CLOVER

〜想いを風に乗せて〜C







夕暮れは夜の闇をじわじわと誘い、立ち尽くす二人の周りにも忍び寄っていた。

彼の顔に陰りを感じるのはそのせいなのであろうか・・・。


「速水さん・・・・」

マヤがもう一度そう声をかけたとき、真澄はフッと視線を外し、ようやく唇を動かした。


「・・・前にも言った通りだ・・・・俺の願いは叶わない。・・・決して・・・叶うことはない・・・」


「!!!」


いつもと変わらぬ冷ややかな彼の言葉が風に乗せられ、マヤの耳元で静かに弾けた。


――決して叶うことはない――


(そんな・・・・)



おもむろにポケットからタバコを取り出す真澄がいる。

その表情は、いつか同じ事を告げたあの夜と重なって見えていた。

あの満点の星空の下で一瞬見せた、切ない表情と・・・。


マヤは肩を落とし、小さく俯くしかなかった。

”もしかしたら自分だけには話してくれるのではないか”と、どこかで期待していた心がキュッと悲鳴を

上げている。


(叶うことのない願い・・・)


いつでも強引で自信に満ち溢れ、欲しいものを確実に手にしてきたであろう彼が手にすることのできぬ

ものとは何なのか・・・。

知りたい気持ちは胸に渦を巻くほどであったが、これ以上彼の心に立ち入る事はできないと感じたマヤ

は諦めたように首を振った。


・・・どれほど近くにいても、近くにいるつもりでいても、決して触れることのできない人・・・。

それはまるで、ガラス越しの世界のようだと思う・・・。

ふいに何かの拍子にそのガラスが消えたように感じる瞬間・・・それは、自分の想いが強まる余り、

幻が見せたもの。・・・現実には、この目の前にある、見えない厚い壁は決して壊れることはない。


なのにこの先、自分はガラス越しの彼をずっと見つめ続けて生きていかなければいけないなんて・・・。

それは余りにも酷で、身がよじれそうなほどに辛い現実であった。


・・・だったらいっそ、まるっきり彼の姿が見えないどこかに消えてしまいたい・・・。


・・・マヤは、目の前にいる、遠い存在の真澄を強く目に焼き付けるようにして瞳を潤ませる。



彼の長いまつげが風で僅かに揺れているのが見えた。


「速水さん・・・・」


マヤは大きく瞳を伏せた後、意を決したように軽く深呼吸をした。


タバコを一本、摘み上げようとしていた真澄は手を止め、彼女の言葉を待つ。


「なんだ・・・?」

「これ・・・・あげます・・・速水さんに・・・・」

言葉の勢いと共に、真澄に向けて右手を差し出すマヤ。


・・・それは、先ほどの四つ葉のクローバー。


「俺に・・・?一体どういう風の吹き回しだ?・・・君が見つけた大事なものじゃないか・・・」

「速水さんだから・・・・です・・・よ・・・。あたしは・・・あたしは公園なんて毎日くるから・・・こんなの

いつだって探すことできるんだから・・・」

「チビちゃん・・・・・」

「早く・・・手、出してください・・・・」

「・・・・・・・」


真澄は手にしていたシガレットケースを再びポケットへと押し戻す。

そしてマヤは・・・・彼の差し出した大きな手のひらにそれを託した。

少しでも風が吹けばどこかへと吹き飛ばされ、消えてしまいそうな小さな四つ葉を・・・。


「・・・いいのか・・・本当に・・・・?」

「はい。・・・・でも・・・・・これ、大事にして下さいね・・・絶対・・・」


まるで深い水の中に閉じ込めらているかのように息が苦しくてたまらない。

それでもマヤは、水面に飛び出したい気持ちを押し殺し、精一杯の笑顔を作る・・・。


「・・・・・・」

「できれば、毎日必ず目の届く場所に置いて欲しいな・・・なんて。あ・・・でも、こんなのすぐに枯れちゃう

かな?・・・枯れたらやっぱり・・・捨てちゃいますよね・・・」

おどけたようにそんな事を言っていた。


「・・・君がくれたものだ・・・・大事にするさ・・・約束する」

ギュッと四つ葉を強く握り締め、真澄はそう呟く。



――大事にするさ――



その言葉がただ嬉しくて胸が熱くなるのが分かる・・・。


「あ・・・やっぱり・・・毎日目の届くところなんて・・・ダメ!撤回!!こんなゴミみたいな雑草、速水さんが

大事にしていたら、紫織さんにがどう思うか・・・」

まるで何かをひた隠すようにして、マヤは突然、まくし立てていた。


「チビちゃん・・・?」

「お二人の新生活に・・・こんなの・・・・・・・」


(こんな・・・雑草なんて・・・・・)


