雪に咲く紫のバラ  4

written by あお〜







もともとこの辺りは静かな住宅地だが、夜の12時を過ぎ、今はここが東京かと思うほど、シンと

している。真澄はブランコ前に配置されたU字のポールにもたれると、タバコを取り出した。マヤ

は久しぶりにブランコに乗ってみようかと思ったものの、服が汚れそうだったのと、さすがに子供

っぽいかしら、と思い直し、真澄から1mほど距離を置いてポールに腰掛けた。


地面に付かない足をブラブラさせたマヤが、タバコを持ったまま一向に火をつけようとしない真澄

をいぶかしく思って聞く。


「速水さん、どうしたの?」


「君は、タバコが嫌いか」

手元のタバコを見つめながら、真澄が言う。

マヤは言っていいものか迷うが、嘘をつく必要もないと判断し、答える。


「えっ・・・と、どちらかと言われると、あまり好きじゃないです。煙の臭いと、喉がイガイガするのが

イヤなので・・・」


「そうか」

真澄は短くつぶやいて、タバコをケースに戻す。

マヤは慌てて

「あっ、で・・・でもっ、気にしないで吸っていいですよ。ここ外だし、それに絶対我慢できないほど

嫌いってわけでもないですし・・・」

と言うが、言葉を並べれば並べるほど相手の気分を害しているような気がして、終わりはモゴモゴ

とごまかす感じになった。


「いいんだ。君が嫌なことはしたくない。・・・それに健康にも悪いしな」


君ガ 嫌ナコトハ シタクナイ--------


この一言で、真澄に大切に扱われているような錯覚に陥ってしまったマヤは、商品として気に掛け

てくれているだけ、と自分に言い聞かせる。

会話が途切れぬよう、マヤは早口でしゃべる。


「じゃ、じゃあ、この際、禁煙って言うのは?一人だと続かないかもしれないから、う〜ん、そうだっ、

聖さんと一緒にすればいい!」


「聖と?」


「うんっ。聖さんはとっても意思が強そうだから成功するでしょ。それで、速水さんも負けず嫌いだか

ら、ぜ〜ったいに成功!」


真澄は、なんだそりゃ、と苦笑しながら、一輪の紫のバラを指揮棒のように動かし、ひとり盛り上が

ってころころ笑うマヤを、愛しそうに見つめる。

トレンチコートのポケットに手を入れ、指に当たる紙袋を確認しながら考える。

やがて、おもむろに体重を預けていたポールから離れると、マヤの前に立った。


マヤは真澄が帰ろうとしているのだと思い、

「あ、じゃあ、そろそろ・・・」

と腰掛けていたポールから降りる。

その瞬間、真澄の腕が、緩やかに優しくマヤの体を包み込んだ。マヤの手から紫のバラがパサリと

地面に落ちる。

真澄はマヤの頭に顔をうずめた。


「は、速水さん・・・?」

マヤはうろたえる。


「・・・・寒いから、君に暖めてもらう」

真澄の声に、マヤの心臓が大きくドクンと脈打った。


「さっき言ったように、君が嫌なことはしたくない。居心地が悪かったら、俺の腕を払ってくれていい

から・・・」

押し殺した声でそう言った後、その言葉に矛盾するように腕に力を込め、しかし、それでもマヤが

逃げ出せる余裕を持たせて、きつく抱きしめる。


「・・・でも、君が許してくれるなら、もう少し、このままでいたい」

真澄はマヤのわずかな拒否も見逃さないよう、全身の神経を研ぎ澄ませる。マヤは動くことも、言葉

を発することもしない。


そのまま、たっぷり10秒が経過した。



「・・・大丈夫なのか」

真澄はかすれた声で恐る恐るマヤに問う。

マヤは声を出さず、真澄にわかるようにコクンとかすかに頷いた。


「よかった・・・」

真澄は嘆くようにつぶやくと、左手はマヤを束縛したまま、反対の手でポケットから先ほどの紙袋

を取り出す。

人差し指と親指で摘んだそれを、マヤの顔の前に持っていくと、おどけた調子で、

「紫のバラのひとから、北島マヤさんへお届け物です」

と言った。

マヤが自由になった左手でそれを受け取る。


「俺も、紫のバラのひととして、堂々と直接、君にプレゼントを渡したかった。開けてみてくれ」

今度は打って変わって真剣な声色でそう言うと、真澄はマヤを解放した。

マヤは俯いて紙袋に貼られたセロハンテープの角を爪で引っかき、丁寧にはがす。袋の中には、

綺麗に刺繍が施されたシャンパン色の小さな巾着が入っていた。


不思議そうに巾着を取り出したマヤに、真澄が言う。


