雪に咲く紫のバラ  3

written by あお〜







カチャリ

「・・・・どうぞ、こちらでございます」


マヤを案内してくれたウエイターの声が響き、ぽっかりと四角く切り取られた空間に、大好きな

その人が現れる。

一気に熱くなる体に、マヤは一体いつの間にこんなに好きになっていたのか、と思い、記憶を

辿ろうとしたが、好きだった期間云々と言うよりも“好き”という気持ちだけでいい気がして止める。


『もう、お腹ペコペコ〜』と軽口をたたこうとした瞬間、それが目に飛び込んできた。

マヤがヒュッと息を飲む。


「遅れたお詫びではないが・・・」

照れくさそうに、すまなさそうに、真澄が透明のセロファンで包まれ、茎の部分にリボンの付いた

1輪の紫のバラをマヤに差し出す。


まるで壊れ物を扱うようにそのバラを手に取ったマヤは、驚きと喜びで目を見開いたまま、真澄と

バラを交互に見ている。やがて顔が緩み、ピンクのグロスをつけた艶やかな唇が嬉しさを表すと、

それを見た真澄の顔もほころび、安心したように席に着いた。


「途中で花屋に寄ったから、1本だけしかなくてな。君の紫のバラのひととしては、もっと大きな

花束を贈りたいところなんだが・・・」

真澄は首元に手をやり、心持ちネクタイを緩めると、

「待っただろう?会議が思ったより長引いてな。すまなかった」

と、謝った。


マヤはやや潤んだ瞳で、

「ううん。速水さんが来てくれただけで嬉しい。紫のバラもとっても嬉しい・・・」

と素直な気持ちを告げた。


「俺は約束は守る男だぞ」

真澄がわざと偉ぶって言うと、マヤはケタケタ笑う。


「今までの紫のバラも嬉しかったけど、これは速水さんから手渡しでもらったから、その中でも

特別。・・・ずっとそうして欲しいって思ってたの。だから大切にします」

そのあまりにかわいい言葉とにっこり笑う顔に、真澄の顔も自然にほころぶ。と、同時に心に強烈

な愛情と独占欲が湧き上がった。


俺はくらくらしそうなほど彼女に惚れている。この腕に抱きしめて、一生離さずにおきたい。

ずっとこの笑顔を見ていたい--------。





トントン


ドアがノックされ、料理がテーブルに置かれる。

さぁ、食べようとフォークとナイフを手に持ったとたん、マヤのお腹がグーッと鳴り響いた。

マヤは真っ赤になって俯き、お腹を押さえると恥ずかしそうに

「お昼、稽古で食べられなかったんです・・・」

と言った。

真澄は楽しそうに微笑み、

「今夜の君は随分と大人っぽい格好をしているから、どうしたのかと思ったが、いつものちびちゃ

んで安心した」

と、マヤの顔を覗き込む。


「なっ!どーせ中身は子供ですよっ。速水さんよりず〜〜っと若いですから」

マヤが噛み付きそうな顔で言い返す。

真澄はマヤの挑発に応じる代わりに、熱っぽい瞳で、

「きれいだよ」

と小さくつぶやくと、その言葉にマヤは固まる。


き・・・れいって・・・あたしに・・・言った?


