紫のキノコの女(ヒト)  3



紫織は鷹宮家に到着すると、真澄をグイグイと引っ張り、部屋に招き入れた。


「紫織さん、何をそんなに急いでいるんですか?」

「い、いえ別に・・・・真澄さま!!ちょっとソファーでゆっくりとくつろいでいて下さいませ!」

・・・そう言うと、真澄を居間に連れ込み、ものすごいスピードでキッチンまでダッシュして、使用人

を呼びつけた。


「お願い!すぐにジュースと甘いものを用意してちょうだい!できればケーキがいいわ!」

「・・・速水さまにもジュースで???・・・お二人分を居間にお運びすればよろしいのですね?」

『お願いね』と言いかけて、慌てて訂正する紫織。

「あ、待って!運ぶのは紫織にやらせてちょうだい!」

『そうよ・・・ジュースに薬を入れなくちゃいけないんだもの・・・』

「はい・・・かしこまりました。」

使用人は、今までに見たことがないような紫織の慌てぶりに驚いている様子だ。


・・・寝不足で少し赤い目をさらに充血させ、すごい形相でゼーハーしながらキッチンを後にする

紫織・・・。

『さあ、早く薬を取りに行かなくちゃ・・・。』

こういう時、広い屋敷というのは大変不便なものだ。 紫織はさらに息を切らしながら階段をかけ

あがり、自室へと向かう・・・。

・・・そして、勢いよく部屋に突入し、電気もつけずに戸棚を力任せに開け、木箱の中から3センチ

ほどの薬のビンをひったくるように掴んで廊下に飛び出し、またキッチンへと急いだ。

もう、自分でも病弱なんだか健康なのか、分からない。 

まるで 【一人で大運動会 in 鷹宮邸】 状態の紫織・・・。

彼女は、『借り物競争』でアイテムをゲットしたかのように、ゴールへと向かった。 ゴールはもちろん、

キッチンだ。




・・・ところが・・・・

「ま、真澄さま!!」

な、なんと、キッチンに真澄が突っ立っている姿が目に映った!!

