明日はいよいよバレンタインデー当日・・・。 マヤは、ぼんやりと座布団の上に腰を下ろし、真澄と2人で歩いたあの夜の風景を何度も思い浮かべていた。 『もう一週間か・・・一週間前の、ちょうど今頃の時間だったかな・・・』
目を閉じて真澄の姿を目の前に映し出しては溜息をついてきた。
楽な立場でいられただろう・・・。 もうすぐ結婚してしまう人。決して好きになってはいけない人。そんな事は 何度も何度も自分に分からせようとしてきたはずなのに。 『この手で速水さんのトレンチコートの袖をつまんで歩いて帰ってきたんだよね・・・』 ほんの少し、思い返しただけでも胸が熱くなってしまう。 『速水さんとのたくさんの思い出・・・。無理やり腕を掴まれたり、抱きついちゃった事もあった・・・。 社務所での夜は・・・想いが溢れて止まらなかったのに・・・伝えたい事は何も言えなかった・・・。』
「・・・あたし、もう子供じゃないのに!!」 思わず口に出してしまい、慌てて口に手をやる。 そして、頭の中で大人びた自分の姿を作ってみたものの、真澄が人生を共にする女性は自分ではないのだ、と 痛感しては、また暗闇に突き落とされたような苦しい思いが渦を巻く。
時間は刻々と過ぎていく・・・。 『明日の今頃は、今日以上に落ち込んでいるのかな?あたし・・・。』
・・・せっかく気合を入れてチョコレート作りに差し掛かっていたのに、シリアスなムードも吹っ飛ぶような マヤの絶叫がアパートに響き渡った。 「なんで溶けないの〜?おかしいなあ??」 ・・・マヤが作る予定のチョコは、溶かしてカップに流し込むだけの簡単なもの・・・。 それくらい、小学生でもできるのかもしれないが・・・人並み外れて不器用なマヤにはとても困難な作業であった。
麗は帰宅するなり、大声でマヤに問いかけてきた。 「麗〜〜!!あのね、チョコが溶けないの・・・溶かしてカップに入れるだけなのに!!」 マヤは麗に助けを求めるために、すごい速さで散らかっている部屋に彼女を引っ張りこんだ。
「ちょっと!アンタ、何やってんの?これでチョコを溶かそうと思ったのかい!?」
「だ、だって・・・チョコの溶かし方が分からなかったんだもん。 チョコって手で持っていてもすぐに溶けるし、 ストーブの上なら早いかな〜って・・・でも、焦げるなんてびっくりしちゃった・・・。」
マヤに向き直って言った。 「どれ?他にも溶かすチョコあるんだろう?それはもう焦げているからダメだけど、溶かし方教えてやるから 自分でやってみな。」 「うん・・・」 ・・・やさしい麗の言葉に押されるように、山ほどのチョコのブロックが入った袋をおずおずと差し出した。
あまりの量に驚き、呆れて腰に手を当てた麗。 「あのね・・・作るのは一人分なんだけど、どうせあたし失敗するから、多めに買ったの。」
麗は、クスクスとからかいながらも、マヤに分かりやすいように説明をしてくれた。
「ほら!ボーっとしてないで、やってみな!」 「うん・・・」
チョコがベタベタに溶け始めた。 「わーん・・・まな板の上で溶けちゃう・・・」 「ほら!もたもたしてるからだろう?早くこっちのボウルに移して・・・・。」 呆れたような表情の麗であったが、さり気なくマヤのフォローに回った。
「後は、カップに入れてトッピングするだけだよ。」 「わーい・・・ありがとう、麗!」 マヤは、カレー用のスプーンでチョコをすくい、ゆっくりとカップに流し始めたのだが・・・。 「わあ〜!こぼれた!溢れた!いや〜ん・・・!!」 「マヤ・・・・・・」 ・・・結局、分量もバラバラでカップはドロドロに汚れ、余りにも無残な状態のカップチョコレートが完成した。
だってのは知ってるしさ。義理にしては上出来だよ。」 心配そうにマヤの顔とチョコレートを見比べている麗。 「ち、違うの・・・桜小路君じゃないの。」 「じゃあ誰?桜小路くんじゃないなら、紫のバラの人かい?それなら、もうちっとまともなヤツを作らないとなあ。」 「・・・・・。」
