この想いを届けたくて 3



バレンタイン当日の大都芸能。

誰もが厳しい表情で急ぎ足で歩いているものの、どこか浮かれたように感じるのは気のせいではないのかもしれない。


マヤも、夜明けまでかかって必死で作ったチョコレートを紙袋の一番下に隠し、 いかにも『義理チョコを配りにきました!』と

アピールするかのようにズンズンとロビーを歩いていく。


『そうよ、あたしは義理チョコを配りに来たんだもん。別に、速水さんにチョコを渡すためだけにここに来たわけじゃないのよ!』

そう自分に言い聞かせながら・・・どうしてこう、ギリギリになっても自分が素直になれないのか分からない。

だんだん減っていくチョコと共に緊張感を抱き始めるマヤ。義理チョコなら、こんなに気軽に手渡せるのに・・・。


「ありがと!マヤちゃん! これ、本命チョコだと思っていいのかな〜?」

企画でお世話になった部長さんが、そんな冗談を言ってきた。

「え?あ・・・あの・・・」

マヤが返答に困っていると、ニヤニヤしながら周りに突っ込まれる。

「マヤちゃん!本当に純情なのよね〜。冗談に決まっているじゃないの!」

笑いの渦の中を逃げるように飛び出したマヤ。 


真っ赤になりながら先を急ぐ。 そして次に誰に渡すのかを考え、抱えている紙袋をそっと覗いてみて、溜息をついた。

・・・本命チョコのラッピングの紙がチラリと見え隠れしている。


『どうしよ・・・。速水さん、お仕事中だよね・・・。 やっぱり、夜になるまで待っていたほうがいいのかなあ。』

時間が経つにつれ、どんどんと逃げ腰になっていくのが、自分でも分かる。


しかし、仕事が終わる頃にわざわざ待ち伏せするなど、それではあまりにも大げさな渡し方ではないだろうか? 

