星空と紅天女がくれた恋 1

written by あお〜









彼を想えば想うほど、私は窮地に立たされた。

想いに振り回されて、紅天女を演じることができなくなった。

婚約者を連れている彼を見るたびに、心がバラバラになっていくのを必死で繋ぎとめていた。

一人でいるときは、どうしていいのかわからず、泣いてばかりいた。



そんな時



演技ができず、すっかり落ち込んでいた私に、黒沼監督がぶっきらぼうにくれた言葉。



“人はどうしても見返りを期待してしまうけれど、阿古夜は一真に愛を与えるだけなんだな。愛する人の

ため、自分を犠牲にして願いを叶える。そんなふうにただ一人の人を思うのってとってもつらくて、エネル

ギーがいることだと思う。でもな、俺はそれだけ愛しているって言える人に出会えるって、幸せだと思うん

だな”




幸せなこと・・・・!



叶うはずのない恋を嘆いてばかりいた私の心に、その言葉はすうっと染み渡った。


二人で並んで星空を見上げたあの日。彼は、「願い事は一生叶わない」とつぶやいていた。

彼の本当の願いはなにかわからないけれど、紅天女を演じれば、あの人の願いを叶えるお手伝いが

できるかも・・・











試演後、紅天女の後継者が発表され、マヤが見事、上演権を手に入れた。彼女の獲得をめぐり、芸能

各社が激しい競争を繰り広げた。もちろん、大都もその競争に加わっていた。

いくらマヤに有利な契約を提示しようとも今までの事を考えると、大都に引き込むのは容易ではない、

と、真澄にしては勝率の低い勝負だったが、意外にも話を持ちかけた段階でマヤは大都に所属すると

意思表示をしてきた。これには真澄も驚いた。


しかし、この機会を逃すまいと早々に仮契約をすませ、やっと今日、本契約を経て“大都の北島マヤ”が

誕生するのだった。




















大都との正式契約のため、マヤは真澄のオフィスに来ていた。

水城は契約書を持ってくると、マヤと真澄、水城の3者がソファに座る。


「じゃあ、マヤちゃん。簡単に内容を説明するわね。質問があったら、いつでも遮ってちょうだい」

きっちりとマニュキュアの塗られた細い指で、水城が書類をめくる。簡単に説明してくれる、とは言っても

マヤには聞きなれない単語が多々あり、やはり難しい。わからない個所を聞くたび、水城は丁寧に易し

い言葉で言いなおす。

水城の隣にいる真澄は、いつものポーカーフェイスで2人のやり取りを聞いていた。



「じゃ、これで一通り説明し終わったわ。私は仕事があるのでいなくなるけど、もう一度きちんと自分で

読んでね。わからないところがあれば、社長に聞いてちょうだい」

書類の角をトントンと整えながら、水城が言う。


「真澄様、マヤちゃんのこと、どうぞよろしくお願いします。次の会議は1時間後でございます」

水城の見え透いたお膳立てに真澄は苦笑する。社長室から出て行こうとする彼女を呼び止め、2、3の

指示を与えると、自分の机に戻っていく。ふと立ち止まると、

「ゲジゲジがボスになるんだから、ちゃんと読めよ。今度は、途中で契約破棄はできないぞ」

とマヤへ向かって言い、パソコンのディスプレイに向かった。


マヤはこういった書類特有のまどろっこしい言い回しに四苦八苦しながらも、慎重に契約内容を読み進め

ていく。

紅天女の後継者発表後、マヤは病床についていた月影に紅天女の上演を大都で行うつもりであることを

詫びた。月影はかすれた声で、「あなたの好きになさい・・・・真澄さんが魂のかたわれだといいわね」と、

静かに微笑んだ。それはマヤが月影と話した最期の言葉となった。


所属会社の社長とただの所属女優。真澄と自分を繋ぐその糸は、蜘蛛の糸のように細くて脆いものなの

