ずっと二人で・・・ 4



――何かの間違いに決まってる――




湯煙が広がる美しい大理石の浴室。

・・・・マヤは熱いシャワーを頭から被り続け、不安を打ち消そうと精一杯だった。




どこをどう歩いてホテルに戻ってきたのか分からない。

他人の目も気にすることなく、ずぶ濡れの体でホテルに引き返したマヤは、フラフラと部屋に戻り、冷え込んだ体を温め

るために浴室へと飛び込んだのだった。




イヤというほど目に焼きついている、見知らぬ女性と真澄のツーショット。

分かっている・・・自分が馬鹿げたことを想像していることくらい、分かりすぎている。

常識的に考えれば、あれは取引先の秘書か誰かで・・・彼と特別な関係にある女性であるはずがない。

そうでなければ、大阪まで自分を連れてくるなんて事をするはずがないのだから。 

悲しい発想だけれど・・・女の人と会うつもりなら、彼ならもっと上手にやるに決まっているのだから。 



でも・・・。


――”紫の薔薇は、一生、マヤにしか贈らないよ。例え、どんな相手であろうと、君以外には”――


クリスマスに彼が誓ってくれた言葉だった。

あれは嘘だったのだろうか。 

もしかしたら、彼にとってそんな都合の良い嘘は誰にでもついているのかもしれない。

ホテルの近くで会食をすると言っていたはずなのに、タクシーに乗っていくのだって、不自然すぎる・・・。

――やっぱり・・・あの女の人は特別な誰か・・・?――



以前、映画で、主人公の男性が何人もの女性と上手に遊ぶというストーリーを観たことがあった。 

――あの映画の主人公の設定も、どこかの会社の社長のお金持ちじゃなかったっけ?――


自分のような世間知らずの子を連れ、同時に他の女性とも会う事くらい、彼には容易いのかもしれない。



胸を刺すような思いが次々と浮かび上がり、そんな考えを振り切るように近くのシャンプーへと手を伸ばすマヤ。

そして、そこに設置されている鏡に映る自分の姿を見つけ、思わず目を見張る。


――ヒドイ顔・・・――


さっきショーウインドーに映った顔とは別人みたいな自分の顔をしていた。

今の自分は、人を疑い、誰かに嫉妬をする、醜い表情をしているのだ・・・。


「・・・・・」


冷静に考えてみても・・・彼はこんな自分のどこに魅力を感じていると言えるのだろう?


