ずっと二人で・・・ 5



カチャン・・・・




――・・・今の音は・・・――


突然発せられたその音に、マヤは身も心も大きく反応し、パッとソファーから体を起こした。


連日、眠れぬ日々を過ごした為だろうか・・・睡魔に襲われ、どうやらウトウトと浅い眠りを繰り返してしまったらしい。

・・・それでも何度か意識を戻して彼の姿を探した記憶だけは残っている。


――速水さん・・・?――

期待と不安で胸を躍らせていると、静かにドアが開く音が薄暗闇に響いた。


「速水さん!」

マヤは泣きそうになるのを我慢しつつ、かすれたような声を出してソファーを離れ、足を踏み出した。





「マヤ・・・」

・・・夢ではなく、正真正銘の真澄が目の前にいた。

彼は疲れきった様子でブリーフケースとトレンチコートを片手に目を見張り、足を止めている。



「速水さん・・・」

笑顔で迎えようとしたのに、声が震えてしまう。


「まだ起きていてくれたのか・・・?」

「お、おかえりなさい・・・」

マヤは胸がいっぱいになり、そう言葉をかけるのが精一杯だった。




――やっと会えた――

まるで一ヶ月も二ヶ月も会えずにいたような気がする。愛しくてたまらない彼がそこにいるという事実だけで心が満たされていく

のが分かる。



「・・・すまない、遅くなって・・・」

彼はそう言いながら、まっすぐにマヤに向かって足を進める。


――ドキン――

彼が近づいてくるだけで、どんどん鼓動が速まっていくのが分かる。


「もう寝るつもりだったのか?」

真澄はブリーフケースとコートを投げ捨てるように下ろした。

そして、マヤの浴衣姿の上から下までを確認するかのように視線を動かしたので、それに気付いた彼女はカッと顔を赤く

して襟元を正した。

――ああっ・・・髪もボサボサだし、浴衣も乱れてるかも・・・恥ずかしいっ――




ところが・・・


彼がすぐ目の前まで近づいた時、いつものタバコとコロンの匂いに混じり、ツンと強く主張する匂いが鼻を刺激する。


――香水・・・・・?――


マヤは敏感にそれを感じ取ると、消えかけていた不安が舞い戻り、怪訝そうな顔で彼を見上げる。


――やっぱり女の人と一緒だったの・・・?――


ふいに目の前の彼が、大きく右手を差し出してきた。

・・・フワリ、と広がる香水の香り。


――イヤッ――

「やめて・・・・」

マヤは反射的に身をかわしていた。


「・・・・マヤ?」

彼女の小さな声に反応し、彼は戸惑いながら手を提げ下ろした。


「・・・少し顔色が悪いようだが・・・具合でも悪いのか?」

「別に・・・・大丈夫です・・・」

突き放すような言い方をし、マヤは顔を伏せながら後ずさりをしてしまう。


「そうか・・・それならいいが・・・明日はせっかくのオフだ。もう休んだほうがいい・・・」

真澄は体を逸らすと足早にネクタイを緩めながらマヤのサイドを通り過ぎた。

「・・・・・」



・・・重苦しい雰囲気が充満していく。

しかし、辺りを漂い続ける香りは、マヤの乾いた心に突き刺すほど強いものだった。


彼は自分で気付いていないのだろうか。 こんなに強く香りが残るほど、誰かと長い時間を過ごしていたのだろうか。

嫌な妄想ばかりが広がり、胸の中に立ちこめていく。


――今まで誰と一緒にいたんですか?――


喉元まで出かかった言葉を、彼がかき消した。

「シャワーを浴びたら俺もすぐに休むから・・・」


「・・・・・・・・」

マヤは、彼がそう言葉を残して浴室へと向かう姿をチラリと確認し、強く下唇を噛み締めることしかできずにいた。





凍りつくほど静かな寝室。

部屋は暖房で充分に暖まっていたが、浴室を出て数時間も経った体は、すっかり冷え込んでしまった。



マヤは片方のベットに潜り込み、行き場のない思いを抱え込んだまま、眠くもないのに静かに瞳を閉じる。




言えばよかったのかもしれない。

思っていたこと、聞きたいことを全部聞いたほうがよかったのかもしれない。


でも・・・・。


