この想いを届けたくて 4


・・・マヤが倒れ、病院に運ばれた・・・


真澄はそう連絡を受けると、無我夢中でトレンチコートをひっかけ、やりかけの仕事の延期を水城に告げ、

タクシーに飛び乗った。


『チビちゃん・・・何があったんだ・・・どこか具合でも悪かったのだろうか・・・』

心の中は、とにかくマヤの顔を一目見て安心したい、という事でいっぱいになっている。


『ただの疲労だろうか? それとも何か悪い病気ではないのだろうか・・・』

まさかとは思いながらも、自分でも信じられないほどに動揺しているのが分かる・・・。


昼過ぎからの関東地区は予想を上回る勢いで積雪し、交通は完全に麻痺している状況であった。

真澄の心とは反比例し、渋滞している道路上のタクシーは、なかなか動かない。


「ここで降ろしてくれ!」


イライラした真澄は、普通なら5分ほどで到着するという距離まで来てタクシーを降りることを決めた。


まだ降り続いている雪。・・・サクサクと音を立てながら、ひたすら先を急ぐ。


ふと思い浮かぶのは、いつかマヤと2人で歩いた雪の日のこと・・・。

あの子はまだ、覚えているのだろうか? それとも、頭の片隅にもないほどの事なのだろうか・・・。


傘も差さず、真澄はずっとそんな事を考えては時折、空を仰ぎ、寒さも感じないほど無になって歩いていく。


『いつも・・・俺のほうからあの子に関わろうとしている・・・』

真澄は過去をひとつひとつ振り返りながら、自分の諦めの悪さを痛感していた。


他の女優と同じ、商品のように考えることができればどんなに・・・。

・・・真澄は、凍りつくかと思うほどの白く悲しい溜息をついた。


『あの子を忘れてしまう事など、できるものか・・・』


自分が結婚し、マヤが他の誰かと結ばれてもなお、思い続けてしまうであろう・・・。

それは、自分の中で、結論として分かっていた事。


これほど、自分の気持ちがコントロールできないことがあるなど、考えた事がなかった。

ふと気付くと、いつもあの子の事ばかりを考えている。


どうしても惹かれてしまう・・・・。

心からあの子を愛している・・・。


それが許されることではないと分かっていても・・・せめて会える為のキッカケが欲しいと思う。


だから・・・あの子に何かあれば、こうして会いに行くのだろう。

マヤと繋がることのできる現実があるのだとすれば、どんなことでも構わないのだから。

たとえ信号はいつも赤で一方通行だとしても・・・。

それが嵐の日でも・・・雪の日でも・・・。



やっと病院に到着した真澄は、濡れたコートの雪を掃い、受付で聞いた病室へと急いだ。

そしてエレベーターを降り、目指す病室へと向かっている時、青木麗が病室を出てこちらに向かってくるのが

見えた。


「速水社長・・・! わざわざ、マヤの様子を見に来られたのですか?」

「あ、ああ・・・たまたま、こちらへ向かう用事のついでだ。」

なるべく冷静にそう答える真澄。 麗は少し怪訝な表情をしたものの、

「そうですか・・・わざわざありがとうございます。」

と、頭を下げた。


「速水社長・・・今、マヤはまだ意識が戻らなくて。 ・・・少し、お話してもよろしいですか?」

「ああ・・・構わないが・・・」

麗に促され、2人はマヤのいる個室から少し離れた廊下の長椅子に腰をかけることになった。


「あの・・・マヤなんですけど、昨日たぶん、ほとんど寝ていないみたいなんです。 それで、稽古の疲れとか

いろいろ重なって、倒れてしまったみたいです。」

それを聞いた真澄は、ホッと胸を撫で下ろし、軽く息をついた。


「そうか・・・だだの疲労なのか。とりあえずは安心だな・・・。

