小さな贈り物 (後)
マヤは、アパートの階段を駆け上がり、ただいつも通りに部屋の鍵を取り出そうとバッグを開く。 しかし、あわてて差し込もうとした鍵は、手先が震えてうまく鍵穴に入らない・・・。 『何してんの・・・あたし・・・・』
そして、手探りでスイッチを探して電気をつけると畳の上にへたりこむようにして腰を落とした。
「母さんの字だ・・・」 そう呟きながら小さと息を呑む。
「ハサミ・・・どこだっけ?」 そう呟きながら勢い良く立ち上がり、戸棚を派手に開放する。 そして見つけたハサミを掴み取ると、再びその場に座り込んだ。 大切な手紙・・・。できるだけ綺麗な状態で取っておきたい、という思いがそうさせたのだった。
訳もなく感じる不安と緊張・・・・。 頭の中が真っ白で、何も考えられない。 ひたすら、無言でハサミを動かすことに集中する。
マヤは、一瞬目を閉じ・・・・心を決めるとカサカサと音をたてて便箋を引き出した。
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マヤ、20歳おめでとう。 この手紙は、あなたが20歳を迎える年に届く予定です。 今はまだ、お前が20歳なんて、とても 信じられないけれど、お前は何をしているんだろうね? もう寮を出て、立派な社会人になっていること だろうね。 どうかこの手紙が届きますように・・・。
帰る気持ちになれないほど、楽しんでやっているのだろうか・・・。
ごめんよ、マヤ。 お前にとって母さんとの思い出は辛いことばかりかもしれないね。 謝りたいことは山ほどあるけれど、お前が初めて出た学園祭の劇。 観にいってあげられず、本当に すまなかったね。 母さんは、どれだけ後悔したことだろうか。 もっとマヤの気持ちを考えてあげれば よかったと、何度泣いたか分からないよ。 いつかお前が舞台に立つのなら、母さんはお前がどんな役でも必ず観に行くからね。 だから、どんな仕事も胸を張ってやっていきなさい。
離れるのはとても辛いけどね。 いつか帰って来るのではないかと待ち続けていたけど、お前はとうとう 帰って来なかった・・・。
生きていきなさい。しっかり前だけ向いて、精一杯やれば生きていけるからね。
母さんは、どんな相手だろうと、お前を幸せにしてくれる人ならば反対などしないからね。 本当は、母さんにこんなことを言う資格はないかもしれない。 病気になってから、どんどん気弱になってしまい・・・まるで遺書みたいな手紙だね。 本当は、実際に会って20歳のお祝いをしてあげられると信じているよ。 辛い思いばかりさせて、本当に本当にごめんよ。
世界で一番愛しいマヤへ 母さんより |
「母さんが・・・いつも使っていた万年筆の色だ・・・」 懐かしい筆跡だった。 手紙の所々は文字がにじんでいる。 きっと、泣きながらこの手紙に想いを託した に違いない。 病気になり、娘とも連絡がとれず、どれほど寂しい思いをしていたのか、マヤには痛いほど 伝わってきた。
畳の上に顔を伏せ、マヤは何度も何度も同じ言葉を繰り返し、まるで幼い子供が泣いているかのように 声を出しながら嗚咽し、顔を上げることすらできなくなっていた。 体中の水分が、すべて出て行ってしまうのではないかと思うほど、涙は溢れていく・・・。
『たった一人の娘に家出をされて、母さんはどれだけ辛かっただろう・・・』 『どうして、あれほど長い間、電話も手紙もしないで平気でいられたんだろう・・・』 その後悔は、真澄が事件に関わったこととは別問題であることを改めて確信する。 若かったからこそ、自分の夢を信じて飛び出すことができた。 失うものよりも、手に入れたいものの方が 大事だと思っていたあの頃。 『今のあたしは・・・?今のあたしなら・・・?』
『今のあたしは・・・本当に幸せなんだ・・・ 幸せだからこそ、失いたくないものが多すぎて、不安になっているんだ・・・』
マヤは、その部分を何度も頭の中で繰り返し、何かに開放されたかのような気持ちになった。
