〜written by あお〜
想いに振り回されて、紅天女を演じることができなくなった。 婚約者を連れている彼を見るたびに、心がバラバラになっていくのを必死で繋ぎとめていた。 一人でいるときは、どうしていいのかわからず、泣いてばかりいた。
ため、自分を犠牲にして願いを叶える。そんなふうにただ一人の人を思うのってとってもつらくて、エネル ギーがいることだと思う。でもな、俺はそれだけ愛しているって言える人に出会えるって、幸せだと思うん だな” 彼の本当の願いはなにかわからないけれど、紅天女を演じれば、あの人の願いを叶えるお手伝いが できるかも・・・ 各社が激しい競争を繰り広げた。もちろん、大都もその競争に加わっていた。 いくらマヤに有利な契約を提示しようとも今までの事を考えると、大都に引き込むのは容易ではない、 と、真澄にしては勝率の低い勝負だったが、意外にも話を持ちかけた段階でマヤは大都に所属すると 意思表示をしてきた。これには真澄も驚いた。
誕生するのだった。
水城は契約書を持ってくると、マヤと真澄、水城の3者がソファに座る。
きっちりとマニュキュアの塗られた細い指で、水城が書類をめくる。簡単に説明してくれる、とは言っても マヤには聞きなれない単語が多々あり、やはり難しい。わからない個所を聞くたび、水城は丁寧に易し い言葉で言いなおす。 水城の隣にいる真澄は、いつものポーカーフェイスで2人のやり取りを聞いていた。 読んでね。わからないところがあれば、社長に聞いてちょうだい」 書類の角をトントンと整えながら、水城が言う。
水城の見え透いたお膳立てに真澄は苦笑する。社長室から出て行こうとする彼女を呼び止め、2、3の 指示を与えると、自分の机に戻っていく。ふと立ち止まると、 「ゲジゲジがボスになるんだから、ちゃんと読めよ。今度は、途中で契約破棄はできないぞ」 とマヤへ向かって言い、パソコンのディスプレイに向かった。
ていく。 紅天女の後継者発表後、マヤは病床についていた月影に紅天女の上演を大都で行うつもりであることを 詫びた。月影はかすれた声で、「あなたの好きになさい・・・・真澄さんが魂のかたわれだといいわね」と、 静かに微笑んだ。それはマヤが月影と話した最期の言葉となった。
かもしれない・・・。自分が一番わかっている。住む世界が違うとか、婚約者がいるとか、子供にしか見ら れないとか、商品の一つであるとか。
始めた。
阿古夜の台詞、ひとつひとつが自分に向けられているようで、それが本当だったらどれほど良いか、と 現実をのろった。
今、大きなソファにすっぽり包まれて、一生懸命に書類を見つめているマヤがいる。 それは、殺伐とした仕事三昧の中で訪れるオアシスのような存在。 唯一、自分をさらけ出せる存在。
気持ちまで封印した。マヤの紅天女に触れたとたん、それが不完全なものであったことに、いとも簡単に 気付かされた。
やばい、と思ったときには、真澄は笑い出していた。
しれないがな」 マヤは腹を抱えて笑う真澄をちらりと見て、口を尖らせる。
すねてしまったマヤを諭すように、優しい口調で真澄が言う。
ズキリと心が痛んだ。大都の紅天女・・・か。そうよね、速水さんは大都の社長で、私は大都の所属女優。 それ以上でも以下でもない。
胸に広がった黒い雲を吹き飛ばすように、マヤは明るい声で答えた。
真澄と食事のために精一杯のおしゃれをしたマヤは、ひらひら揺れる袖がついたノースリーブにスカート、 という出で立ちだった。会議が長引き、約束の時間から30分ほど遅れて真澄が到着すると、マヤは両手 で腕をさすっているところだった。
「えっと・・レストランの中はもうちょっと暖かいかなぁ、って思ってたんですけど・・。 ちょっと薄着過ぎちゃっ たみたい」 と、もじもじしながら言った。
