星空と紅天女がくれた恋 2

written by あお〜









突然、真澄がウインカーを出し、車を寄せる。エンジンを切り、助手席のマヤを見る。


「ちょっと歩かないか」

マヤは真澄に促されるままに車を降りる。湿り気を含んだ風が2人の間をすり抜けてゆく。良く見るとそこは、

マヤが発声練習を行う河原だった。


真澄が腰を下ろすと、マヤを見上げて右手を差し出した。左手を軽く握られたマヤは、導かれるように腰を下ろ

す。真澄は何も言わずに、遠くを見つめている。マヤはどうしたものかと戸惑ったが、いい考えも浮かばず、真澄

の言葉を待った。


「つき合わせて悪かったな」

静かに真澄が話し出す。


「いえ・・。それより、速水さん、早く会社に戻らなくていいんですか?さっき、まだお仕事が残ってるって・・・」


「あれはウソだよ」


「えっ?ウ、ウソ?!」

こちらが驚くほどに狼狽しているマヤを見て、真澄が噴出す。


「どうした、そんな顔をして。俺がウソをつくのが、おかしかったか?」


「だ、だって・・・。紫織さんは婚約者でしょ?なんでウソなんか・・」

真澄から笑いが消え、その目は何も映さなくなる。


「婚約者って言ってもな・・・。会社のために親父が選んだ相手だ。早い話、本人同士が好き合ってなくても、

籍が入っているという紙切れ一枚が作れればいいんだ。当人の気持ちなんて関係ないんだ・・」

思いがけないほど、真澄の声が切なく、マヤは混乱する。


(速水さんは、紫織さんのことが好きじゃないのに、結婚するってこと?会社のために?)


「驚いたか?ビジネスなんてそんなもんさ」


「・・・・・」


「まあ、ちびちゃんにこんなこと言ってもしょうがないがな」

そうつぶやいた真澄の顔は、寂しかった。


(これがもうすぐ結婚しようとしている人の表情なのかな・・・)


