雪に咲く紫のバラ 6

written by あお〜








あれから、どこをどうやって帰ってきたのか覚えていない。

電車に乗った気もするし、タクシーだった気もする。もしかしたら、ずっと走っていたのかもしれない。




気が付くと、マヤは家の近くの公園にいた。

コートが汚れるのも構わず、ブランコに腰掛ける。いつの間にか雪は止み、満月から大分欠けてしま

った月が顔を出していた。


月光が白銀の世界を薄暗く照らす。

ブランコの金具が鳴らす耳障りな金属音は、雪の中に消えていく。


ここで、このネックレスを貰った・・・。


マヤは、バラのペンダントトップをそっと触る。

女として見られていないことも、商品だと思われていることも、美しい婚約者がいてもうすぐ結婚して

しまうことも、決して叶うはずのない恋だってことも、みんな始めから知っていた。

それでも、転びそうになったとき繋いでくれた手が暖かくて、黙っていなくなったあたしを心配してくれ

たのが申し訳なくて、照れながら紫のバラを渡してくれたのが嬉しくて、「きれいだよ」と言ってくれた

ことはちょっぴり恥ずかしくて、抱しめられて貰ったネックレスは悲しい・・・。


マヤは手を首の後ろに回し、ネックレスをはずす。


2ヶ月前、自分で決めた。真澄とお別れしようと。だから、このネックレスはもう着けない。

この雪の中に置いていく・・・。


マヤはネックレスを握り締めた拳をもう一方の手で包み、胸元に押し付ける。まだ胸にくすぶる未練を

押し殺すように、言葉を紡いでいく。


「速水さん、ずっと見守ってくれていてありがとう。 あきらめそうになったときもあったけれど、やっと

あたしは紅天女を手に入れました。あなたはまだ頼りないって言うかもしれない。でも、もうちびちゃん

じゃないから、紫のバラがなくても大丈夫なはずです・・・」


マヤの声が響く公園で、月明かりに照らされ、ゆっくり、まっすぐマヤに近づく長身の男がいた。

男の足音は深く積もった雪にかき消され、マヤには聞こえない。


「あなたの笑顔、ちびちゃんって言う声、不器用なやさしさ、どれも・・・全部大好き」

マヤが瞬きをすると瞳から涙が零れ落ち、雪の中に吸い込まれる。


「・・・すごく自惚れていいか?」


静寂の中に、低い声が割り込んだ。

真澄は、ビクリと肩を震わせたマヤがこちらに視線を移すのを確認し、表情を崩さずに再度問う。


「君が好きなのは、俺か」


「・・・ごめんなさいっ!!」

弾かれたように反対方向へ駆け出そうとするマヤの手を捕まえる。


「速水さん、離してっ!」


真澄は掴んだマヤの手の冷たさにたじろぐ。


「マヤ、あれほど体に気を付けろと言ったのに、なんで無茶をする!」

真澄はたまらずマヤの体を引き寄せる。

真澄の温かさが洋服を通してマヤに伝わってくる。

真澄はマヤの髪の毛にそっと口付けると、片手でトレンチコートのボタンをはずし両側からマヤを包む。


「・・・どうだ、少しは温かくなったか」


真澄の言葉と仕草に、マヤは倒れそうになる。


もうお終いにするのに-------


「・・・速水さん、やめて。いくら恋に疎いあたしだって、男の人に抱きしめられて何にも感じないわけ

ないじゃないですか。許されない範囲くらいわかりますっ」

マヤは零れる涙を拭おうともせず続ける。

「もう、紫のバラがなくても、あたしはずっと大都に所属して紅天女を続けるつもりです。そんなウソ

までついて、引き止めなくても大丈夫ですから・・・」


真澄は何も言わず悲しそうに眉をひそめる。固く握られたマヤの拳を開くと中にあったネックレスを

奪う。


「次に会うときに、付けてくる約束だったろう?」

真澄はマヤのうなじに手を差し入れて器用にホックを止め、ペンダントトップのバラがちょうど鎖骨の

真ん中に来るように直してやる。


「よく似合っている・・・」

目を細め、人差し指でマヤの額から輪郭をゆっくりとなぞる。


な・・・に・・・?