――やっぱり速水さんが好きなのは、演技をしているあたしの姿だけ――


・・・認めたくない。


――あたしを支え続けてくれたのは、単なるお金持ちの気まぐれの趣味――


・・・そんなのイヤだ。

そんな風に考えたくないのに。そんなはずないって心の底では叫んでいるのに。



一度疑い出したら、何もかもが怪しく思えてしまう。

ずっとずっと信じていた何かが崩れていくのが分かる。

・・・ぎゅうっと心臓がねじられる思いがした。

胸がつぶれてしまいそうなほど、苦しくなる・・・。



――”何の取り得もない、器量の悪い子だよっ”――


幼い頃から母親に言われ続けた言葉が、こんな時に脳裏に強く浮んでいた。



マヤは小刻みに首を振り、何もかも洗い流したいと願いながら、シャワーの勢いを一層、強めていく・・・。




一人きりのスィートルームは、虚しくなるほど広く、寂しさを充満させていた。



――お化粧も落ちちゃった――

いつもほとんど化粧なんてしないのに・・・少しでも彼の隣が似合うように無理をしてきたつもりだったのに。

ワンピースも雨ですっかりしおれてしまっていた。 

まるで自分の姿を見るようだと思った・・・。


マヤは浴室に置かれていた浴衣を身につけ、濡れた髪をタオルで拭きながら、惨めな気持ちでワンピースを拾い上げ、

ハンガーにかけた。



――携帯に電話をしてみようか――

ふっとそんな考えが浮かぶと、投げ捨てるように置いてあったコートのポケットを探り、携帯電話を取り出してみる。


――でも・・・――

携帯を胸に抱えながら思いとどまっていた。


――もしも本当に大事なお仕事に関る会食中だったらいけない――


・・・それは心の言い訳であり、見知らぬ女の人が携帯に出たらどうしよう、とか、彼の横にいる女の人の声がしたらもう

立ち直れないかもしれない、などという思いもあった。


――どうしたらいいの・・・――

マヤはそっと携帯をソファーに投げ下ろした。



・・・もっと言いたいことを言い合えた頃もあったはずなのに。

・・・好きだと意識しない頃は、何でも言えたはずなのに。

いつから自分はこれほど弱くなり、言葉を失うようになってしまったのだろう。 

一つ言葉を発したら、何を思われるか、どう思ったのか、そんなことばかりが気になってしまうのだ・・・。





――この景色のどこかに速水さんは・・・いるのかな?――


マヤは、行き場のない重苦しい気持ちを抱えながら、大きなガラス窓へと近づき、そんな事を思う。

目が覚めるかと思うほど美しい大阪の滲んだ夜景。

あいにくの天候とはいえ、暗闇にこぼれるほどの光の粒が輝いている。


でも・・・一人で見るには悲しすぎる景色かもしれない。


「せっかくのスィートルームなのに・・・」

ガラスに張り付くようにして言葉を発すると、漏らした吐息が僅かにそれを曇らせた。


彼を思うと同時に先ほどの女性の姿がまた浮かび上がり、一瞬忘れていた痛みが胸に戻る。

――もう今頃は・・・部屋にあたしを置いてきたことも忘れてたりして――

胸が切り裂けそうに痛い発想が広がっていく。



本当にどうすればよいのだろう。

どうしてこんな苦しい思いをしなければいけないのだろう。 

自分は彼の恋人だと言うのに・・・・。




恋をしたのは初めてじゃない。

人を好きになった事は初めてじゃない。

けれど・・・・


大好きな人と想いが通じ合うことは、もっと楽しいことじゃなかった?

毎日毎日、幸せで何もかもが満たされて笑顔になれるんじゃなかった?

自分がもっと彼に釣り合う相手だったら・・・?

もっと大人で、綺麗で、家柄も良くて・・・・


・・・マヤはそこまで考えると強く瞳を閉じ、大きな溜息をついた。



会えないだけじゃなく、彼のことを何も知らない。 仕事の内容だって、出張で会う相手のことだって、何も知らない。

きっと彼の隣を歩くのが似合うような大人の女性なら・・・もっと彼を支えてあげることもできるのだろうに。

自分はお荷物でしかない。 

とても彼が誇りに思うような恋人とは言えないのだ。


「買い物なんて行かなければよかった・・・」

問題を無視した、情けない後悔が口をついていた。


”世の中には知らないほうがいい事がたくさんある”

今まであまり深く考えなかった言葉の意味が、分かったような気がした。


――”お金持ちの社長と付き合うんなら、いろいろ目を瞑って我慢するのが当然でしょう?”――

いつか観たあの映画で、そんなセリフがあったのを思い出す。


そういうものなのかもしれない・・・。




――最初から分かってたもん・・・・きっといつかこうなるって――

・・・そう、今までだってずっと・・・分かってた・・・


――速水さんなんて・・・どうせ仕事虫の冷血漢でイジワルで・・・――

・・・それに・・・


――デリカシーもなくて、あたしをからかってばかりで、子ども扱いして・・・・・・――

・・・あとは・・・


――強引だし、それに・・・カッコつけてばっかりで――


後は何があっただろう・・・?



――・・・・・・――


・・・知らぬ間にマヤの目の前には、優しい彼の笑顔が映し出されている。



――・・・好き・・・・――



――速水さんが好き・・・――



「どうしても・・・好き・・・なの・・・・・」


聞いてくれる相手など誰もいないというのに、どこからこんな言葉が出てきたのだろう・・・。

マヤは震える両手で唇を押さえる。


「ダイスキ・・・・」



囁いた言葉は静寂な空気の中に消え去り、代わりにポトン、と大きな涙の粒に変化した。

ずっとずっと我慢していた、もどかしい想いのすべて。 

それは静かにゆっくりと絨毯に染み込んでいく。


いつか悲しい思いをしない為に、好きになり過ぎないようにしていた自分は、求めるばかりで彼に何を伝えられただろう。



「速水さんが大好き・・・」

止まらない心が叫んでいる。

これほどまでに、自分の気持ちが抑えられなくなっているとは知らずにいた。

ずっと気付かないフリをしていたのかもしれない。


――早く会いたい――



彼の顔を見れたら・・・目の前に彼が戻ってきてくれたら。 

どんな事実が分かっても、彼を嫌いになることなんてできないと思うから。

今度ちゃんと会えたら”苦しいほどあなたが好き”って、そう言いたい。

だから・・・・



「速水さん・・・早く帰って来て・・・」



静か過ぎる部屋の空気が体中に不安を巻きつけるように襲い掛かり、マヤはうなだれるようにしてソファーに倒れ込んだ。



















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