幸せが壊れてしまうのが怖いと思って避けてしまった。

少なくとも、一緒にいられることだけは奪われたくないという気持ちが、言葉を閉じ込めてしまっていた。

彼が戻ってきてくれるだけでも、と願っていた先ほどまでの自分を思い返し、マヤは自分の欲深さを思い知らされる。

そして同時に、自分自身の弱さに呆れ返り、溜息をつきながら枕を抱え込んだ・・・。

――あたし、こんなに弱かった?――




やがて、遠くのほうでライターをカチリとはじく音が聞こえ、彼がタバコを吸っている姿を思い浮かべたりなどしていたマヤは、

想像以上に彼が早くそれを切り上げ、こちらへ向かってくる足音に気付いて慌てふためいた。


パチンとメインルームの電気が消され、薄暗い部屋に差し込まれていた光が消えてしまうと、寝室にはほのかなランプの明か

りだけが残る。 


・・・もうすぐ、こんな静まり返った寝室で彼と二人きりになってしまう。


――ど、どうしよ・・・・――


・・・マヤは、彼のベットに背を向ける格好になり、毛布でできるだけ顔を隠し、息を潜めることにした。

――何してんだろ、あたし――

まるで叱られた子供がいじけているようだと自分でも思う。

可愛くない・・・。


けれど、どうせ彼にすべてを問いただすような真似はできないのだ。

このまま知らんふりして朝を迎えてしまったほうが良い・・・。




タバコの香りが僅かに部屋の空気に混じり、彼が戸惑いながら部屋に足を踏み入れる気配がした。


――ドクン、ドクン、ドクン――

やけに自分の心臓の音が大きく感じる。

寝たフリをしているのなんて、きっとすぐにバレてしまいそうな気がする。




彼はしばらく足を止めていたが、空いているベットに入り込んだのであろう・・・シーツの擦れたような音が聞こえ、部屋には

再び静けさが戻っていた。



・・・彼の僅かな息遣いを感じる。

・・・こちらには背中を向けているのだろうか?

・・・本当にもう寝てしまうつもりなのだろうか・・・。


どうする事もできず、そんなくだらないことを思考している自分を情けなくも思う。

見えないはずの彼の存在感が大きすぎるのは何故だろう・・・。








「マヤ・・・もう寝たのか?」

――ドクンッ――


暗闇で突如、真澄の低い声が響き、マヤは高鳴る心臓と共に体を奮わせる。



イラスト:ミナ様


「・・・・・・」

声を出さずに、小さく首を振って答えていた。

――うわ・・・あたしって、バカ・・・寝たフリしちゃおうと思ってたのに――



・・・その仕草に気付いたのか、彼は僅かな溜息をついた。


・・・そして、思いも寄らない言葉がマヤに伝えられる。



「マヤ・・・・すまなかった・・・」


――え・・・・?――


何のことだか分からず、マヤは頭の中を整理しようと、あれこれ思考を巡らせた。


――あたしが何か気付いたと思っている・・・・?――

心臓が早鐘のように打ち始め、胸には無数の針が突き刺さるような痛みが走る。



「今回の旅行の事だ。勝手に何もかも決めてしまって悪かったと思っている」

「・・・・・・?」


・・・意表をついた彼の言葉に、マヤはただ押し黙ることしかできず、唾を飲みこんだ。


――何を言い出すの?――


「乗り気じゃなかったんだろう?こんな風に急に大阪まで来ることになって・・・」

真澄はそこまで言葉を続けると、マヤの返答を待つように様子を窺うように黙り込む。


――どうしてそんなことを言うの?――


部屋の時計の秒針と自分の心臓の音が嫌というほど頭の中に伝わり、マヤは ようやく言葉を出していた。



「乗り気じゃないなんてそんなこと・・・ないです・・・」

――楽しみにしていたし、嬉しかった・・・・――

それは本当の気持ち。 心の底からの・・・。



「そうか・・・・それならいいが・・・ずいぶん不安そうな顔をしていたから・・・」

真澄は、落ち着き払った声で静かにそう告げる。


――そんな・・・――

マヤは、自分を気遣う彼に対し、やりきれない思いに襲われる。

そんなに不安な顔を表に出していたのだろうか?

