ずっと二人で・・・ 2


「速水さんの出張について行くだって!?」

翌朝、おずおずと麗に報告をすると、大声でそんな言葉を返されてしまった。


「や、やだ麗っ!声が大きいよっもうっ!」

ただでさえ狭く筒抜けのアパート。マヤはハラハラしながら周りを見渡す。


「あ、ごめんごめん! ちょっとビックリしたんだよ」

麗は目玉焼きを皿に盛りつけながら、それを早足で食卓へと運ぶと、ふーん、と口を尖らせた。


「なるほどね。どうも朝から様子がおかしいと思ったよ。トーストもいつもより余計に焦げてるし・・・」

黒色に焼け焦げる寸前のトーストをつまみ上げ、からかうような口調の麗に、マヤは頭が上がらなかった。


「・・・ごめんっ・・・」

「ま、いつもの事だけどさっ」

「・・・・・・・」

肩を落とすマヤと向き合い、麗はガリガリと焦げ付いたトーストにバターを塗りつける。


「で、どうすんのさ?行くのは決まってンだろ?もう明日の夕方なんてすぐじゃないか。今日中に荷物の用意を

しておかなきゃ、アンタの事だからきっと間に合わないよ」

そう捲し立てながら、いつも通りに食事を始めた麗をチラチラと確認し、マヤもゆっくりと箸を動かし始める。

そして、


「あのさ・・・行ってもいい・・・の・・・かなあ・・・?」


と、気まずそうにトマトを突付きながら上目遣いで弱々しく尋ねたマヤに対し、麗は表情も変えずにあっさりと答えた。


「別に・・・あたしに止める権利はないだろうよ。 速水さんと一緒なんだろう? 何も問題ないじゃないか。それとも

何かい?アンタ、あたしに『嫁入り前の娘が男と外泊なんて許さないよ』なんて言って欲しいのかい?」


「・・・・・」

あまりにストレートに「外泊」などという言葉を使われ、マヤは赤面しながら顔を下に向ける。


「そ、そんなわけじゃないケド・・・」


マヤは そう答えながらも、麗に止めて欲しかったような、反対されなくてよかったような・・・複雑な思いを抱えている

自分に気がついた・・・。


――あたしは、どうしたいと思っているんだろう――




「とにかく楽しんできなよ。お土産よろしくっ!」

麗が無理やり話を終わらせようとしているのが分かったけれど・・・。


――楽しんでくる余裕なんて・・・あるのかなぁ・・・――

と、マヤの心の中には不安が波のように押し寄せ、ろくに箸を進めることもできずに手を止めてしまう。


すると、おもむろに身を乗り出した麗が、続けて言葉を出した。



「・・・もう行くって決まってんだろう?だったら、あれこれ考えるよりも楽しむことを優先したらどうだい?」


「・・・・・・」


「いつも通りのアンタが一番いいよ。元気が取り得なんだからさっ。溜息ついたら幸せが逃げるんだよっ」


「麗・・・・」


――そうか・・・そうだよなぁ・・・もしかしたら、余計な心配事かもしれないし・・・ね・・・――


「ありがと。麗・・・・・・」


マヤは それだけ言葉を返すと、姿勢を正した。

・・・少し元気を貰ったような気がした。



それでも、心の中は まだ覚悟の出来ていない、自信のない自分が支配しているのは事実であり・・・。


――・・・ほんとに、どうしよう――


と、分かっていながらもまた、溜息をついてしまったのだった・・・。





あれこれと不安を抱えながら、やってきた大阪出張の当日・・・。


――早すぎたかなぁ――


マヤは、1泊にしては少し大きめのベージュの旅行カバンを肩からかけ、足早に待ち合わせをしている東京駅へと

向かっていた。

まだまだ時間までは余裕があるというのに、気持ちが早まって待ちきれないのだ。



――二人だけの旅行――


