雪に咲く紫のバラ  2

written by あお〜







真澄に促されて仕方なく売り場を見て回っていたマヤだが、ある場所で足を止めた。


あ、これ、綺麗。


マヤの目の先にあったのは、バラの花を形どった小さなペンダントトップが1つと、その周りに

バランスよく葉が付いているアンティーク調のネックレスだった。バラの花のペンダントトップは

いくつか色違いがあり、中には紫色もあった。


「かわいいな」

マヤの様子に気が付いた真澄が言う。

すぐに店員を呼ぼうとする真澄をマヤは慌てて制止する。

「あ・・・いいのっ!欲しくないです!いりません!!」


マヤの強い拒否にただならぬものを感じ取った真澄は思わず眉をひそめる。その表情を怒りと

取ったマヤが

「あの、ほら、これに似合いそうな服もないし、それに、あたしってすぐに物をなくしちゃうでしょ。

だからもったいないです」

と慌てて言った。

真澄は納得のいかない様子だったが、マヤが時計を指して、舞台が始まっちゃいますと急かすと、

それ以上問い詰めることもしなかった。



もう紫のバラのひとからプレゼントは貰えない・・。


残るものは欲しくない。


これ以上お別れがつらくなるのは嫌・・・。












拍手に混じって徐々に客席が明るくなり、現実と夢の狭間のような空間が壊れていく。気の早い

客はすでに立ち上がり出口へと急いでいる。


「素晴らしい舞台だったな」

真澄は隣に座っているマヤに話しかける。何の返事もないので不思議に思ってマヤの様子を伺う

と、彼女は放心したように幕の下りた舞台を見つめていた。

物語の結末でヒロインは、探し続けていた婚約者が他の女性と結婚し、すでにこの世を去っていた

ことを知り墓の前で別れを告げた。

真澄は、マヤが役柄にのめり込んでしまうのを知っていたので、今回も彼女の中にヒロインの悲し

みがまだ残っているのだろうと、想像が付き、そのまましばらく待った。




「ちびちゃん、そろそろ出ようか」

客の姿もまばらになったところで、真澄が肩を揺さぶりながら再び話しかけると、マヤはやっと我に

返る。まだ舞台の余韻を引きずりながら、傍らに追いやられていたバッグを掴み、座席を立つ。


「きゃっ」

ぼんやり歩いていたマヤは段差につまずく。


「大丈夫か!ちびちゃん」

後ろを歩いていた真澄が、咄嗟にマヤの腕を掴んだので転ばずにすんだ。


「全く君はあぶなっかしいな。俺が誘導してやる」

真澄は呆れたように言うと、マヤの右手に自分の左手を絡め、今度は前に立って歩き出した。

マヤはドキドキしながら

「あ、ありがとうございます・・・」

とつぶやいて真澄に従った。


大きいなぁ。男の人って感じ・・・。


マヤは自分の手をすっぽり包む、柔らかくて温かい感触を心地よく感じ、真澄の骨ばった綺麗な

手を観察した。


暖かい・・・。あたし、ずっとこの手に守って、助けてもらってきたんだ・・・。






ロビーに出ると、まだ結構な数の客が残っていた。

真澄は、マヤと手を繋いだまま人の間をすり抜け、出口へと向かう。


「真澄様?」


ざわざわとうるさい人ごみの中で、妙にはっきり響いたその声にマヤの体はビクリと固まる。


振り向いた先にいたのは、真澄の美しい婚約者、鷹宮紫織だった。

真澄は険しい顔でマヤの手を離すと、ちょっと待っててくれ、と紫織のもとへ歩いて行った。


その表情からなにやら難しい話をしているらしい真澄と紫織を、マヤは少し離れた場所で見てい

た。ぼーっと立っていると、真澄が振り向き、右手を上げ、『すまない』というしぐさをする。マヤも

軽く手を振って『どうぞ遠慮なく』の意味を込めて、小さく笑った。


もしかして、あたしと一緒にいたとこ、見られちゃまずかったのかな。紫織さんに説明してるのか

な・・・。


一向に話が終わりそうにない2人を見て、胸がチクリと痛んだ。


“すげー、美人じゃん”

“あんな彼氏、欲しいよ〜”

“うわー、モデルなのかな?”


