雪に咲く紫のバラ  1

written by あお〜







「速水さん・・・あなたが紫のバラのひとですね?」

マヤは革張りのソファに身を埋めたまま、静かに口を開いた。




紅天女を手に入れたマヤは大都芸能に所属を決めた。先ほどサインをした契約書のコピーを

とるために水城が席をはずし、パタリ、と社長室の扉が閉まった直後の出来事だった。

完全に不意を突かれた質問に、真澄は自身を取り繕うこともできず手からバラバラと書類を落と

した。顔を上げると、マヤの目は真澄の目を真っ直ぐに見つめていた。

いつものどこか不安げで劣等感を抱いている様子は全く見受けられず、変わりに彼女が舞台

に立ったときと同じ、何事にも動じない凛としたオーラを放っていた。

ゴクリ、と真澄はマヤに気付かれないよう、つばを飲み込む。必死に冷静になろうとする。

マヤがゆっくり近づいてくる。彼女に見えないようデスクの下で握られた拳だけが、今の感情を

正直に表していた。


どうする・・・!


ビジネス上では、自信たっぷりに振舞い、いかなる時も相手に弱みを見せることなどない自分

が、彼女の発した一言でいとも簡単に追い込まれる。


否定するのは簡単だ。だが・・・。


マヤの射るような視線と強張った顔は全てを知っているように思えた。事実を承知で確かめて

いる感がある。


真澄のデスクを挟んで真澄と向かい合ったマヤは、バッグの中から大事そうにあるものを取り

出すと、机上に散らばった未決書類の上に置いた。


なんだ?