しかし、何をそんなに寝不足になるような事を?・・・何か原因は・・・?」


麗は、少し迷いながらもポツポツと真澄に事情を説明し始めた。


「・・・今日、バレンタインですよね? あの子、どうしても手作りチョコを渡したい人がいるみたいで、昨日は

必死で徹夜して作っていたんです。」


「・・・手作り?・・・あの子が・・・?」

真澄は目を見開き、麗の横顔を見下ろすと、小さく息を呑んだ。

自分がどれほど動揺しているのかが手に取るように分かった。 ・・・なんとか平静を保つため、持っている

トレンチコートを強く握り締め、麗からそっと視線を外す。


「あたし、マヤにそんな想い人がいるなんて知らなくて・・・。紫のバラの人でもないみたいなんです。桜小路君

でもないって言うし。・・・あたし、寝たふりしていたんですけど、夜中にずいぶん泣いていたみたいで。辛い

片想いでもしているのかもしれません・・・。」

「・・・・・。」

「さっき、うわ言で『ロイヤルプラザホテルの前に・・・』って言っていたんです。  ひょっとして、誰かと

待ち合わせしていたのかも・・・」

「・・・!!」


真澄は顔を強張らせ、返答することすらできないほどの衝撃を受けていた・・・。

あの子がそんな辛い恋をしているなど、考えたこともなかった。 もっぱら、真澄が危機感を抱いていたのは

桜小路であり・・・それ以外にマヤが想いを寄せるような誰かがいたなど、まさしく予想外としか言いようがない。


真澄が長い間黙り込んでいると、麗はサッと腕時計を確認し、急に立ち上がった。


「すみません、実はバイトを抜け出してきたので、そろそろ戻ります。 入院に必要な物は病室に置いて

来ましたので、とりあえず失礼します。・・・本当に、ご心配かけてすみません。」

「ああ・・・分かった。ここは俺が引き受けよう・・・。」


麗は深々とおじぎをすると、早足でエレベーター方面に向かって行った。


真澄はそっと口元に手をやり、信じられないという表情で首を振った。

「あの子が・・・一体誰を・・・・」

そう呟くとゆっくりと立ち上がり、まだ心の動揺が隠しきれないものの、吸い込まれるようにマヤの病室へと

向かっていった。




靴音が響き渡る、薄暗い病院の廊下。


真澄は軽く病室のドアをノックし、ためらいがちに部屋に足を踏み入れた。


・・・静寂した空間に、マヤの息遣いがうっすらと感じられる。


白くて細い腕は無造作に伸ばされ、 とても舞台の上であれほどの熱演をしている彼女とは思えないほどに

弱々しく・・・真澄は心が締め付けられる思いがした。


・・・ベットの横の折りたたみ椅子に静かに腰を下ろすと、そっとマヤの手を握り締め、ほんの僅かだけ、

自分のほうに引き寄せてみる。 瞳は固く閉じられ、深い眠りに堕ちているらしい。

「チビちゃん・・・」

思わず声をかけてしまった。


もともと華奢な体の彼女が、以前よりもかなり痩せてしまったかのようにも見える。


一体、誰が彼女をこれほどまでに苦しめているのだろうか・・・。


・・・真澄の心の中に、キリキリとした痛みが広がっていく。

今までにも数えるほど経験した、嫉妬という胸の痛み。・・・長い長い、片想いの年月。


しかし、ボーイフレンドと友達感覚で付き合っていた、あの頃の幼い彼女はもう、どこにもいない。

いつの間にか立派な大人になったマヤは・・・この先どんな男と触れ合っていくのか・・・。

真澄は溜息をつき、静かに首を左右に振り、目を閉じた。

それだけは考えたくない・・・いや、考えないようにしていた。 

実際、マヤにそういう相手がいないことを、自分はどこか安心していたのではないだろうか?