真澄が仕事一筋の人間で、プラスにならないものは容赦なく切り捨て、常に冷静沈着、部下にも厳しく自分にも

厳しく。

だからこそ、異例の若さで大都芸能の社長に就任した。みんなが抱く真澄のイメージは一貫している。


でも、マヤは知っている。

真澄が優しい人だってこと、とても嬉しそうに笑うこと、紫のバラの人として、誰もが見放した自分をずっと守って

くれていたこと。もしかしたら、そんな彼だから愛のない結婚に対して戸惑っているのかもしれない。紫織さんに

対して負い目があるのかもしれない。それでも、会社のために頑張っているのかもしれない・・・。


「ねぇ、速水さん。もしかして・・・・いろんな事を我慢してませんか?」

突然、前後の会話となんの脈絡もない、けれど核心をつくマヤの質問に、真澄は思わず息を飲む。マヤの目が

自分をいたわるように揺れていた。


「そう・・かもな。思えば小さいころから、いろんなことを我慢してきた」

ポツリとつぶやいて、空を見上げる。


「俺は小さい頃から、ずっと星空を見るのが好きだった。大きな空で無数に輝く星を見ると、ちっぽけなことなん

てどうでも良くなる。 親父にしごかれて、くたくたになったとき、庭から星空を良く眺めたものだ。都会の空じゃ

見えるのも たかが知れてるがな」

真澄が、ふっと口角を上げて笑う。


「いつからか、そんなことをしなくなった。俺が大人になったのもあるだろうが・・・今思えば、心が死んでいたの

かもしれない。でも・・君に出会って、また星空を見たいと思った。君と一緒に紅天女の里で見たあの星空は、

きっと、一生、忘れない」


静かにマヤのほうへ体を向けると、

「・・・今日は食事に付き合ってくれてありがとう」

と、真澄は柔らかく微笑んだ。そして、すっと立ち上がると、明るい調子でマヤに言う。



「さて、天女様が風邪を引く前に帰ろうか」













「以上で、報告は終わりです。黒沼監督もいつもにまして厳しい稽古をしていますし、主役の北島マヤと桜小路

優の息もぴったりです。稽古前には、仲良く2人で顔を見合わせて笑ったりしてましたわ」


「・・そうか」



紅天女の稽古が早くも始まっていた。大都芸能が全力でバックアップする舞台ということで、マスメディアでも

大々的に取り上げられている。その進行具合を確認する役に、真澄の秘書である水城が任命された。もちろん、

有能な水城であるから、真澄が進行具合と共に気になっている事のチェックも怠らない。そのポーカーフェイス

の下に隠された速水の嫉妬心をくすぐることを面白がりつつ、もう一つ気の重くなる報告もする。


「それから、鷹宮会長から、また催促のお電話がございました。・・・もう同じ返事を差し上げるのも限界ですわ。

秘書の域を超えることを承知で申しますが、早急に紫織様とお話し合いを持たれるなり、鷹宮会長と直接ご連絡

を取るなりなさってください」


「ああ」


「真澄様。無理に仕事をなさって、紫織さんと会えないようにスケジュールを詰めてらっしゃいますね。あなたの

気持ちはわかっているつもりです。が、これ以上体を酷使するのはいい加減おやめになってください」


「水城くん。俺は根っからの仕事人間だ。仕事をしていると気が休まる。 紫織さんとの事は、もう俺の手中に

ない」


「・・・・マヤちゃんのことはどうなさいますの」


「北島は大都の所属女優で、紅天女の後継者。それだけだ」



まったく・・・。この上司は仕事のこととなると、びっくりするほどの手腕を発揮するのに、恋に関しては、いまどき

生きる化石かというくらい奥手だ。10年以上もこの調子で、いい加減にしてくれと思うのに、 つい2人の手助け

をしてしまうのは、自分の性格だろうか。早いところ、今の状況にカタがつくといいのだけど。


「わかりましたわ。出すぎたことを申してすみませんでした。次の会議は、20分後です」

水城は、一礼して社長室を出て行く。


真澄は、ふーっと深いため息をつくと、タバコを取り出し、火をつけた。

次の会議の資料に目を通しておこうと、手に取る。


“もしかして・・・・いろんな事を我慢してませんか?”


ふっとマヤの声が頭に響く。

このところ、毎日マヤが問いかける。


マヤが好きだ。狂いそうなほど愛している。マヤに気持ちを打ち明ける?いいや、拒絶されるだけだ。あれほど

喜んでいる紫のバラの人が俺だなんて一生聞きたくない事実に違いない。紫織の家柄は全く問題ないし、会社

にとって願ってもない相手だ。ならば、俺一人が我慢すればいいことじゃないか。そうだろう・・?












その日の夜、水城はマヤと会っていた。

どうしても大都芸能以外の場所でというマヤに、自分の知っているイタリア料理の店を教え、待ち合わせた。


マヤがいかにも緊張している面持ちでいたため、稽古の具合を聞きながら、ひとまず食事をとる。

食後のコーヒーと紅茶が到着したところで水城が切り出した。


「で、今日は一体どうしたの?」


「・・・えーっと・・・おかしいって笑われちゃうかもしれないんですけど、大人の世界はそういうものなのかもしれ

ないんですけど・・・」


なかなか本題に入ろうとしないマヤに、やさしく問いかける。


「笑ったりしないわ。私を呼んでまで相談したいことなんでしょ?しかも、会社を避けるってことは、さしあたり

真澄様のことかしら」


「はい・・・あの・・・」

マヤはしばらく目をキョロキョロさせた後、

「速水さん、紫織さんのこと好きじゃないんですか?」

と、思い切って聞いた。


その一言で、水城はピンときた。


(この子、真澄様が好きなんだわ・・・)