紫織は目をぱちくりさせ、慌てて薬のビンをワンピースのポケットに隠し、驚きと息切れで声も裏返った

状態で叫んだ。


「な、なにをしていらっしゃるのですかっっっっ!!」

真澄の方は、涼しい顔をしてヘラリと答えた。


「ああ、紫織さん、どこにいらっしゃったんですか? 僕、手伝おうと思って来たんですよ。ケーキが

待ちきれなくて。」

紫織が動揺しているにも関わらず、真澄はホイホイとロールケーキの皿とオレンジジュースを運んで

いった。

『な、なんて事!!真澄さまがキッチンにまで顔を出して手伝いなんて!!!』


「お嬢様・・・申し訳ありません。 気付いたら速水様がいらっしゃって・・・。」

紫織が怒りで震えていると、使用人が申し訳なさそうにそう言った。

紫織はチッを舌打ちすると、

「もう結構よ!」

と、使用人を睨みつけるようにして真澄の後を追い、居間に向かった。



「おいしいですね・・・紫織さん。」

「え、ええそうね・・・ホホホ・・・」

紫織はジュースを口にしながら、なんとか真澄に薬を飲ませる方法を考えていた。


『しまったわ・・・こんな大きなテーブルじゃなくて、小さなちゃぶ台だったらよかったのに!』


・・・そう、鷹宮家の立派な居間のテーブルは広く、とても手の届く場所に真澄がいないのだ。

紫織が焦りながら真澄の行動を気にしていると、今までケーキをつついていた真澄が急に紫織の

方を向き、真面目な顔でじっと見つめてきた。


「ま、真澄さま・・・どうなさったんですの?」

カタンッ・・・とフォークを置いた真澄。

「・・・紫織さん、こんなに離れていたら、あなたの顔がよく見えない・・・隣に座ってもよろしいですか?」

・・・なんという嬉しい言葉であろうか。

「・・・・ええ、もちろん。」

紫織がドキドキしながらそう答えると、真澄はゆっくりと立ち上がり、彼女の隣に座った。

「ま、真澄さま・・・・」

「紫織さん・・・」

真澄は熱い眼差しでまっすぐに紫織の顔を見つめ、大きな手のひらを彼女の腰の辺りに回した。


『ああっ・・・真澄さま・・・いけませんわ!こんなところで・・・♪』


紫織は、ついつい大事な事も忘れ、目を閉じて真澄の広い胸にそっと体を任せることにした・・・・・。





「・・・ああ、やっと手に入れましたよ・・・。」

真澄は紫織の耳元でそう呟くと、彼女からから体を離してスッと立ち上がった。

『え?な、なに?手に入れたって?まだ何もしてないわよ?真澄さま?』

紫織は呑気にそんなことを考えていたのだが、真澄が解毒剤のビンを手にしている姿を見ると、顔色を

変えた。


「ま、真澄さま!!何をなさるんですか!」

慌てて取り返そうとした紫織であったが、薬はすぐに真澄の手によって彼のスーツの胸元のポケットに

しまわれた。

全く事情が飲み込めない紫織・・・。

さっきまでの別人のような真澄はどこにもおらず、いつものクールな表情の彼がじっと紫織を見下ろして

いる。


「紫織さん・・・あなたはずいぶん酷い女性ですね・・・見損ないましたよ。」

「・・・どっ・・・どういう事ですの?」

・・・真澄は呆れたように息を吐き、先ほどよりも険しい目つきで彼女を睨んだ。


「紫織さん・・・僕を誰だと思っているのですか? あなたが最近、妙な物を手に入れて不信な動きをして

いることぐらい、事前に僕の耳に入るということはお考えになりませんでしたか?」

「・・・・・・・!!」


・・・そう、真澄は聖からの報告書で、紫織の数日前からの妙な行動や、入手したキノコの事もすべて

知らされていたのだ。

「そ、そんな・・・」

紫織は悔しさと恥ずかしさから、真澄を見られず、ただ唇を噛み締めて真澄の言葉を聞いていた。


「僕は確かにあなたから渡されたスープは飲みましたよ。 でも、解毒剤を持っていましたからね。変だと

気付いてすぐに対応できたんですよ。・・・しかし、まさかあの子にまで食べさせるとは・・・・・・解毒剤が

一つしかなかったので焦ったものの・・・一秒でも早く、あの子を元に戻してあげたいのでね。あなたから

手に入れる事にしたんですよ。フッ・・・」


「じゃ・・・じゃあ、さっきまでの真澄さまは・・・?あれは演技だったとでもおっしゃるの?」


真澄の笑いは、だんだんと冷ややかなものに変わっていった。

「クククククッ・・・なかなか楽しかったですよ。ああ・・・あなたと一緒にいてこんなに笑えるなんて初めて

ですね。」

「・・・・・・。」


「紫織さん・・・僕は、部下から報告を受けたとき、まさかと思いましたよ。 あなたのような立派な女性が、

こんな卑劣なまねをされるなんて信じたくなかった・・・。」


「・・・どうなさるおつもりですの!?・・・その薬で北島マヤが元に戻っても、紫織は婚約解消なんていたしま

せんわ!」

紫織は逆ギレすると、真澄に向かってキッパリとそう告げ、バンッッと強くテーブルを叩いた。

・・・その拍子に、テーブルの上の紫織のジュースグラスが倒れ、紫織の服に飛び散る。

「・・・大丈夫ですか?ハンカチをお貸ししましょうか?」

「結構ですわ!!」

真澄がハンカチを差し出したにも関わらず、紫織はパシリと払いのけた。

「紫織さん・・・今後のことは、あなたの思う通りに致しますよ。 お好きなようにどうぞ。 ただ・・・・」

「ただ・・・・何ですの!!!?」

「いえ、何でもありません。 ・・・・さようなら、紫織さん。」

真澄は紫織に背を向けると、振り返ることもなく出て行った。




・・・真澄が出て行くと、紫織はズルズルと床に腰を落とし、わんわんと泣き崩れた。

「お嬢様!どうなさったのですか? 速水様は急いで帰られましたが・・・。」

使用人の一人が慌てて居間に飛び込み、心配そうに紫織の顔を覗き込む。

「な、何でもないのよ・・・。悪いけど、この部屋の片付けをお願い・・・。」

紫織はそう言ってゆっくりと立ち上がると、額を手のひらで押さえ、ヨロヨロしながら自室へと向かった。


『ああ・・・どうしたらいいの・・・!!』

真澄を失うかもしれないという不安と共に、怒りの感情が湧き出てくるのも止められなかった。

『冗談じゃないわ・・・これじゃあまるで、とんだピエロじゃない!!』

紫織は思いきり強くベットに倒れこんだ。


『・・・渡したくない・・・北島マヤなんかに!許せない!』

『どうしたら真澄さまと婚約解消しなくて済むのかしら・・・』

『真澄さまがいなくなってしまったら、紫織は生きていけないわ!』


頭の中はパニック状態で、もはや冷静に思考することができなくなっているようだ。


そして、頭を抱えながら髪の毛を掻き毟り、体を起こした紫織は、枕を持ち上げ、力いっぱい壁に投げ

つけると、

「真澄さまなんて・・・真澄さまなんて・・・もう二度と会いたくないわ! 婚約解消よ!!」

と、口に出して叫んでいた。

『・・・・あら・・?紫織ってば、今・・・なんて言ったかしら?』


・・・なぜだろうか・・・先ほどまで拘っていた気持ちが嘘のように消え、今までの悩みがバカらしく思えて

きた。


『もう・・・いいじゃない・・・真澄さまなんて・・・仕事優先のつまらない男だわ・・・』

まるで、心の中にもう一人別の紫織がそう囁いているように聞こえた。


『ああ〜別れて正解だわ・・・あんな男・・・ムニャムニャ・・・』

今まで怒っていた気持ちもどこかにいってしまったようだ・・・。


紫織は、どこかスッキリとした爽やかな気持ちに包まれると、安心したようにゆっくりと眠りについた。



・・・紫のキノコのエキス入りのジュースを飲まされていたという事実も知らずに・・・・。





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