満足そうにお腹をポンポンと叩く。 「マヤちゃん!とても結婚を控えた女性とは思えないわよ・・・。ほんとにもう・・・」 水城が溜息まじりにそう言うと、マヤはペロリと舌を出しながらシートベルトを締める。 それを確認すると、水城は静かに車を発進させた。
・・・ふいに、何とも言えない寂しい風が心を吹き抜けていく。
忙しくて・・・こんな風に寂しい思いをするのかな・・・。
「やっぱり私では役不足だったかしら?」 からかうように水城が声をかけると、ハッと表情を変えるマヤ。 「や・・・やだ・・・水城さんとも十分楽しめました。たまには女同士っていいじゃないですか。」 「それならいいけど・・・」 その先の会話が続かず、妙に静けさが漂う車内。
「水城さん・・・あたし・・・・本当に速水さんと・・・・結婚するのかな・・・」 「・・・・マヤちゃん・・・」 あまりに唐突なセリフに、息を呑む水城。
「いえあの・・・なんていうか、実感がなくて。いろいろあったし・・・」 マヤはもじもじとしながら髪をいじり、自信のないような声で言葉を続けていく。 「速水さん・・・本当にあたしと結婚して幸せなのかな? あたし・・・速水さんに必要とされているのかな?」 「・・・マヤちゃん・・・」
などを受け取ったら、彼女は何を思うのだろうか。 あまりにも時期が悪すぎるのではないだろうか?
「・・・・そうですよね・・・」 いつもよりも更に小さく感じるマヤの姿。 身寄りもなく、余りにも真澄と違いすぎる立場の彼女。 『結婚は当人同士だけの問題ではない』と言われている通り、これからの結婚生活には、真澄の 背後の人間関係まで付きまとうのである。 それだけでも、さぞかし不安を抱えているに違いない。
「水城さん!ありがとうございました!」 車がアパートに着くと、マヤは元気な声でそう言った。 「いいえ・・・私も楽しかったわ。また、2人で食事しましょうね。」 「ハイ!・・・・あ、そうだ・・・今日は麗がいないんだ・・・」 マヤはアパートを見上げ、ふいにそう言った。 つきかげのメンバーは地方公演の為、昨日から留守が続いているのだ。 「あら・・・そうなの?寂しいわね・・・」 「ええ・・・だから今日は、速水さんと会う約束してて・・・あっ・・・な、なんでもないです。」 マヤがモゴモゴしながら走り出そうとしたので、慌てて水城が声をかけた。
「・・・え??」 水城は、ゆっくりとハンドバックを開け、例の封筒を取り出した。 「・・・・何ですか?それ・・・・」
時間が止まってしまったかのように緊張した空気が流れる。 「・・・あれ?これって、前の寮の住所? 誰から・・・・」 マヤはそう呟きながら差出人を確認しようと封筒の裏を向けた。
そこには、『北島 春』 と小さな文字が書かれている。
マヤが消えそうな声で水城に問いかける。
なる年に配達されるというのがあったみたいなの。 でも、宛先の住所が不明でね・・・。普通は差出 人の元に返還されるんだけど、今はもうお母様も亡くなられているし、住み込みしていたお店も移転 してしまって・・・郵便局で保管されていたのよ。」 「・・・・・。」 「私も今日受け取ったばかりで。・・・たまたまマヤちゃんと会う機会があってよかったわ。」 「・・・・・。」
動揺しているのと同時に、今にも泣き出しそうな弱々しい彼女の姿は、水城の目に痛いほどに 焼きついていく。 「母さんが・・・あたしに・・・大人になったあたしに・・・手紙なんて書いてくれていたんだ・・・。」 マヤは放心した様子で、切れ切れに言葉を話し、手紙を胸に当てながら、水城に顔を向けた。
「マヤちゃん!」 マヤは一方的に別れを告げると、アパートの中へ吸い込まれるような速さで消えていった。
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