マヤがやっと意味を飲み込んだ時には、すでにいつもの真澄で、

「さ、早く食べないと、またお腹に催促されるぞ」

とからかった。


「そっ、そんなにたくさん鳴りませんよっ・・・たぶん」

顔を赤らめてやや弱気に否定するマヤを真澄がまた、からかいながら食事は進んだ。






メインの魚料理が来たところで、真澄が先ほどの話題を蒸し返す。

「ちびちゃん、稽古中に食事を抜くことは良くあるのか?」


マヤは魚料理と格闘するのを中断し、

「え・・っと、抜いてるっていうか・・・あたし、忘れちゃうんですよね。桜小路くんも気を使ってくれて、

ご飯食べに誘ってくれたりするんですけど」

と言った。

真澄は“桜小路”という言葉にピクリと眉を動かす。

「役者は体が資本だと言っただろう。桜小路に頼らないで、自分で管理して1日3回の食事は

ちゃんと摂れ。紅天女の本公演に向けて、黒沼さんの稽古も厳しくなるんだろう。稽古中はもち

ろん、本公演が始まってからもきっちり健康体を維持すること」


真澄の強い命令口調にやや面食らいながらマヤは、すみません、と謝った。しかし、真澄の話は

終わらない。


「それから、お菓子はほどほどにすること。太りすぎの天女様はみっともないぞ。先に言っておくが、

自分の身を考えて役作りをしろ。 くれぐれも雨に打たれて熱を出すとか、黙って山に行くとか無茶

なことはするんじゃない」


真澄の一方的で執拗な言い方にマヤはちょっと膨れて、

「紫のバラのひとからもらったメッセージカードは、そんなにお説教臭くなかったのにぃ・・・」

とつぶやく。

つい真澄もムッとして

「メッセージカードに書かなくても、俺がいつも君に言っていたじゃないか。同一人物だぞ」

と咎める。


「だって、紫のバラのひとは速水さんのいい人ヴァージョンだもん」

その言い方と、口を尖らせたマヤがあまりにもかわいくておかしかったので、真澄のくだらない

嫉妬心は一瞬にしてどこかに消えてしまった。


「じゃあ、大都芸能社長の速水真澄はなんだ?」

真澄がいたずらっ子っぽく尋ねると

「ただのゲジゲジっ!」

と、マヤが間髪いれずに返事をしたので、真澄はこらえきれずに吹き出した。












夕食がフレンチのフルコースだった上、真澄が会議で1時間近く遅れてきたので、今回の3時間

は食事をしただけで終わろうとしていた。

まだ電車もあったので、マヤは真澄が車で家まで送る、というのを断ろうとしたが、残っている

貴重な時間を無駄にしたくないと思い直し、そのまま真澄の車に乗った。


「ねぇ、速水さん。紫織さん、何か言ってた?」


「何かって、なんだ」

真澄は唐突に持ち上がった紫織の話題に、不機嫌さを隠さずに答える。


「えっと、この前ロビーであったでしょ。あたしと2人でいたから・・・」

2人でいる、なんて、真澄にとっては取りに足らないことかもしれない、と思い当たり、マヤは言い

渋った。


「・・・ああ。大したことじゃない。今後のことを話していただけだ」


真澄の突き放すような言い方に、マヤは黙る。

車内にはぎこちない沈黙が横たわった。


マヤが何の気とはなしに窓の外に流れる風景を見ていると、カーラジオから聞き覚えのあるメロ

ディが流れてきた。


「あっ・・・」

小さい声でつぶやいたのを真澄は聞き逃さなかったらしい。ギアに置いていた手を動かすと、

ボリュームを上げた。


「この曲名を知っているか」


「はい。・・・トロイメライ」


「・・・覚えていたのか・・・」


マヤは小さく頷き、

「亜弓さんの家で弾いてくれたから」

と言った。


そのまま演奏に耳を傾ける。

最後の音が鳴り終わったときマヤは顔を外に向けたままポツリと、

「速水さんのピアノ、また聴けるといいな・・・」

と真澄に聞こえないようにつぶやいた。






マヤの家が見え、車は緩やかに減速していく。

シルバーのBMWは丁寧に道の片側に付けられ完全に停車した。


マヤはお礼の言葉を口にする。


「速水さん、今日はどうもありがとうございました。ご飯もおごってもらっちゃって。とっても美味しか

ったです。特に、デザートのケーキが・・・って、ちびちゃんだったらなんでもいいんだろ、とか思って

るかもしれないけど」

マヤがちょっぴり恥ずかしそうに微笑む。真澄は口角を上げて穏やかに言い返す。


「いえいえ、ちびちゃんに気に入っていただけて光栄ですよ」

マヤは、はぁ・・、と曖昧に返事をし、バッグと貰った紫のバラを手に持ってドアノブを引いて片足を

下ろした。再度、ありがとうございました、と言って立ち去ろうとした時、真澄が、待て、と低く言い

キーを回してエンジンを切った。


「まだ30分ある」


「・・・え?」


「俺が時間に遅れた分、約束の3時間まで30分残ってるだろ」

真澄の言葉にマヤは右手首の腕時計を見る。正確な時刻は覚えていないが、真澄が店に現れて

から3時間は経っていないかもしれない。


「あの・・・そんなにぴったり3時間じゃなくても・・・」

と言いかけたマヤを真澄は遮り

「その公園まで散歩に付き合ってくれ」

とマヤを連れ出した。








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