「違うの・・・紫のバラの人にでもないの・・・。」 『紫のバラの人にだけど、今回はそういう気持ちじゃないのよね・・・』
なんだろう?妙な相手じゃないだろうね? ・・・とにかく、告白してうまく言ったらちゃんと教えなよ!」 「うん・・・・。」 マヤはそう答えたものの・・・『告白してうまく言ったら』という麗の言葉にひどく反応し、 どうしようもない虚しさの波に襲われると、静かに下を向いて頷くしかなかった。
「うん・・・ありがとう麗・・・おやすみ。」
マヤは、麗が寝てしまってから5回も作り直したが、満足できるようにチョコを仕上げることはできなかった。 ・・・もう、とっくに日付は14日になっていて、麗のスヤスヤという寝息が聞こえてくる。
言われてたじゃない! あたし、子供の頃から全然進歩してないね・・・。もしも、かあさんが生きていたら、 あたしが速水さんに告白するなんて許さないだろうね・・・。『バカだね!あんたなんて相手にされないよ』って 言うんだろうね。』 ・・・マヤは、流し台にもたれていた体の力を抜くと、キッチンの床にゆっくりと腰を下ろした。 泣かないつもりでいるのに、目の淵には、じわじわと熱いものがこみ上げてくる。
もう、とっくに自分の中では解決しているコト。 幼かった自分が、責任をすべて真澄に押し付け、楽になろうと していた事実。 それに気付くまでに、ずいぶんと時間がかかってしまった。 ・・・本当の真澄のやさしさを知る日まで、憎むことしかできなかった。
マヤは、ギュッと唇を噛み締めた。 そして、あれほど憎んでいたはずの彼を、いつから好きになっていたのだろうか、と自分の曖昧な記憶を探り、 思い出される真澄の表情やセリフのひとつひとつを大切に取り出しては、目の前に並べていく。
『速水さんの願いって、本当に何なんだろう・・・』 首を傾げながら目を閉じると、紅天女の里で見た星空がそこにあるかのように思い出される。 『今日は少し曇っていたから、きっと星はでていないだろうなぁ・・・』 ただでさえ、こんな都会では星は数えるほどしか見えないのだ。 『・・・・・』 ・・・マヤはゆっくりと腰をあげ、麗を起こさないように気をつけながら、外に出てみることにした。 星を見ることができれば、勇気がわいてくるかもしれない。
自分の中で、そんな適当な賭け事を思いついた。
マヤは、アパートの中の階段をギシギシという音を立てながら降り、そっと外に続くドアのノブに手をかける。
不利すぎる賭けではないか・・・?
マヤは深呼吸しながら、そっと闇に続く扉を開いた。
・・・小さく息を呑んだ。 「やっぱり、ダメ・・・なのかな」 首をぐるりと回しながら空全体を見回してみたものの、星は全く見つからない。 寒くて凍えそうな手のひらを合わせ、白い息を吹きかけては、震えながら必死で夜空を仰ぐ。
自分の馬鹿げた行動に、ほとほと呆れて消えてしまいたくなる。
何度も何度も背伸びをしたり、左右に体を動かしたり・・・。 すぐには諦めたくなかった。 星は隠れているだけで、ちゃんと存在するのだから。少しでも雲が動けば、 そっと顔を出すかもしれないのだから・・・。
思わず声をあげてしまった。 小さな小さな星がひとつ。 じっくりと見なければ、誰も存在に気付かないような弱い光を発しながら、 灰色の雲の隙間に輝いている姿が見える。
・・・今までずっと我慢していた大粒の涙が次々とマヤの頬を伝っていく。 いつか見たプラネタリウムの星よりも、紅天女の里で見た満点の星空よりも、今のマヤに勇気をくれた、小さな星。
鼻を真っ赤にしながら、マヤは溢れるだけの涙を思いっきり流した。 部屋に帰ってまた泣いてしまったら、麗に心配をかけてしまうから。もう、泣くのはこれで終わりにしたいから。 「かあさん・・・あたし、頑張るよ・・・。明日また、泣いてるかもしれないけど・・・それでも見守っていてね。」
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