『あたしが幸せになれば、かあさんはすべてを許してくれるんだよね・・・』
心がそう叫んでいた。
もちろん、今すぐ真澄に会いにいく為に・・・。
「速水さん・・・まだ会社にいるのかな・・・。電話したほうがいいかな・・・」 独り言を呟きながら、ガラガラとアパートの外扉を開けると、先ほど別れたはずの水城の車がまだそこに あった。 「マヤちゃん・・・」 「水城・・・さん・・・」 水城は、心配の余り帰ることができずにマヤの部屋の様子をずっと窺っていたのだった。 「マヤちゃん・・・社長は、まだ会社にいるわよ・・・。今、連絡したところだから・・・」 まるですべてを分かりきったかのような、水城のやさしい言葉だった。
「水城さ・・ん・・・ありがとう・・・」 「さあ、会いたいと思ったなら、今すぐに会わなくちゃ、ね。そうでしょう?」 水城に背中を押され、車に乗り込むマヤ。 2人を乗せた車は、大都芸能へと向かって走り始める。
聞かなくても、マヤの気持ちは良く分かっている。
水城は、時々マヤの様子を気遣いながらも、近道を選び、車を走らせるのだった。
「水城さん・・・あの・・・本当に・・・」 マヤの言葉をさえぎるように、水城は言葉を続けた。 「さ、早く!! 私、今度こそ本当に帰るから。 帰りはきちんと社長に送ってもらいなさいね。」 水城は軽くウインクをし、マヤの背中を軽く押した。 『ありがとう・・・水城さん・・・・』
無人という訳ではないものの、夜の大都芸能は、昼間よりも寂しさを漂わせているように思える。 エレベーターを降り、コツコツと社長室に近づいていく。
ただ、もうすぐ会える、と思うだけで胸が高まっていくのが分かる。 彼に会うときは、いつもそうだ・・・。
こんな顔を見たくないから、彼は水城に手紙を託したに違いない。
ただ、ただ会いたくて・・・。どうしても会いたくて・・・。
・・・真澄の方は、マヤがすぐそこまで来ていることなど知らず、 先ほど水城から報告のあった言葉を思い出し、自問自答を繰り返していた。
寂しい思いをしているようですわ・・・。本当に・・・そばにいてあげなくてよろしいんですの?』
時間だけを経過させてしまったのだ。
心から守ってあげたいと思っている。 だからこそ、結婚を決めたのであり、その気持ちに嘘はない・・・。
叩きつけられたかのようにショックであった。 愛しい人の母親の命を奪った殺人者・・・。そう書かれていても 否定できない自分がいた。
冷酷な部分を再確認してしまい、その気持ちがマヤの元へと向かわせることができなくさせていた。
いたのではないだろうか?
・・・例えどんな理由があろうとも、俺が彼女を守らなければいけないのに・・・
限りある人生の時間の、ほんの一秒でも一緒にいたいからこそ、結婚を決めたのだから・・・。
「わっ・・・!」 「きゃあっ・・・!」 ドアを開けたと同時に、目の前でマヤが転がるように転び、真澄の腕の中にすっぽりと入ってきた。 危うくよろけそうになった真澄は、なんとか持ちこたえ、彼女を支える。 「チビちゃん!」 「は・・・やみ・・・さん!!」 マヤは、ノックをしようとドアに近づいていた時、急にドアが開き、慌ててつまずいてしまったのだった。 「何を・・・しているんだ・・・」 自分に会いに来てくれた事くらい分かっていたのに、ついついそんな言葉を投げかけてしまう。 「あ・・・あの・・・あたし・・・」 マヤの真っ赤になった目をみれば、どれほどの涙を流したのか、手に取るように分かった。
「は・・・速水さんの・・・バカ・・・バカッ!!」 「・・・・。」
「あたし・・・あたし今日・・・すごく楽しみにしてたんだから!!会いたかったんだから!!」 マヤは、思い余って感情的な言葉をぶつけていた。
落ち着いて真澄が言葉を返していた。
イヤです・・・」 「チビちゃん・・・」 「だって・・・だって、あたしたち、結婚するんでしょう・・・? なのに・・・なのに・・・・」 マヤの言いたいことはすべて言葉にはならなかったが、真澄の胸に深く突き刺さっていた。