真澄の心の中を、過去とは比べ物にならないほどの強い嫉妬が渦を巻いていく。


・・・真澄は、マヤの寝顔をじっと見つめながら、月日と共に変わりゆく彼女がとても遠くの存在に思え、

思わず彼女を抱きしめて自分だけのものにしてしまいたい、という衝動にかられていた。

 
今回の件は、ほんの始まりでしかない。 いつか、彼女が誰かと恋に落ち、結ばれるという日も

遠くはないのかもしれない・・・。  彼女には、演劇だけに没頭し、できれば一生、誰のものにもならないで

欲しい、というのは、余りにも自分の勝手な考えではないだろうか・・・。

 
真澄はそう思いながら、そっと握り締めていたはずのマヤの手を、思わず力強く握り締め、うなだれるように

下を向くと、マヤの手の温かさを肌で感じ、体中で一瞬だけの幸せに浸っていた・・・。



「・・・は・・・やみさん・・・?」

マヤの微かな声が響き、真澄はハッと顔を上げる。

・・・どうやら、マヤの手を握り締めたまま、うとうとと睡魔に襲われていたようだった。

「チビちゃん!!気がついたか?」

マヤは、視界にアップの真澄が飛び込んできたので、少し赤くなりながら、とっさに真澄の手を払う。


「あたし・・・どうしたんだろ?」

「・・・それは、俺が聞きたいくらいだ。 君は俺の前から走り去って雪の中をフラフラと歩いていたんだろう?

相変わらず君は役者としての意識が足りないというか・・・」

掴んでいた手を離され、ショックを隠すかのように、慌てて言葉を繋げている真澄。


マヤは、ハッと目を大きくすると辺りを見回し、チョコの入った紙袋を確認すると、安心したように体をそっと

起こした。


「倒れてまで、チョコの心配か・・・。」

「・・・・。」

「さっき青木君に会った。・・・君が、徹夜して作ったというチョコの話だ。」

「・・・・うそ・・・」

マヤは、耳まで真っ赤になり、真澄から視線を外した。


「チョコよりも大事な事があるだろう?そんなに、無理をしてまで手作りして・・・雪の中で倒れて・・・。

君が何を考えているのか、俺には理解できん。」

結局、やりきれない気持ちを説教に変えた真澄は、自分でも情けないと思いつつ、冷たい口調になっていた。


そして、マヤがどんな反撃にでるのか・・・思い余って相手の名前を白状するのか・・・いろいろと思考しながら

様子を窺う。


マヤは、みるみると青ざめ、決して真澄の顔を見ようとはせず、黙ったままだった。

・・・何も言い返してこないマヤを見ていると、ついつい口が滑り、しゃべりすぎてしまう真澄。


「誰に会いに行くつもりだったんだ?ロイヤルプラザホテルって・・・君が、うわ言で言っていたらしいじゃないか。」

「え??あたしが・・・?」

マヤは、黙秘するつもりでいたのに思わず返答してしまった自分に気付き、慌てて口元に手をやった。

「そうだ。君は誰かに会いに行こうとしていたんじゃないのか?」

「・・・・・。」

また小さな沈黙が流れた。


「言えないのか?」

「・・・言えません! あたし・・・それに、ロイヤルプラザホテルで誰とも会う約束なんて、してません。」

マヤは、震えながらそう答えると、真澄をまっすぐと見つめ、うっすらと涙を浮かべていた。


「チビちゃん!!」

「は・・・速水さんなんて・・・嫌いです!大嫌いです・・・!」

とうとう、マヤは大粒の涙をこぼし、顔を両手で覆いながら泣き崩れていった。


真澄は、いつも以上に『大嫌い』という言葉が胸に突き刺さっていた。

もう、感情を抑えることができそうもなかった。


「チビちゃん・・・君がどれだけ俺を嫌っていても・・・俺は・・・」


真澄はそう言い掛け、膝の上で気持ちを抑えるかのように握り締めていた手のひらをマヤのほうに伸ばし・・・

・・・力づくで彼女を抱きしめていた。





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