雪に咲く紫のバラ 5

written by あお〜







黒沼が終了の合図を出すと桜小路の誘いを断って、マヤは急いで稽古場から飛び出した。

今日もいつもより稽古が長引いた。まだ開いてますように、と祈りながらホームにちょうど滑り込んで

きた地下鉄に飛び乗った。


良かった、間に合った!


走った甲斐があり閉店30分前に着いたマヤは、呼吸を整え店内をぐるりと見回す。


あった!


真っ白なスラリとしたシルエットのコートだった。


まだ秋の名残の残る今から4ヶ月ほど前。マヤはショーウィンドウに飾ってあったこのコートに一目惚れ

した。稽古帰りだったマヤはショップのおしゃれな内装に場違いじゃないかしらと思いつつ、勇気を出し

て足を踏み入れた。ところがコートの値段を見てびっくりし、とてもじゃないけど買えない、と店を後にし

たのだった。


真澄と最後の約束をした翌日、なにを着ていこう、と悩んでいた時にふと思い出したのがこの真っ白な

コートだった。今日は高くても買う!という意気込みで来たのだが、ラッキーなことに店内は冬物セール

中らしく、そのコートも対象になっていた。

値札を返してみると、以前の値段よりだいぶ安くなっている。


マヤはほくほく顔でお目当てのコートとそれに似合いそうなプリーツスカートも買った。





帰る道すがら、マヤはふんわり漂ってくる香りに足を止める。振り返ると、匂いの元は最近良く見る

ワゴン車を店舗にするタイプのカフェで、仕事帰りかと思われるOLがカプチーノを注文しているところ

だった。ヴィーンと豆を砕く音が小さく聞こえる。

店先には、チョークで “コーヒー豆、量り売りいたします” と書かれた看板が立てかけられていた。


そういえば速水さん、ブルーなんとかってコーヒーが好きだったなぁ・・・。


マヤは足早にカウンターへ歩いて行くと、感じの良さそうなオーナーに、ブルーなんとかありますか、

と聞く。オーナーは愛想良く、ブルーマウンテンですね、と上に手を伸ばし、棚から豆を取り出した。





コートとスカートの入った大きな紙袋と、真澄のプレゼントのブルーマウンテンが入った紙袋を抱えて、

マヤは帰路につく。



このコーヒーを渡したら、真澄はどんな顔をするだろうと想像して嬉しくなった。











マヤは、新品のプリーツスカートと真っ白なコートを翻(ひるがえ)しながら、雪道を一生懸命に走って

いた。首につけたバラのネックレスがシャラシャラ音を立てて揺れる。


ああ、もう、あたしってば、本当にバカだ!大事な速水さんとの約束の日に忘れ物するなんてっ!!


午前中からちらほら舞っていた雪は、お昼を過ぎて急に本格的に降り始め、夕刻時には各交通機関

にかなり支障をきたしていた。

マヤは早めに家を出て、電車を乗り換え、もう少しで目的地、というところで真澄に買ったプレゼントを

家に忘れてきたことに気が付いた。これから取りに帰っても、ギリギリ約束の時間に間に合うと読んだ

マヤは、急いで引き返した。途中、雪の影響で電車が大幅に遅れるというハプニングにあいながらも

なんとか家にたどり着き、玄関に置きっぱなしになっていたプレゼントを掴んで、また駅へと戻った。


だが、なんと、線路内で事故があったらしく電車が動いていない。外に出てタクシーをやっと捕まえ、

目的地を告げる。道路の方も渋滞で、思うようには進まない。


ああ、もう約束の時間を過ぎちゃってる・・・。よりによって、なんで今日を選んで降ってくるのよ〜。


マヤは恨めしそうに、窓から雪を見上げたが、それでどうなるわけでもなく、タクシーはゆるゆると動い

ていた。











「えっ?ない?」


「はい、速水様でも北島様でもご予約いただいておりません・・・」


申し訳なさそうに支配人が頭を下げる。


マヤはもう一度、日時と場所を控えたメモを確認する。日にちも時間も、場所もあっている。約束の日

から今日が2ヶ月目になるので、日にちは間違いない。

となると、時間か場所を間違ってメモしてしまったのだろうか。


マヤは礼を言って店を後にすると、近くにあった電話ボックスに入った。大都の電話番号を押す。

3コール目で繋がる。



「あの、速水社長をお願いします。北島マヤです」

「もう退社しましたか?」

「えっ・・・?」

「いつ帰ってくるんですか?」

「そうですか。いえ、いいです。ありがとうございました・・・」



マヤの顔は青ざめていた。震える手で受話器を置き、ふらふらとボックスから出てくる。



“社長はただ今、海外に出張しております”

“出社予定は明後日になっておりますが”



-------どういうこと?



『俺は約束は守る男だぞ』

『君が嫌がることはしたくない』


マヤの頭に真澄の声が響く。


ウソ、ウソ、ウソ!!


声にならない叫びを上げながらマヤは走っていた。


ズズッ!

凍っている道に足をとられ、マヤは派手に転ぶ。


「痛っ・・・」

転んだ拍子に手首をしこたま打ち、真っ白なコートは泥水で汚れてしまった。



なにやってんだろ・・・。


ひとりで舞い上がって、新しくコートまで買って、家まで引き返して真澄へのプレゼントを持ってきた。


真澄にとっては暇つぶしくらいにしか思われていない約束だったのに・・・。



大きくため息をつく。



服についた雪を乱暴に払いながら立ち上がったとたん、目に飛び込んできた信じられない光景。


電気量販店のディスプレイ用に置かれたTVに、真澄が、いた。


空港で、芸能記者にもみくちゃにされながら、紫織と一緒に映っていた----------




マヤの思考は、悲しさと切なさと嫉妬で、完全に停止する。




もう、なんでもいい・・・。








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