マヤが、真澄のことを少なくとも嫌ってはいないと感じていたが、好きという感情かどうかまでは確証がなかっ

た。マヤの言葉で、2人が好きあっているとわかった今、さっさとくっついてしまえば問題はないのだか、まさか

自分が真澄の本当の気持ちを言うわけにはいかない。


「どうしてそう思うの?」


「速水さんが言ったんです、紫織さんと結婚するのはビジネスなんだって。そのときの顔があまりにも寂しそうだ

ったから、気になって、それで・・・」


「もし、真澄様が紫織さんのことを好きじゃないとしたら・・・マヤちゃんはどうするの?」


「えっ?わ、私・・・?」

マヤはうろたえる。


私、どうするつもりだったんだろう・・・。速水さんに告白する?でも、美人じゃないし、ちびだし、私なんて女として

すら見られてないし。冗談だろ、って笑われるに決まってる・・・。


水城は、答えられずにうつむいてじっと黙り込んでしまったマヤを見て、意地悪な質問をしたことを後悔した。


「私から真澄様の本当のお気持ちは言うことはできないわ。でも、いいことを教えてあげる。今、真澄様はつらい

立場にいらっしゃるの。いろんなしがらみに絡まれている、と思い込んじゃっているの。その中から救い出すこと

ができるのは、マヤちゃん、あなたよ」


「私・・?どう・・やって?」


「ただ真澄様が、自分の気持ちに正直になってくださればいいの。マヤちゃんは、その手助けをしてちょうだい。

今夜、私に聞いたことを、真澄様に直接聞くのよ」


たぶん、マヤは急にこんなことを言われて戸惑っているだろう。けれど、話を聞くその目は真剣そのものだ。


「いい?きちんと聞くのよ。それできっと全てが上手くいくわ」


マヤはなぜかわからないが、水城が言うのだから、間違いない気がした。少しでも真澄の力になれるなら、あの

辛い表情が消えるなら・・・。



「わかりました。頑張ってみます」













水城がマヤと会っているころ、いつもどおり真澄は仕事をしていた。

ここ半年はずっとこのペースだ。屋敷に帰るのも、1週間に1度。それも着替えを取りにいくだけで、30分と滞在

しない。その他はプライベートマンションで寝泊りをしていた。



突然、社長室の扉がノックされた。

水城はとっくに帰ったし、誰かと会う約束も無かったはずだ。誰だろうといぶかしげに返事をする。


「誰だ?」

カチャリという音と共にドアが開く。


「紫織さん・・・!」


「真澄様、少しお時間をいただけますか」







2人で向かい合って、革張りのソファに座る。真澄はビジネス用の笑顔を作る。


「今日は、どうしました?こんな遅くに出歩いては体に悪いですよ」


「わたくし達、婚約期間も長いですし、そろそろ結婚してもいいんじゃないかと思いますの」


「すみませんが、今は仕事が忙しく----」

紫織が、真澄の言葉を遮る。


「真澄様は、結婚の意志はありますのよね?」


「・・・・もちろんです」


「では、きちんとプロポーズしてください」


「こんな味気ない場所でプロポーズというのも・・。それはまた日を改めて」



紫織はぎゅっと目を瞑る。


まただ。結婚を切り出したとたん、冷酷な表情に変わり、やんわり断られる。

私は一体、あなたのなんなのですか・・・?



「今日、祖父に結婚の日取りを決めるように言われました。来年の春当たりはいかがですか?」


「春は、紅天女の本公演があるんです。大都をあげての舞台です。とても忙しくて結婚式なんてできないと思い

ます」

その言葉に、紫織がきっと目を見張って立ち上がる。


「結婚なんて、ですって?わたくしとの結婚は、紅天女と比べて、そんなちっぽけなものですか!」


「そうかもしれません」


「真澄様にとって、紅天女とは一体なんなのですか!たかが舞台でしょう?」

真澄は静かにはっきり答える。


「たかが舞台・・・・?そんなものじゃないことは、試演を見たあなたならわかるでしょう。あれは選ばれし者に

しか作れない一つの世界だ。私は父がなぜあそこまで紅天女に執着しているのか、よくわかる。 紅天女は

一生をかけるに、充分値する作品です」


紫織は真澄の顔を見てぞっとする。今まで見たことのないその冷血な表情に、自分が踏み込んではいけない

域に踏み込んでしまったことを悟る。しかし、高ぶっている感情を抑えることはできなかった。


「作品?違いますわ。あなたは、紅天女、そのものに恋しているんですわ!」


「紫織さん、落ち着いてください。一体どうしたというんです」


どれだけ叫ぼうが、わめこうが、真澄を振り向かすことはできない。あの人の心は、紅天女、いや、北島マヤに

しか動かせない。


悔しい。


わたくしのなにがいけないの!






紫織は気が付くと、社長室を飛び出していた。


待たせていたハイヤーに乗り込むと、声を殺して、泣いた。









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