真澄に触られた部分がしびれ、気を抜いたら今にも崩れてしまいそうな意識を、マヤは必死で保つ。


「マヤ・・・今度は俺が温めてやりたい」

真澄はそう言って、再びマヤを強く抱き寄せる。


真澄への気持ちが濁流のように押し寄せてくる中で、マヤはとにかく流されまいと努める。


「・・・あたしの気持ち、聞いたでしょ・・。速水さんが結婚しちゃうの、ちゃんとわかってます。迷惑だっ

て知ってるから、もうケジメをつけるって決めたの。だから、中途半端にやさしくしないで。辛いの・・・」


か細く反論するマヤに、真澄は力強い声色で答える。

「婚約は解消した」


“解消”という言葉にマヤは狼狽する。

「でっ、でも、あたし、見ました。TVに紫織さんと速水さんが映ってた。あと、約束の日は今日なのに、

お店に予約がなかった。それで、大都に電話したら速水さんは海外出張に行ってるってっ・・・!」


「俺ってヤツは・・・君に嫌な思いばかりさせてるな」

真澄は空を仰ぎ、大きく息を吐く。

親指の腹でマヤの目からあふれる涙を拭うと、そっと目元に口付ける。


「一つずつ言い訳する。店に予約が入ってなかったのは、多分、向こうのミスだ。俺が自分で電話した

から間違いない。海外出張は、婚約解消した罰で親父の命令だ。本来なら、今夜の約束の時間に間

に合う予定だったが、雪で飛行機が遅れた。君にも連絡できなくて、とても心配していた。店にもいな

いし、家に電話をしても出ないから、ずっと探してた」


真澄はマヤの額に口付け、続ける。


「紫織さんだが、偶然に空港で会ったんだ。向こうは家族で旅行に行くところで、俺の身勝手で迷惑を

かけたから、もう一度それを詫びた。どこから漏れたのか知らんが、婚約解消を聞きつけたマスコミが

押し寄せてな。あのざまだ」


今度は頬に唇を寄せる。


「婚約解消に伴って仕事の量が増えて、この1ヶ月ずっと忙しかった。この俺でも正直しんどかった。

でも1回分残っていた君との約束で、それは十分すぎるほど報われると思った」


そういうわけだ、と言いたげな顔でマヤを見る。


「なん・・で、結婚、やめたの・・・?」


「なんで?」

真澄はマヤの言葉を繰り返すと、マヤの額に、まぶたに、頬に、鼻に、優しいキスを浴びせる。

マヤはぎゅっと目をつぶり、真澄に体を預け、真澄の唇を感じていた。


「理由は、君が好きだから、君を愛しているから、君と一緒にいたいからだ・・・」


真澄はマヤの耳元で小さく囁くと、まだ触れていない彼女の柔らかい唇に自分のそれを合わせる。

マヤをいたわるように唇を動かす。触れれば触れるほど、その魅惑的な感触からは離れることが

できなくなって、感情的に任せるままキスを落とし続ける。

マヤが小さく、んっ・・、とうめくのを聞いて、真澄はもう一度深く口付けたあと、彼女を解放した。


「君の気持ちを、はっきり聞きたい。言ってくれないか」

呼吸を整えた真澄がマヤの目を見て言う。マヤも目をそらさず気持ちを伝える。


「速水さんが好きです。・・・ずっと、ずっと好きでした」

真澄はマヤの愛の告白を聞き、柄にもなく照れる。ごまかすために、もう一度キスしようと、マヤの

顔を引き寄せる。


「は、速水さん、ちょっと待って!」

マヤは慌てて真澄を押し返し、バッグから紙袋を取り出す。


「これ、あたしから、速水さんにプレゼントです」


「俺に?」

真澄が袋を開く。


「コーヒー豆です。速水さん、好きでしょ?」

にっこり笑うマヤを眺めた後、真澄はポツリと嘆く。


「・・・今日、君に気持ちを伝えるつもりだった。どちらの結果になろうと、次の日は仕事にならない

だろうから、1日休暇を取った」


真澄はマヤの顔を覗き込む。

「嬉しいことに事態は良い方に転んだみたいだ。・・・そこで、だ。なるべく近いうちに、朝、君と一緒

にこのコーヒーを味わえると嬉しいんだが、どうだ?」」


マヤは、意味がわからずきょとんとしている。

彼女の反応が思惑通りだったので、真澄はニヤリと笑ってマヤの耳元でボソボソとつぶやいた。

それを聞いて耳まで真っ赤になったマヤが、真澄のコーヒー豆を取り戻そうと試みるが、身長差が

それを許さない。

マヤがピョンピョン跳ねるたび、首にかけられた紫のバラが揺れる。

真澄は隙を見てマヤの腰に手を回すと、素早く唇を奪う。不意打ちに固まったマヤを抱き上げ、今度

はしっかり口付ける。

その後、しれっとして

「どちらに参りましょう?」

なんて言うもんだから、マヤは、もう敵わない、と降参する。




真澄の首に腕を回し、速水さんのイジワル、いやみ虫、冷血漢・・・とマヤはブツブツつぶやく。



その、雪のように白い肌には紫のバラが一輪、永遠に咲いていた-------





終わり






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