「それも開けてごらん」


「・・・うん」

マヤは両端に手をかけて、襞を伸ばす。


巾着を傾けると、手のひらに落ちてきたもの。


それは------



「速水さん、これ・・・」


「バラの色はもちろん紫がいいだろう?」


それは、マヤが見ていた紫のバラが付いたアンティークのネックレスだった。

真澄は微笑み、優しい眼差しをマヤに向けている。


速水さんは、このやさしさが、今、あたしにとっては泣きたいほど辛くて、どれほど残酷なのかを

知らない・・・。


手のひらに咲いた紫のバラを指で転がしながら、マヤはなんとか笑顔を作り、ありがとうございます、

と言った。

真澄は満足そうに頷くと、忘れるなよ、とマヤが落としたバラを拾いネックレスを持っていない手に

握らせる。


「次の約束の時に、付けて来いよ」

真澄がマヤの鎖骨を指差して言い、マヤは、どんな服着たらいいのかなぁ、とおどけてつぶやき

ながら考える。



『2ヶ月か3回、どちらかが先に終わったら、そこでおしまい』


次の約束は3回目。



紫のバラのひとと、速水さんと、お別れする--------










マヤはここ何日か不安に包まれていた。

2回目の約束から5週間経った。

1回目の約束から数えて、1ヶ月と3週間。

2ヶ月のタイムリミットが近づいているのに真澄からの連絡はない。


連絡が途絶えてから1ヶ月経った頃、大都のロビーで水城にばったりあった。その時にさりげなく

真澄の近況を尋ねたのだが、返事は水城らしきからない曖昧なものだった。

黒沼による紅天女の稽古は相変わらずハードだ。マヤはぐったり疲れて帰宅し、次の日に備えて

早めに寝ようと布団に潜り込むが、目をつぶると真澄に抱きしめられた感触が蘇る。

抱きしめられた時は体中が熱くなって、宙に舞い上がりそうに嬉しかったはずなのに、一度その熱

が冷めると、真澄の行為はただのいたずらとしか思えなかった。


あたしだから・・・、女として見てないから、あんなことが簡単にできるんだ・・・。


とてつもない切なさが身を切り刻む。

真澄の結婚は数ヶ月先に迫っている。仕事と紫織との時間を作るのに精一杯で、おそらくこちら

まで手が回らないのかもしれない。もしかしたら、連絡がないまま真澄との約束は終わるかもしれ

ない。


涙が、意識しなくても溢れ出てくる。

このときばかりは、麗が地方公演で留守にしてくれていて良かったと思った。

だれにも心配をかけないで、おもいきり泣けるから。


マヤは枕に顔を押し付け、嗚咽を漏らした。




ようやく落ち着いてくると、マヤはよろよろと起き上がった。明日も稽古があることだし、ひとまず腫れ

ぼったいまぶたを冷やそうと、洗面所へ歩く。冷水で顔を洗い、口をゆすぐ。薄暗い中、タオルで顔を

拭きながら戻る。

眠る気にもなれず、かといってTVやラジオを付けるでもなく、そのまま布団の上に座り込む。


ふと畳を見ると、カーテンの隙間から歪(いびつ)な三角形の光が入っているのに気がついた。マヤ

はザッと音を立てて勢いよくカーテンを開ける。

部屋は一瞬にして、月光でしっとりと蒼く染まる。


キレイ------


しばらくうっとりと部屋を眺めた後、窓越しに満月を見上げる。

そういえば、“月光浴”というのを聞いたことがある。月の光を浴びるとパワーが貰えると。

マヤは窓際に座り、全身にその光を浴びる。星は数えるほどにしか確認できない。等級(天体の明る

さの度合い)の低い星は、満月の輝きで見えなくなるからだ。月は小さい星の光を飲み、気高く煌々

と光り続ける。

マヤは大きく息を吸い込むと、部屋の隅にある引き出しに目を向けた。真澄から貰ったバラのネック

レスは、紙袋に入ったまま大切に引き出しの中に閉まってある。


きっと真澄から連絡があろうとなかろうと、それは大したことじゃない。どちらにしろ1週間あまりで、

区切りをつける日はやってくるのだ。


今すべきことは、前に進むこと、紅天女を成功させること。


それだけ・・・。



月明かりに照らされながら、マヤは何度も、自分に言い聞かせた。







真澄から電話があったのは、その4日後だった。


2ヶ月のタイムリミットとなる日に、最後の約束をした。







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