かもしれない・・・。自分が一番わかっている。住む世界が違うとか、婚約者がいるとか、子供にしか見ら

れないとか、商品の一つであるとか。



でも、どれだけ理屈をこねくり回そうと



・・・・・・好き。



今にも泣いてしまいそうな自分に気付き、無理やり気分を変えようと軽く頭を振り、再び契約書と格闘し

始めた。

















真澄は紅天女の試演を見てから、マヤへの想いが今まで以上に強くなったのをはっきりと感じていた。

阿古夜の台詞、ひとつひとつが自分に向けられているようで、それが本当だったらどれほど良いか、と

現実をのろった。


彼女を愛していると認めた日から、想いは募るばかりで減ることは決してなかった。

今、大きなソファにすっぽり包まれて、一生懸命に書類を見つめているマヤがいる。

それは、殺伐とした仕事三昧の中で訪れるオアシスのような存在。

唯一、自分をさらけ出せる存在。


・・・・いくら求めても自分の手には入らない存在。



ふらふらと自分を見失いながら、見合いをし、婚約を決めた。 会社のためと自分をだまし、彼女を愛する

気持ちまで封印した。マヤの紅天女に触れたとたん、それが不完全なものであったことに、いとも簡単に

気付かされた。


一体、どこまで、いつまで、悪あがきを続けるのだろう・・・。





「ちびちゃん、今夜、一緒に食事でもしないか?」


「・・・ふぁ?」


書類に集中しているところに、突然の真澄の言葉でマヤは意味が飲み込めず、間の抜けた返事をした。

やばい、と思ったときには、真澄は笑い出していた。


「くくくく。女性を食事に誘って、そんな返事をもらったのは君がはじめてだ」


「なっ!だって、突然話しかけるからっ。どーせ、色気がないですよっ!」


「色気がないとは言ってないだろ。まぁ、紅天女様になるんだったら、もう少しはあったほうがいいかも

しれないがな」

マヤは腹を抱えて笑う真澄をちらりと見て、口を尖らせる。


「いつもそうやって意地悪ばかり言う・・・」

すねてしまったマヤを諭すように、優しい口調で真澄が言う。


「せっかくだから、大都の紅天女をお祝いしよう。君の好きなレストランに連れて行くよ」



「お祝い・・ですか?」

ズキリと心が痛んだ。大都の紅天女・・・か。そうよね、速水さんは大都の社長で、私は大都の所属女優。

それ以上でも以下でもない。



「で、イエスなのか?それともノーか?」

胸に広がった黒い雲を吹き飛ばすように、マヤは明るい声で答えた。


「デザートは3つ頼みますからっ!」


















「寒いのか?」


突然、背後から低い声が聞こえて、ドキッとする。

真澄と食事のために精一杯のおしゃれをしたマヤは、ひらひら揺れる袖がついたノースリーブにスカート、

という出で立ちだった。会議が長引き、約束の時間から30分ほど遅れて真澄が到着すると、マヤは両手

で腕をさすっているところだった。


真澄に気が付いたマヤは、あっ・・と小さくつぶやき、

「えっと・・レストランの中はもうちょっと暖かいかなぁ、って思ってたんですけど・・。 ちょっと薄着過ぎちゃっ

たみたい」

と、もじもじしながら言った。


「・・・女優は体が基本だ。冷やさないように、これでも羽織ってろ」

真澄はジャケットを脱いで、マヤの肩にかける。びっくりしたマヤが固まっているうちに、さっさと席に着き、

ワインリストに目を通し始めた。


マヤの肩に置かれたジャケットからは、タバコとコロンの匂いがする。

目を閉じて真澄にわからないように、静かに息を吸い込んだ。


(社務所で一緒に夜を過ごした時の速水さんと同じ香りだ・・・)


マヤはゆっくり目を開く。


(たとえ大都の紅天女のためだとしても、こうして速水さんと2人で食事ができる。幸せなことだよね・・)