でもそれは彼にだって原因があるわけで・・・。


・・・胸の奥に押し込めていたはずの感情が突き出してくる。


「・・・速水さんは・・・速水さんこそ・・・ホントは一人で来たほうがよかったんじゃないんですか?」


「・・・・マヤ?」


――ああ・・・・・言っちゃった――



マヤの言葉に、真澄は驚いたように尋ね返す。

「どういうことだ?」


「あ、あたしなんて連れてくると・・・いろいろ大変だし・・・。他にも・・・あの・・・・」

言葉が詰まって上手く話せないのがもどかしい。

聞きたいことは山ほどあるはずなのに・・・。


モゴモゴとしているマヤに対し、真澄が早口で言葉を繋げる。

「・・・俺は、君と少しでも長く一緒にいたいから誘ったんだ。どうしてそんな事を言い出すんだ?」


不機嫌そうな彼の返答に、マヤはどう答えていいのか分からなくなっていた。


――だって・・・――



「君と一緒にいると時間を忘れるくらいに楽しいと思っている。 君といると・・・安心する」


――だったら・・・どうして・・・・?――

ワカラナイ・・・。


「あたしは・・・あたしだって速水さんといるのは楽しい。けど・・・苦しい・・・の・・。一緒にいると、辛くなる時がある。息が

出来なくなりそうになるんです・・・」

「マヤ・・・・」


・・・想いが膨らむ余り、そこから先の言葉が浮ばなくなっていた。

これ以上、感情に任せて言葉を吐いてしまったら、自分でも何を言い出してしまうか自信がない・・・。




「それは・・・俺といるのが辛いということなのか?・・・ただの”社長と女優”という関係に戻りたいのか?」

震えるような低い声が聞こえた。


――そんな・・・――


まるで怒りを押し留めているかのように感じ、マヤは恐る恐ると言葉を返す。


「そ、そう思ってるのは・・・速水さんじゃないんですか? いつもあたしを子ども扱いして・・・。誰が見たって、あたしと速水さん

じゃあ恋人同士に見られないし、似合わないし・・・きっと・・・」


――速水さんが必要とするような女性は他にたくさんいる・・・――


「・・・・・」


・・・最後の部分は言葉にならなかった。





長い沈黙が続き、マヤは言ってしまった虚しさと後悔に包まれて泣きそうになっていく。


――ああ・・・もうダメ・・・サイテーだ・・・あたし・・・――


彼が大きな溜息をつく音が聞こえ、ますます不安が加速してしまう。


――どうして何も言ってくれないの――


呆れられてしまったのかもしれない。いや、もしかしたら案外、いいキッカケができたと安心しているのかもしれない。

心がぐちゃぐちゃで、もう何も考えたくない・・・。



と、突然、ギシリ、と彼のベットが軋む音が響く。


――速水さん・・・?――


「そっちに行く・・・」


――え・・・・・?――


「あの・・・・」


マヤは恐怖心で顔を向けられないまま、彼が近づいてくる音を背中で感じていた。


――え・・・え・・・・え・・・??――


どうして急にそんな展開になるのだろうか・・・。


「きゃっ!」

考える間もなく次の瞬間、少し乱暴に布団が捲られたかと思うと、背中側に彼の重みがズシリと響いた。


・・・マヤが体を向けているのは壁側であり、背後には真澄がいる。

・・・逃げ場はない。


――速水さん・・・!――


シャワーを浴びてきたばかりの彼の体温は温かく、数センチの距離からそのぬくもりが背中に浸透してくるのが意識しなくても

分かる。


――どうしよう――

心の準備がまるで出来ていないのに。



――ビクンッ――


彼の手のひらが肩に触れたと同時に、マヤの体中に電流のようなものが走った。

言葉が出ない・・・。

目を開けていても、彼の方を見ることすらできずに身を硬くするしかできない。

彼の少し濡れた髪が首元をくすぐり、同時に熱い吐息が空気を震わせている。

至近距離に彼の存在がある事だけで、頭の中はパニックになっている。


「君がどう言おうと、俺は君を愛している・・・」

ゾクリとするほどの低い声が響くと、マヤの耳から全身にかけて、怖いような感覚が広まった。 自分の奥底に眠っていた、

未知なる部分が痙攣を起こしたように熱く疼(うず)き出している。


「愛している・・・」

もう一度彼が耳元で大きく囁き、熱く湿り気のある唇が耳たぶに触れると、マヤは耐え切れずに吐息を漏らした。


「あんっ・・・」


揺らぐ意識の中、彼が肩に触れていた手に力を込めたことに気付く。 

その手のひらは勢い良く伸び、前触れもなくマヤの浴衣の胸元へと辿り着き、隙間を縫うようにして肌の上へと進入する。 


目に見えない、温かい彼の手指の形を肌で感じる。


・・・絶対に、彼以外の男の人になんて触れられたくないと思う自分がいる。 

だから・・・イヤじゃない。

けれど・・・・


頭の片隅の自分の意識が彼を拒否していた。

今のまま、こんな彼に対する疑いの心を抱えたまま抱かれるのが嫌だと思っていた。

実際に今は香っていなくとも、あの強い香水の匂いが記憶に残っている。


マヤは彼の腕を押しのけようと力を出していた。

それでも彼の体は容赦なく、ぴったりとマヤの体を押さえつけてくる。

――こんなのはイヤ――


「やめてっ」

マヤは小さく叫んでいた。

しかし・・・・強く彼を拒もうと振り上げたマヤの細い手首は、あっけなく彼の手に掴まれてしまう。



「イヤッ・・・・・・」

もう一度、恐れたように声を出した。



「子ども扱いされて怒っていたんだろう?」

少しイジワルそうな冷ややかな彼の声。


――からかっているの・・・?――


カッとしたマヤは、いつものように何か言葉で反抗しようかと思い言葉を探す。

ところが、今度は首筋に彼の唇を感じて、思わず体を強張らせた。


「あっ・・・ダメっ」



あっと言う間だった。


両肩を掴まれたマヤは、気付くと体を仰向けにされていた。













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