真澄は怪訝そうに眉をひそめる。


「覚えていますか、速水さん。 あたしが最優秀演劇賞を頂いた時に紫のバラのひとがくれた

カードです。・・・・ここ、見てください」

マヤの細い指がその箇所をなぞる。


『スチュワートの青いスカーフを握りしめながら・・・』


なぜ、この文が自分と関係するのか。速水真澄と紫のバラのひとが同一だという証拠になる

のか。真澄にとって、これといって思い当たる節はない。相手の出方、経営の状況など、普段

は先を予測するのを得意としている真澄だが、この場合のマヤの意図は読み取れない。安易

に言葉を並べて墓穴を掘らないよう、ひとまず少しだけ顔をあげてマヤに先導を委ねる。


マヤの大きな瞳が思案するようにくるっと動く。


「わからないですか?あのね、忘れられた荒野で、青いスカーフを使った日はたった1日だけで

した。台風だった初日だけ・・・」


一瞬にして、真澄はマヤの言わんとしている処を悟った。

正体がばれているのに気が付かずにずっと芝居を続けてきた自分に対する情けない想いと、

彼女がこの事実を善しと受け止めているのか否か想像がつかず、どんな顔をしていいものか

考えた挙句、

「とんだところから足がついたものだな」

と苦笑いしイスに体を預ける。


「いつまでも負けてばかりのあたしじゃありません。速水さんは他にもたくさんヒントを与えて

くれてたんですよ」

ふふっとマヤが笑う。


その微笑みがいつになく大人びていて、真澄はドキリとした。

いつの間に彼女はこんな表情を身につけたのだろう。


「速水さん、あなたが紫のバラのひとだと言ってくれますか?」

しばしの沈黙の後、真澄はおもむろにノートパソコンをパタンと閉じる。ギシリと音を立ててイス

を回すと、真澄はマヤに歩み寄った。

これ以上にない緊張した面持ちで真澄を見つめているマヤを、真澄もまっすぐに見つめ、口を開

いた。


「君を傷つけるかもしれないとずっと言い出せなかった。・・・マヤ、俺が君の、紫のバラのひとだ」


マヤが嬉しそうに微笑んだかと思いきや、その顔はたちまちくずれ、マヤは真澄の胸に飛び込ん

だ。


「やっと言ってくれた。あたし、速水さんがそう言ってくれるのを待ってた。ずっと、あたしを支えて

見守ってくれてどうもありがとう・・・!」


「マヤ・・・」


真澄は胸に広がるぬくもりに圧倒され、思わず彼女の黒髪をなでようと手を上げる。だが、途中

で思い直しその手を静止する。

速水真澄が紫のバラのひとという事実を、マヤがどう捕らえているのか判断がつきかねる。

憎んできた相手が、今まで支えにしてきた人だったとは・・・。


「俺ですまない。がっかりしただろう・・・?」

マヤは涙に潤んだ目を真澄に向ける。


「ううん。言ったでしょう、どんな人でも構わないって。でも・・・速水さんでよかった・・・かな」


「よかっ・・・た・・?」

マヤは涙を拭きながら真澄から離れる。


「紫のバラのひとにお願いがあります。この2ヶ月で3回、あたしと一緒に過ごす時間を作って

くれませんか?ほんの数時間でいいの。2ヶ月か3回、どちらかが先に終わったら、そこでおし

まい。だめですか?」

真澄はマヤの突然のお願いに戸惑う。


「どういうことだ・・・」


「最初で最後の紫のバラのひとと過ごす時間が欲しいんです。1時間でもいい。お願いします」


「たった2ヶ月か3回、しかも1時間でいいのか」

マヤはコクンと頷く。数秒の沈黙の後、震える小さな声が聞こえてきた。


「紫のバラのひとが・・・速水さんが結婚してしまう前に、思い出が作りたい・・・」


真澄はマヤの口から漏れた“結婚”という言葉を忌々しく思い、かつ、マヤの弱々しい姿に心

を揺さぶられる。彼女の熱っぽい瞳と震える声を、ともすれば良いように理解してしまいそうな

自分を戒めると、それでも嬉々として要求を受け入れる。


「1時間じゃ何もできない。3時間くらいが適当だな」

そう言い放ち、デスクにあったメモ帳にサラサラとペンを走らせる。


「評判の舞台があるんだ。まだ君はオフ中だろう。ちょうど俺も会議がなくなったから、明日ここ

で待ち合わせだ」



マヤは、端正な字で店の場所と名前、真澄の携帯番号が書かれたメモを見ながら誓う。


あたしは2ヶ月か3回で、紫のバラのひとと、速水さんとお別れする・・・。













「お待たせいたしました」

マヤの前に注文したホットチョコレートが置かれる。


カップを両手で覆い、寒さですっかり冷えた指先を温める。カップを両手で包んだまま口へ運ぶ

と、やけどをしないようフーッと冷まして一口飲む。暖かい液体が体内に入り、体の中心を温め

ていく。

カップをソーサーに戻すとマヤは、やっと感覚が戻ってきた手で頬に触る。指先同様に冷たくなっ

た顔はまるで表情がなくなってしまった気がする。大切な真澄との約束1回目にマヤは穏やかな

笑顔でいたいと思い、ぺちぺちと軽くほっぺを叩いてほぐしてみた。


「なにやってんだ」

不意に頭上からやさしい低い声が降ってくる。マヤが顔を上げると、そこには目を細めて面白

そうにマヤを見下ろす真澄の顔があった。コーヒー、と短く注文して、真澄はマヤの向かいの

席に座った。

今まで何度も真澄と食事をしたり、街を歩いたことはあるが、改めて約束をしてこうして2人

で会うのは、どことなく気恥ずかしい。マヤはそんな気持ちを悟られないよう、うつむいたまま

ホットチョコレートの入ったカップをいじる。

そうしている間に真澄の注文したコーヒーが来る。真澄は一口すすると

「顔、どうかしたのか」

と、マヤに尋ねた。


「え?」


「さっき、頬に手を当てていただろう。まさかケーキの食べすぎで虫歯ってことはないだろうな」

まさか 『速水さんと一緒のときは笑顔でいたいから筋肉をほぐしてました』 なんて言えるはずも

なく、結局はぶっきらぼうに、

「んもう!いくらあたしでもそんなに食べませんよっ」

と返した。


マヤの気持ちなど知らない真澄はいつもの説教口調になる。

「虫歯は甘く見てると大変なことになるぞ」


「だから、虫歯じゃないですってば!」


「どちらにしろ、役者は体が資本だ。しっかり管理しろ」


「なっ。速水さんこそ、お酒とタバコは控えた方がいいんじゃないですか。速水さんが倒れたら

大都の社員がみーんな困りますよっ!」


「くっくっくっ。そうだな。ご忠告感謝します」

かなわん、とばかりに真澄は早々と降参する。

実際のところ、マヤとの間では勝つ、負けるは大した問題でなく、こうして触れ合う時間を持て

ることが嬉しいのだから。


マヤは、真澄に乗せられいつもの調子で言い返してしまったことを後悔する。

あたしって、やっぱりかわいくないし、子供だって思われるのも無理ないかも・・・と考えて、ちょっ

と悲しくなった。



舞台の時間までこのカフェで時間を潰すつもりでいた真澄だが、ふと思いついてマヤと共にカフェ

を出た。日はすっかり暮れ、気温もぐっと下がったようだ。

足早に近くのデパートへ移動すると、マヤに言った。

「ちょうどいい時間までショッピングでもしようか」


「速水さん、何か欲しいものでも?」


「ちびちゃんの、だ。今までは紫のバラのひととして贈り物をしていたが、君の趣味なんてお構い

なしに一方的だったからな。今度は一緒に選ぼう」


「え・・でも、欲しいものないですし・・・」

真澄は、マヤがそう言うだろうことは予想していたので、


「なにかアクセサリーを見よう。あれは好みがはっきりしているから、俺じゃわからん」

と、あらかじめ用意しておいた答えを述べ、さっさと売り場へ向かって歩き出した。

マヤはまだ何か言いたそうにしていたが、迷子になっては大変と急いで真澄の後を追った。











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