マヤは言葉を詰まらせ、すでに笑顔すら作れなくなっている自分に気づく。 

自分が雑草なら、美しく輝く彼女はブランドの高級な花に違いなかった。

彼の隣が最も似合う女性・・・。


みるみると視界が濁り、言葉が繋がらなくなっていく・・・。


「チビちゃん・・・?」


頬を伝う熱い雫。

マヤは今、抱えていたもどかしい苦しみが涙の粒となって無意識にあふれ出すのを止められなくなって

いた。





「チビちゃん・・・君は何を・・・何を泣いている・・・?」

真澄は眉をひそめながら、問いただすような言葉を出す。


マヤは、困惑している真澄の姿を見て、慌てて涙を拭った。


「・・・ごめん・・・なさい・・・ちょっと情緒不安定で・・・。稽古も上手く行かないから・・・」

「しかし・・・!」

真澄の言葉をかき消すように、マヤが遮っていた。

「とにかくその四つ葉は、速水さんに幸運が訪れるように・・・結婚のお祝い代わり・・・です。・・・どこか

目立たないところに・・・置いておいてください。きっと、いつか願いが叶いますよ・・・」


「チビちゃん・・・」


「例えば・・・めったに読まない本の中の一ページの中に挟んでくれてもいいんです・・・。そうだ、一年に

一度しか空けないような机の引き出しの片隅でも・・・」


「・・・・・・」


「だから・・・。無くさないで・・・くださいね・・・絶対に・・・」

マヤは手を震わせながら、再び笑顔を取り繕う。



「分かったよ・・・チビちゃん・・・」

真澄は怪訝そうな顔をしたまま、それでも手にした四つ葉をそっとスーツのポケットへと忍ばせた。



あの四つ葉は、自分の想いのすべて。

それを彼が大切に、身近に置いてくれればそれだけでもいい・・・。

(これで忘れよう・・・本当に全部忘れよう・・・・)

マヤは自分に強く言い聞かせていく。




「チビちゃん・・・君の願いは何だ・・・」

「・・・・え・・・・・?」

気づくと、真澄の鋭い視線が静かにマヤに向けられていた。


「・・・例えば俺が何かしてやれるとしたら・・・それは何だ・・・?」


――ドキン――


マヤは手の届く距離にいる、決して手の届かない彼に、ゆっくりと視線を合わせた。



(あたしの願い・・・・)


ふいに、先ほどの真澄の言葉を思い出す。




――”決して、叶うことはない”――




「速水さん・・・・あたしも・・・あたしの願いも・・・一生、叶わないんです・・・」


「・・・・なんだって・・・・?」


「叶うことは、ないんです・・・」


思いがけないマヤの言葉に、真澄は再び、眉をひそめる。


「・・・それは・・・例え俺が力を貸しても叶わないものなのか・・・?言ってみろ。・・・俺が命がけでも

叶えてやる」


――ドクン――


力強い真澄の言葉に、マヤは感覚が麻痺していくのが分かる・・・。


――命がけでも叶えてやる――


この人は、こういう人・・・。

今までもずっと手助けして、一つずつ背中を押してくれた。


守ってくれた・・・。


(・・・・・・紫のバラの人・・・)



「無理・・・です・・・」

マヤは震えるような声を言葉に変える。


「・・・・俺でも無理なのか・・・?何もしてやれないのか・・・・?」


真澄の強い言葉に、マヤは小刻みに首を振っていた。


「あたし・・・速水さんから欲しいものが一つだけあるんです・・・・」



――ドクン、ドクン、ドクン――


「・・・欲しいもの・・・?なんだ・・・・?」


真澄は、突拍子もないようなマヤの言葉の切り替えに困惑しつつもそう問いかける。



「それは・・・・・」



「それは・・・?」





マヤは彼の視線から逃れるようにして顔を背ける・・・。






「紫のバラ・・・です・・・・」





「!!!!!!!」





それは、真夏の空気が凍りついたように感じられた瞬間だった。





SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送