真澄はジャケットを脱いで、マヤの肩にかける。びっくりしたマヤが固まっているうちに、さっさと席に着き、 ワインリストに目を通し始めた。
目を閉じて真澄にわからないように、静かに息を吸い込んだ。
真澄のジャケットはまだマヤの肩にかかったままだ。 料理が運ばれてくると、汚しちゃいけないから・・とジャケットを返そうとするマヤを真澄は留めた。口では、 「女性の体は冷やすもんじゃない」なんて説明したが、実際はマヤをすっぽり覆うそれが、まるで自分の 分身が彼女を守っているようで、そのままずっとマヤを独り占めしておきたかったのだ。
全部食べちゃった」 ペロッと舌を出して、マヤが笑う。 20歳を過ぎ、大人の雰囲気を漂わせ始めているマヤだが、その純粋で屈託のない笑顔は昔から変わら ない。マヤが笑うと真澄もつい顔がほころぶ。
トでヘレン・ケラーを演じた時だ。
がな」
マヤは言葉に詰まる。 なんとか反撃を試みようと一生懸命に考えているマヤを見て、真澄に笑いがこみ上げる。
真澄がビジネス用の笑顔で答える。
は宮西さま、こちらは奥様の・・・」 紫織が連れ合いを真澄に紹介する。真澄は席を立ち、挨拶を交わし、名刺を交換する。ちらりとマヤの ほうを見ると、肩にかけてあった真澄のジャケットを急いで脱ぎ、イスの背もたれにかけている姿が見え た。
紫織の婚約者としてではなく、わざと”大都芸能の社長“と名乗る。 それを聞いた紫織がいちいち、「わたくしの婚約者ですの」と付け加える。
だ。将来のために円満な関係を築くために、たわいない話をし、印象を良くすべきであることを真澄は 知っている。それが、英介に叩き込まれたビジネスマンとしての行動であるからだ。 マヤがこの場にいなかったら、いつも通りにそつなくこなしていただろう。お互いが社交辞令を言いあい、 本音を隠して談笑する。たったそれだけの機械的な作業だ。
本心を偽り、会社のために政略結婚する自分。真っ白で汚れのない心を持つマヤと向き合うと、自分が ひどく汚れているように感じる・・。 真澄が自己紹介を終えると、しばし沈黙が横たわった。 と、紫織がいかにも今、気が付いたかのようにマヤへ言葉を放つ。
マヤは消え入りそうな声で答える。それを見た真澄が、すかさず間に入りフォローする。
紫織の連れの一人が感心したように言うと、他の連れも驚いたように顔を見合わせ、次々とマヤに話し かける。 「わしも紅天女の試演を拝見しましたぞ。あれは、よかった。思い出しても身震いしてしまうほどの舞台 でした。妻のよしえもすっかり魅了されてしまって。なぁ」
思う気持ちがひしひしと伝わってきて、私の胸まで痛いくらいでした。すばらしい愛の形でした。本公演 も、ぜひ伺わせていただきますわ」
か、マヤが時折、真澄にすがるような目を向ける。その度に真澄がさりげなく会話に入り、マヤを助けた。 適当なところを見計らって真澄はマヤを連れ出す。
イスの背もたれにかけられた自分のジャケットを取り、マヤの腕を軽く握って、この場から1秒でも早く 逃げようとする。紫織の連れの一人が冗談交じりに 「おいおい、君の婚約者は置いてきぼりかい?所属の女優さんも大事だが、紫織くんのことも構って やらんとな」 と、言った。
こんな時間しか開いてなくて」 真澄は愛想笑いをし、失礼します、と店を出た。 感情の存在を確認していた。 仕事が忙しくて自分と会う時間はないというのは、言い訳だとわかっている。 愛する人がいるのも知っている。 早く結婚式を、と祖父がせかす。 自分の家柄は申し分ないし、真澄の会社のためにもプラスになる。 強引に結婚式を挙げてしまえば、法律上真澄は自分のものになる。
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