こうやって義理チョコのついでに、さり気なく渡せたら楽だと思って来たのに・・・。


マヤの頭の中で、どうするべきなのか葛藤が続き、社長室に向かう昇りのエレベーターの前でウロウロしながら無駄な行動を

繰り返してしまっていた。


ザワザワとしたロビーに続く廊下を、忙しそうな社員達が行き来している・・・。

マヤはエレベーター近くの観葉植物などに目をやるフリなどして、胸の鼓動を抑えることに集中する。


ちょうどその時、エレベーターから2人組の女子社員が降り、マヤとのすれ違いざまにこんな会話をしているのが聞こえてきた。


「速水社長にも、チョコ置いてきた?」

「置いてきたよ〜!婚約者がいても、やっぱり人気あるんだね〜速水社長。部屋に山積み状態だったよ。 でも、チョコの

受付は水城秘書が全部やってたよ。 社長はバレンタインには興味もないんだろうね〜。」


彼女達が通り過ぎると・・・まるで世界に一人だけ取り残されたかのような冷たい空気が流れていく・・・。


『そりゃそうだよね・・・』

忙しい真澄のこと・・・たかがバレンタインごときに心を奪われたりしないのであろう。 

マヤは、忙しい仕事の最中にくだらない手作りチョコなんて持っていって「好きでした」なんて告白してしまおうとした自分を

恥じ、現実に引き戻されたように冷静になっていった。

・・・あれほどまでの勢いが、泡のように消えていくのが分かる。



マヤは、ゆっくりと出直す事を決意し、エレベーターを離れて逆方向へと歩き始めた。



「あら?北島・・・マヤさん?」

一瞬でビクリとし、声のした方向に顔を向けると・・・・真澄の婚約者、鷹宮紫織が立ち尽くしてこちらを見ている所であった。


「し、紫織さん・・・」

紫織は、品の良いベージュのツーピース姿。 大人の色気を感じさせる雰囲気は、女のマヤでさえもドキリとするほど美しい。


彼女が、ふとマヤの紙袋に視線を移したので、マヤはとっさに罪悪感に襲われ、瞬間的に強く抱きかかえていた。

「こんにちは、マヤさん。今日は、チョコレートを配りに来ていらっしゃったのかしら?」

「え・・・ええ! お付き合いの関係で、ぎ、義理チョコをたくさん・・・あの・・・」

マヤは目を泳がせながら、必死で「義理」という言葉を強調している自分に気付き、虚しさを感じる。


紫織は、クスッと意味深な笑いを顔に出すと、ただでさえ消えてしまいそうな弱い立場のマヤにとどめを刺すように言った。


「わたくし、真澄さまにチョコレートケーキを届けに行って参りましたのよ。 毎年たくさんの義理チョコを受け取るみたいですけど、

真澄さまはあまり甘いものはお好きではないでしょう? わたくし、真澄さまの好みに合わせて甘さを抑えたスポンジを焼いて、

ガナッシュクリームもブランデーを多く使って・・・彼好みの味に仕上げてみましたの。」

「・・・・・・。」


「もちろん、素材を選ぶのにもずいぶん時間をかけて・・・。 子供染みているかしら? たかがバレンタインデーなのに、こんなに

一生懸命になってしまうなんて・・・」

「・・・いいえ・・・そんなこと・・・ないと思います・・・」

それは、マヤの本心であった。  自分も同じような事をしているのだから・・・。


「真澄さま、とっても喜んで下さったの・・・。他の義理チョコは食べなくても、わたくしのケーキだけは食べるって約束も

してくださったわ。 どれだけ苦労しても、たったそれだけの愛しい人の言葉が嬉しいものですわ。」

紫織は、真澄の言葉をかなり大げさに変え、マヤに思い知らせるかのように言葉を投げかけていた。 

・・・ほんの少し、沈黙が流れた。



「・・・すごいですね・・・。紫織さんの手作りのケーキが食べれるなんて、速水社長はすごく幸せですよね・・・。」

マヤは、やっとの思いでそう言葉にする。

・・・本当は・・・泣き崩れてしまいたいくらいに悲しかった・・・けど・・・こんな所で泣いたら変に思われてしまう・・・。

顔を引きつらせながら、必死の笑顔を作り、紫織を見上げた。


紫織は、静かに髪をかきあげ、あまりにも平凡で幼いマヤを見下ろし、なんとか平静を保ちながら、ゆっくりとマヤから

視線を外した。


「ええ、マヤさん。真澄さまもわたくしも、とっても幸せ・・・。もうすぐ結婚式が控えているんですもの。」

「・・・・。」

「結婚式、是非いらしてくださいね。わたくし、マヤさんの演技、とても好きですわ。 今後も、真澄さまと夫婦で仲良く

観劇に行ってもよろしいかしら?」


「・・・はい・・・喜んで・・・」

「そう・・・嬉しいわ。あなたも、誰かステキな方と、お幸せにね・・・」

 紫織はそう言い残すと、香水の香りを漂わせながら、マヤの前から立ち去って行った。


とてもとても・・・悲しくてやり場のない気持ちが渦を巻き、マヤの心をかき乱して止まらない。

自分は一体、何をしに来ていたのだろう? あの2人の幸せを再確認するためだったのだろうか・・・?


