CLOVER
〜想いを風に乗せて〜D
辺りを舞う鳥の群れさえも、姿を消しかけていた。
日中とは比べ物にならないほどぬるく冷えた空気が風になり、まとわりついていく。
――ムラサキノバラ――
その突然の言葉に、真澄は軽く目を見開き、立ち尽くしたままでいる。
「あたし・・・紫のバラを・・・速水さんから頂きたいんです・・・」
マヤは、もう一度はっきりと言葉に表すと、押し黙っている彼を見つめた。
「・・・チビちゃん・・・」
「・・・・・・」
小さな後悔と共に、例えようのない不安が胸に沸き起こっていた。
本当はこんな事を言うつもりはなかったから・・・。
彼は何と答えるのだろう・・・。
” 大切な紅天女候補を育てるために投資しただけの事だ ”
今まで幾度となく予想していた言葉が容赦なく脳裏を駆け巡っていく。
そんなふうに冷ややかな口調で言われるであろうとは、とっくに予測がついている事。
特別な言葉なんて、期待しているわけじゃない。
・・・・けれど・・・・
それでもいいから・・・
・・・・彼の口から真実を話して欲しい・・・。
マヤは祈るような気持ちで真澄の言葉を待った。
「速水さん・・・・」
「・・・紫のバラは・・・君が誰よりも想っている、たった一人の人から貰う大切なものじゃないのか?」
一呼吸してから、ようやく真澄が口を開いていた・・・。
「!!!!」
(・・・・どうして・・・・・)
その言葉を受けたマヤは もどかしい気持ちを握りつぶすようにスカート裾をキュッと摘んで立ち尽くす。
息を止めるような思いで彼の言葉を待っていたのに・・・。
そこまでして真実を隠そうとするのは何故なの・・・・?
「速水さんだから・・・です・・・・・」
「・・・・・?」
「速水さんだから・・・言ってるんです・・・紫のバラの人があなただから・・・あなたに直接バラを手渡して
ほしいとお願いしているんです・・・!!」
長い間 胸に痞えたままであった戸惑いが、何か大きな力で振りほどかれたかのように言葉が飛び出し
ていく・・・。
「チビちゃん!!!!」
(ああ・・・・・)
・・・何かを恐れている弱い自分がどこかにいるせいであろうか・・・。
・・・強い口調のつもりでも、声が僅かに震えてしまったのが自分でもよく分かった・・・。
(とうとう言ってしまった・・・・)
自分の中で幾度も迷いながら抑え込んでいた感情が風に乗り、それが彼の耳へと届いた瞬間、視界が
ぐるりと回りそうになる。
――”紫のバラの人があなただから”――
決定的な言葉が、二人を包み込むようにして辺りを漂っていた。
「・・・・君は・・・・知っていたのか・・・・」
真澄は張り詰めていた空気をさらさらと砂のように崩れ落とすかのように口火をきった。
泣きはらした目を伏せながら静かに頷くマヤ・・・。
彼の言葉を受け、99%確信していた気持ちは100%へと変わっていた。
手にしているシロツメクサは、自分を表すかのように生気を失い、小さな手のひらに頼りなく収まっている。
真澄は動揺を隠そうとしているのであろうか・・・唇を噛み締めながらゆっくりと首を振った。
そして、深いため息をくぐもらせ、参ったという表情をしながら言葉を吐き捨てる。
「君はさぞかしガッカリしたんじゃないのか・・・。紫のバラの人の正体が・・・よりによって こんな・・・君が
世界一憎んでいる男であったことを・・・」
うなだれたような彼の言葉に、マヤはハッと顔を上げる。
「そんな事思っていたら・・・あたし・・・速水さんの手から紫のバラを手渡して欲しいなんて言いません・・・」
「しかし・・・俺は君の・・・」
マヤは真澄の言葉を遮るようにして言葉を繋げていた。
「・・・最初はヒドイと思いました・・・正体を知ってしまった時は・・・。速水さんのしていることが分からないと
思ったし・・・からかっているんじゃないか、とか・・・信じたくない思いもあって・・・”どうして?”って、眠れ
ないほど考えちゃった日もありました・・・」
「・・・・・」
「でももう・・・今は憎んでなんていない・・・本当に。あたしの為を思ってしてくれた行動が悲しい出来事に
結びついてしまったこともあったけれど・・・・速水さんを恨むことで自分の罪をかき消そうとしていた時期も
あったけれど・・・」
「チビちゃん・・・」
「・・・今は本当に・・・心から感謝しています。あたしを・・・何も持っていないあたしを計り知れないほど
助け、応援して下さって・・・。ずっとお礼を言いたかった。速水さんがいなかったら、あたしはここまで
頑張れなかった・・・本当に本当にありがとうございました・・・」
じっと見つめていたいと思ったはずの彼の顔が透明な涙で遮られ、まともに脳裏に映し出されない。
マヤは、次から次へと零れ落ちる言葉を止められずにいた。
真澄は柔らかくウェーブのかかった自らの前髪をそっと手でかき上げ、いつの間にか闇色に変わりつつ
ある空を大きく仰ぐ。
長い年月の出来事を懐かしむような目つきで、ゆっくり、ゆっくりと・・・。
「すまなかった・・・。ただでさえ、君には辛い思いをさせてしまった。それなのに、余計な事で悩ませ、
苦しませてしまったんだな・・・」
「・・・・・・・・」
「・・・ただ俺は、影からとしてでも・・・君を支えていたかった・・・」
彼の言葉に、マヤはビクンと肩を震わせる。
――”君を支えていたかった”――
ドキリと心臓が高鳴っていた。
・・・・・でも・・・・分かってる。
(”支えていたかった”という相手も、決して素のあたしではなくて、それは舞台の上のあたし・・・)
マヤは、彼の言葉を履き違えてしまわないように、必死で自分に言い聞かせて鼓動を抑えることにした。
ただひたすら、一生懸命に・・・。
「・・・速水さん・・・いつか、舞台の上のあたしを見るのは好きだって言ってくれましたよね?・・・あたし、
すごく嬉しかった・・・」
マヤの言葉に、真澄が一歩、体を近づけていた。
「・・・もちろんだ・・・だから、こうして長い間、君を・・・・」
そこまで言いかけた言葉を止め、そっとマヤに視線を合わせてくる。
マヤは、彼の熱い眼差しに吸い込まれるかのような思いがした。
(いつも舞台の上のあたしのままでいられたらいいのに・・・そうしたら、あたしは少しでもあなたに近づく
事ができるかもしれないのに・・・・・!!)
思い余った挙句、そんな無謀な思考で彼をひたすら見つめ続けるしかできない自分がもどかしい・・・。
「チビちゃん・・・・」
「あたし・・・実際にはこんな何の取り柄もない子です。・・・ドジで器量も悪いし、家柄も良くない・・・速水
さんの隣なんて似合わない、すごく平凡な女の子だって分かってます。・・・でも・・・せめて舞台の上の
あたしを好きでいてもらえてよかった・・・頑張って演劇を続けてよかった・・・・速水さん・・・・あたし・・・・」
辺りを漂う空気が強い風に押し流され、二人を取り巻いていく。
(・・・・・・あなたを・・・・・心から愛しています・・・・・)
その言葉を口にすることなく、マヤは静かに唇を止める・・・・。
零れ落ちた涙は、すでに足元のレンガにいくつもの染みを作っている・・・。
木々を揺るがす、強い風が吹き荒れた。
「チビちゃん・・・・・?」
・・・・彼女の深い想いは・・・・・
・・・・・・手にしていたシロツメクサの花々と共に風で舞い上がった・・・・・。
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