コースを終えると、マヤは約束通りデザートを3つ頼み、見事に平らげた。

真澄のジャケットはまだマヤの肩にかかったままだ。

料理が運ばれてくると、汚しちゃいけないから・・とジャケットを返そうとするマヤを真澄は留めた。口では、

「女性の体は冷やすもんじゃない」なんて説明したが、実際はマヤをすっぽり覆うそれが、まるで自分の

分身が彼女を守っているようで、そのままずっとマヤを独り占めしておきたかったのだ。


満足そうにおなかをさすっているマヤを見て、嬉しそうに微笑んだ真澄が言う。


「君は、本当によく食べるな」


「デザートは別腹っていうでしょ。食べられなかったら、持って帰って麗へのお土産にしようと思ってたけど、

全部食べちゃった」

ペロッと舌を出して、マヤが笑う。

20歳を過ぎ、大人の雰囲気を漂わせ始めているマヤだが、その純粋で屈託のない笑顔は昔から変わら

ない。マヤが笑うと真澄もつい顔がほころぶ。


「でも・・・速水さんって本当に甘いもの、食べませんよね」


「酒飲みだからな」


そこでふと、マヤは真澄と一緒にロビーで食べた、たいやきを思い出す。姫川亜弓とマヤがダブルキャス

トでヘレン・ケラーを演じた時だ。


「あっ・・そういえば、2人でたいやきを食べたことがありますよね・・・?」


「・・・ああ、そんなこともあったな。ヘレンケラーのときだったか。まぁ、あの時もほとんど君が食べていた

がな」


「う・・・」

マヤは言葉に詰まる。

なんとか反撃を試みようと一生懸命に考えているマヤを見て、真澄に笑いがこみ上げる。



そのとき---



「まあ、真澄様ではありませんこと?」


聞き覚えのある声にはっとして、マヤは後ろを振り返る。


そこには数人と連れ立って、真澄の美しい婚約者、紫織の姿があった。


「・・・これは、紫織さん。偶然ですね」

真澄がビジネス用の笑顔で答える。


「今日は、小さいころから親しくして頂いている父のお友達と、こちらでお食事をしましたのよ。・・・こちら

は宮西さま、こちらは奥様の・・・」

紫織が連れ合いを真澄に紹介する。真澄は席を立ち、挨拶を交わし、名刺を交換する。ちらりとマヤの

ほうを見ると、肩にかけてあった真澄のジャケットを急いで脱ぎ、イスの背もたれにかけている姿が見え

た。


「大都芸能社長の速水真澄と申します」

紫織の婚約者としてではなく、わざと”大都芸能の社長“と名乗る。

それを聞いた紫織がいちいち、「わたくしの婚約者ですの」と付け加える。


紫織の連れ、紫織の父の知り合いということは、今後も会社がらみでなんらかの付き合いがあるはず

だ。将来のために円満な関係を築くために、たわいない話をし、印象を良くすべきであることを真澄は

知っている。それが、英介に叩き込まれたビジネスマンとしての行動であるからだ。

マヤがこの場にいなかったら、いつも通りにそつなくこなしていただろう。お互いが社交辞令を言いあい、

本音を隠して談笑する。たったそれだけの機械的な作業だ。


ところが、マヤにそんな自分の姿を見せたくないと思う。一人の少女に自分の気持ちを伝えることを恐れ、

本心を偽り、会社のために政略結婚する自分。真っ白で汚れのない心を持つマヤと向き合うと、自分が

ひどく汚れているように感じる・・。

真澄が自己紹介を終えると、しばし沈黙が横たわった。

と、紫織がいかにも今、気が付いたかのようにマヤへ言葉を放つ。


「あら、マヤさん、こちらで真澄様とお食事?」


「はい・・。あの、紅天女のお祝いってことで・・・」

マヤは消え入りそうな声で答える。それを見た真澄が、すかさず間に入りフォローする。


「本日、北島は大都との契約を済ませたんですよ。そのお祝いをしていたんです」


「ほう、では、こちらが紅天女を演じるという北島マヤさんなんですな」

紫織の連れの一人が感心したように言うと、他の連れも驚いたように顔を見合わせ、次々とマヤに話し

かける。

「わしも紅天女の試演を拝見しましたぞ。あれは、よかった。思い出しても身震いしてしまうほどの舞台

でした。妻のよしえもすっかり魅了されてしまって。なぁ」


「ええ、そうなんですよ。自分を犠牲にしてまでも、愛する人の幸せを願う阿古夜・・。阿古夜の一真を

思う気持ちがひしひしと伝わってきて、私の胸まで痛いくらいでした。すばらしい愛の形でした。本公演

も、ぜひ伺わせていただきますわ」


マヤはただペコペコと頭を下げ、ありがとうございます・・と恐縮している。こういう場に慣れていないから

か、マヤが時折、真澄にすがるような目を向ける。その度に真澄がさりげなく会話に入り、マヤを助けた。

適当なところを見計らって真澄はマヤを連れ出す。


「では、そろそろ失礼します。北島を送ってから、会社に戻って仕事の続きをするので・・・」

イスの背もたれにかけられた自分のジャケットを取り、マヤの腕を軽く握って、この場から1秒でも早く

逃げようとする。紫織の連れの一人が冗談交じりに

「おいおい、君の婚約者は置いてきぼりかい?所属の女優さんも大事だが、紫織くんのことも構って

やらんとな」

と、言った。


「・・・これから北島と契約の細かなところを打ち合わせしなければならないんです。僕の仕事の関係で、

こんな時間しか開いてなくて」

真澄は愛想笑いをし、失礼します、と店を出た。




こりゃあ、噂以上の仕事人間ですな、という言葉に紫織は笑顔で頷きながら、心に渦巻くもやもやとした

感情の存在を確認していた。

仕事が忙しくて自分と会う時間はないというのは、言い訳だとわかっている。

愛する人がいるのも知っている。

早く結婚式を、と祖父がせかす。

自分の家柄は申し分ないし、真澄の会社のためにもプラスになる。

強引に結婚式を挙げてしまえば、法律上真澄は自分のものになる。



しかし・・・



結婚を躊躇しているのはなぜだろう?


この心に突っかかっているものはなに?


北島マヤの紅天女を見た後に残ったこの感情は・・・?


わかっている・・・



わかっているけれど、認めたくはない・・・・









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