徹夜をして作った、みっともないチョコレート。 それだけでも最悪な物なのに、紫織さんからの手作りのチョコケーキの後に

どんな顔をして渡せばいいのだろう・・・。


マヤは、紫織の姿が見えなってもなお、ぼんやりと立ち尽くし、時折エレベーターから出てくる忙しそうな社員達に迷惑そうな

視線を投げかけられても気付くことさえなく・・・涙で滲んでいく景色を見つめることしかできなかった。




どれくらいの時間が過ぎたのだろうか・・・

自分の馬鹿げた行動に呆れ、今ならまだ引き返せる・・・と、我に返り、急いで大都芸能を後にしようとした時であった。


「チビちゃん!」

聞き覚えのある声が背後で響き、マヤはギクリとする。 ・・・・でも・・・どうしてなのか、振り返ることができない。


他の誰でもない、速水真澄の声に間違いない。・・・自分を『チビちゃん』なんて呼ぶのは、彼しかいない。

急ぎ足で立ち去ろうとしたにも関わらず、真澄はあっと言う間にマヤの前に立ちふさがり、顔を覗き込んできた・・・。


「おい? 大都芸能を訪れてこの俺を無視するとは、いい度胸をしているじゃないか・・・」

クククッと笑いながらそう言った真澄を見上げてみるものの、言い返す言葉が何一つ見つからない。


「・・・何だ? 口も聞きたくないほど君を怒らせた覚えはないが・・・・」

軽く首を傾げ、不思議そうな表情でまじまじとマヤを見つめている真澄。


マヤは、真澄の顔を見ることすらできず、俯いたまま紙袋を覗かれないように大事そうに抱え直した。


真澄は、なるほど・・・という表情でマヤの手元に視線を移し、フッと笑いながら、再びマヤの顔を覗き込む。


「・・・なんだ、そうか・・・バレンタインで来ていたんだな。 ・・・で、俺の分がないから、気まずいわけか。」

真澄はそう勝手に解釈し、言葉を続けていく。

「・・・気にするな。俺は、義理チョコなどには興味はない。」


・・・それは、真澄の心の声とも言える。 山ほどの義理チョコなど、まるで興味はなく、欲しいのはマヤの心だと・・・。

当然、そんなことは言えるはずもなく、ほんの冗談のように伝えるのがやっとのことだったのに・・・。


案の定、深い意味など考えられないマヤは、真澄のその言葉を頭の中で何度も繰り返す。

『義理チョコに興味はない・・・紫織さんからの本命があれば、他に用はない・・・って事・・・?』

心の中の不安は、加速しながらマヤを包み込んでいく。


そして、強く唇を噛み締めた後にやっとマヤが口に出した言葉は、結局いつも通りの、つっけんどんなセリフであった。


「そうですよね・・・ 紫織さんから、手作りのすごいチョコレートケーキとかもらっちゃって、他の義理チョコなんて、全然興味も

ないんですよね!!」


一瞬で真澄の顔色が変わった。

『ほら、やっぱり図星じゃない!』


「・・・彼女に会ったのか?」

「ええ・・・今さっき。 どんなすごいケーキなのか、あたしも見たかったです。 ちゃんと婚約者の好みに合わせてケーキが焼ける

なんて、すごいですね・・・。」

泣きたい気持ちを抑えながら、バカみたいに自分の首を絞めていくのが分かる。


「ああ・・・そうだな。・・・彼女は、本当に俺にはもったいない女性だよ・・・」

いつかも聞いたことのあるセリフだった。 真澄が『もったいない』と思うほどの素晴らしい女性。誰が見ても美しく、家柄も良く、

申し分のないステキな人。 そして、それが真澄の婚約者・・・。



「速水さん! あたし、まだ義理チョコ配るのに忙しいんです。 さようなら!!」

マヤは、抱えていた紙袋を更に強く引き寄せ、サッと真澄の脇を抜けると、振り返ることもなく走りだして行った。


「おい!チビちゃん?」

真澄が呼び止めていたものの、その場を離れる事しか頭に浮かばず、マヤは逃げるように大都芸能を飛び出した。


「あの子の考えていることは、相変わらずよく分からない・・・」


真澄は、マヤの走り去った方向をじっと見つめながら、そう呟いていた。




『やっぱり、バカなこと考えてチョコなんて作るんじゃなかった!!』

マヤは、やり場のない辛い気持ちを引きずったまま走り続け、どこかへと向かう。

『速水さんには紫織さんがいるのに・・・あたし・・・あたし・・・!!』


どこをどう走っているのか、自分でも向かう先すら分からない。

・・・冷たい涙が、頬をどんどん滑り落ちては地面に消えてゆく。

・・・その涙と共に、チラチラと舞い落ちる白い欠片。・・・いつの間にか、雪が降りはじめていた事に気付くまでも、ずいぶんと

時間がかかってしまった。


『・・・そうか・・・昨日から天気悪かったもんな・・・雪、降るなんて思わなかった・・・』

勢いを緩め、よろけるように歩き出したマヤは、ぼんやりとそう思っていた。

チョコのことで頭がいっぱいだったマヤは、こんな天気なのに薄着で家を出てきてしまっている・・・。

『あたし・・・ホントにバカ・・・』

もう、寒さも通り越していて、どうなってもいいと思い始めていた。


このまま、雪は積もるのだろうか? いつか、イチゴ柄の傘で2人で歩いたあの日みたいに・・・。

もっと降ればあの日に戻れるのだろうか・・・。

マヤはふいに立ち止まり、空を大きく仰いで目を閉じた。


もっともっと降ってくればいい・・・あたしの想いを閉じ込めて、忘れさせて欲しい・・・愛しいあの人を、すべて・・・。

マヤの強い想いに答えるかのように、雪は加速してアスファルトを白く埋め尽くしていく。


遠のいていく、街のざわめき。  ・・・雪は、想いを閉じ込めるどころか、愛しい彼を思い出させるかのように降り積もる。

「速水・・・さん・・・」

マヤの小さな体が、ぐらりと大きく揺れた・・・。







・・・「マヤが倒れた」という連絡が真澄のもとに入ったのは、それからしばらくしてからのことだった。





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