マヤの前を行き交う人々の囁く声が耳に入ってくる。容姿端麗で長身な2人は嫌でも人の目を惹き

付ける。


やっぱり誰から見てもお似合いなんだなぁ。 紫織さんは綺麗だし、速水さんはかっこいいし。

ほ〜んと、正統派の美男美女って感じだもんね。


負け惜しみでもなく本心からそう思った後、マヤはガラスに映る自分の姿を確認し、ため息をつく。


もしかして、男の人とあたしが2人で会っても誰も心配しなかったりして・・・。


冗談半分の考えだったが、真澄と自分にいたっては実はそれほど外れていないのではと思い当た

ると、ぎゅっとつねられたような痛みが胸に広がった。


いたたまれなくなったマヤは、もうすぐ真澄と会って3時間になるのを時計で確認すると、そっとドア

を押して、その場から逃げるように外へ出ていった。













2回目の約束は、1回目からちょうど2週間後だった。

紅天女の稽古も3日前にスタートしていた。


約束の時間ギリギリに駅に到着したマヤは、2階にあるレストランを目指して急いで階段を駆け上

がり、勢いよくドアを開けた。

呼吸を整えながら、穏やかに微笑むウエイターに予約している旨を告げると、速水様より会議で少々

遅れるとのご連絡が入っております、と伝えられた。


案内された個室で、マヤは一人、飲みたくもない水を飲みながら、時間をもてあましていた。

今夜は、首周りのドレープが綺麗な黒のカットソーに、黒地に薄紫色の花が散りばめられたシフォン

スカート、それにつま先の尖っているヒール付の黒いパンプスと、マヤにしてはかなり大人の装いを

してきた。似合うように、メイクもちょっと頑張ってみた。紫織には到底敵わないが、せめて一緒にいる

真澄に少しでも釣り合うようにと、そして、自分を見た真澄が何か言ってくれるかも、とわずかながら

淡い期待もして選んだ服だった。


約束の時間を20分、30分過ぎても真澄は来ない。

何もすることがない場所に一人でいると、必然的に頭は真澄の事でいっぱいになる。



マヤが黙っていなくなってしまったあの日の夜、真澄から電話があった。


“良かった、帰ってたのか”

“俺がどれだけ心配したと思ってるんだ”

“もう、勝手にいなくなるなよ”


ほっとした声、やや怒りを含んだ声、優しく諭す声・・・。どれもみんな心地よく耳に響いてきた。

真澄からの電話を切った後、ほっと安心している自分がいた。真澄が電話をかけてくれるはず、

自分を探してくれるはず、とどこかで期待していたのかも知れない。


あたしから紫のバラを拒まなかったら・・・、速水さんは、あたしが女優でいる限り、舞台に立って

いる限り、変わらずこれからもずっと紫のバラを贈ってくれたのかな。影で見ていてくれたのかな。

・・・たとえ、結婚してしまった後でも・・・。


ズキリ、と心が悲鳴を上げる。

まだ慣れることのできない、この胸を締め付ける痛みと切なさにマヤは固く目をつぶって耐える。

きっちり期限を決めて、紫のバラも、真澄への想いにもけじめをつけようと誓ったはずなのに、

そんなことは無理だと心はあざ笑い、勝手に真澄への愛を吐き出そうとしている。


『3回か2ヶ月』


短すぎも長すぎもしないだろうと思って決めた数字だ。

その時をどうやって、どんな気持ちで迎えるのか、そして、紫のバラをなくした後の自分の行く先は

どこなのか、今のマヤにはとても想像が付かなかった。








SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送