マヤを失いたくないばかりに、自分のすべてをさらけ出そうとすることができなかった・・・。
真澄はそう言うと、顔を埋めたまま泣いているマヤの髪をなんどもすくいあげ、しっかりと彼女を抱きしめた。
やさしい真澄の問いかけに、マヤは、コクコクと胸の中で頷き、しゃくりあげて泣き続けた。 小さな小さな彼女の体は、真澄の人生を変えた、とても大きな存在であると改めて実感する。
真澄は、少し驚いて彼女の瞳を見つめ返した。 「いいのか・・・?」 マヤは、ゆっくりと頷いた。 「ああ・・・分かった。」 真澄はそう言うと、彼女を近くのソファーへと座らせ、自分もその隣に座った。
その愛情溢れる内容に、思わず目を潤ませる・・・。 彼も、愛しい母親を亡くした経験があり、その悲しさは十分胸に刻まれているのだ。 「チビちゃん・・・・」 手紙を読み終え、震える瞳でマヤを見つめる彼は、とても冷血漢と噂されるような人物とは思えない ほどに温かく、人間味が溢れていた。
「ああ・・・」 真澄も当然、その部分には、ドキリとさせられていた。
マヤは、鼻をすすりあげ、真っ赤な目を時折こすりながら、そう呟いた。
「速水さん・・・あたし・・・もう、これ以上大切な人を失いたくないんです。」 「・・・・。」 両手で顔を覆い隠し、消えてしまいそうな小さな声で呟くマヤ。
真澄は強く強く、マヤを抱きしめる。
ない事くらい、2人には分かってることだ・・・。
そう言ってくれているように感じたかった。
2人が幸せになる事だけが、精一杯の供養になるのだから・・・。
決して、マヤにだけは涙を見せないように強く強く、マヤを腕の中に閉じ込め続ける・・・。
「今度の休みに・・・必ず2人で墓参りに行こうな・・・」 震えるような真澄の声が、今のマヤの心にじんわりと広がっていくのが分かった。
2人の休日・・・。 約束どおり、揃って墓参りへとやってきた。 雨上がりの暖かい陽気に包まれ、なんとなく言葉数も少ないままで、墓石の前に立つ。
『マヤを、一生かけて幸せにしてみせます。必ず・・・どんな時も守ってみせます・・・』
「・・・・。」 「あたしに気を遣って、紫じゃないバラを買ってたでしょ?」 マヤは、少しからかうようにそう言った。
「分かりますよ・・・だって、あんなにすごい花束、速水さんくらいしか買わないでしょ?」 マヤが勝ち誇ったようにそう言ったので、真澄も軽く逆襲した。
「や・・・やだやだ!ウソ!?」 マヤが顔を赤らめてそう言うと、真澄はクックッと笑い出した。 「嘘だよ」 「!!!!!」 マヤは、プーっと膨れて駆け出した。
「いーだ!! 速水さん、おじさんだからこんなに軽やかに走れないでしょ〜!」 マヤは、いつも通りにおどけて先に走っていった。 しんみりとしてしまわないように、わざとマヤがそう させたのかもしれない。 いかにも彼女らしい行動だった。
「つかまったな・・・もう逃げられないようにこうしておくか。」 真澄はそう言うと、ガッチリとマヤの手を握り締めた。
「ん・・・・」 マヤが小さく頷く。
「もうっ!!!速水さんはいつも一言多いんですっ!!!」 真澄がクックッと笑い続けているのを見て、マヤは思わず繋いでいる手を離そうとしたが、真澄の強い力で しっかり掴まれ、断念した。 「もーーー!!速水さんなんて・・・速水さんなんて・・・・・」 お決まりのセリフを言おうとしてみたものの・・・あまり最後は力が入らなかった・・・。
「え?」 真澄に促され、雨上がりのぼやけた空を見上げてみると、太陽の近くに大きな虹がかかっているのが見えた。 「すご・・・い・・・・!こんな大きな虹、あたし見たことないかも・・・」 「俺もだ・・・」 2人は手を繋いだまま、しばらく立ち尽くして虹を見上げ続けていた。
マヤは、真澄の顔を下から覗き込み、そう問いかけた。
真澄は、マヤの手をますます強く握り返した。
真澄の言葉に少し顔を赤らめながら、マヤはコクンと頷いた。
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