その言葉が頭をよぎるたびに熱い気持ちがドクンと心臓を一突きにする。


――速水さんはどういうつもりなんだろう――


と、同じ疑問を何十回、何百回となく自分自身に問いかけては溜息の連続。


こんな事(実際にはものすごい事)で動揺する自分がとても子供染みていて、自己嫌悪になってしまう。


きっと彼にしてみれば、それほど重要ではない、普通の出来事なのかもしれない。


――今までだってきっと・・・女の人と旅行くらい・・・――


そんな思考が広がると、針のようにチクチクとした痛みが胸を支配していくのが分かる・・・。





「マヤ!ここだ!」


「・・・!?」

思考を遮るような、聞き覚えのある声が耳に入り、どんよりと下を向いて歩いていたマヤはハッとしてその声の先に

視線を移した。 


「あ、速水・・・さん・・・!!」

真澄がトレンチコート姿でこちらに手を上げて合図してるのが目に入った。

絶対に自分の方が早く到着すると思っていたマヤは焦りの色が隠せない。


「あ、あたし・・・遅刻?時間、間違えた・・・?」

不安そうにそう言いながら彼に近づいて行くと、真澄は軽く首を振って答える。


「いや。俺が勝手に到着しただけだ。仕事が早めに片付いたからな・・・君を迎えに行こうかとも思ったんだが、

たまにはこうして駅で待ち合わせするのもいいだろう?」

「・・・あ、はい・・・」


なんだか子供のような表情をチラリと見せながらマヤの顔を覗きこむ真澄。


――ドキン――

そんな風に顔を近づけられただけで、恥ずかしくてまともに彼の顔を見ることができなくなってしまう。

この人は、どうしてこんな眩しい顔をするんだろ・・・。


「でも・・・ちょっと早すぎ・・・かも。あたしが遅刻した位のほうが、ちょうどよかったかもしれませんよねっ」

――な、何言ってるんだろ、あたし!!――


素直に ”あたしも早く会いたくて急いで来たの” なんて言うにはどうしたらいいのだろうか。

心の中でそうブツブツと思考を巡らせていると、真澄はサッと自分の腕時計を確認し、再びマヤに視線を合わせる。


「買い物していけばちょうどいい。君にはおやつも必要だろう?」

「・・・!?」

そして真澄はマヤのカバンにチラッと視線を移し、更に続けて言った。

「それとも、用意済みかな?」


「ひ、ひどいっ!そ、そりゃあ、アメくらいなら持ってますケドっ!お、お菓子なんて持ってないもん!!」

マヤが頬を膨らませながらカバンを抱きかかえると、真澄はクックッと馴染みの笑い声をあげていた。


「そうか・・・じゃあ、買いにいきましょうか?お嬢さん・・・・」


――また子ども扱いしてるっ――

「も、もうっ!」


「さあ、行くぞ・・・」



頬を膨らませているマヤに対し、真澄は お構いなしという表情で強引に彼女の腕を掴んで歩き出していた。


――速水さん――


強く捕まえられた腕に彼の強さにドキンと胸が高鳴る。マヤは一瞬、息を止めた。


――めまいがしそう――



「な、なんか・・・補導されてる子供みたいですっ・・・そんなに引っ張られると・・・」

――ああ、また・・・可愛くない言い方してる――



「そうか・・・それもそうだな。 じゃあ、間違えられないように君が腕に掴まるといい・・・」


真澄が急に立ち止まって真顔でそう言ったので、マヤは軽く深呼吸しながら・・・彼の頼もしい腕に自分の腕を

ゆっくりと絡ませた。


――うわぁ・・・恋人同士みたい・・・あっ・・・一応、正真正銘の恋人同士?なんだっけ?――



マヤは、ざわめく構内の景色すら、まともに視界には入らなくなっていくのを感じていた。

これが駅ではなく、例えば映画館に行くとか、遊園地に行くとか・・・そういうシーンでもこんなにドキドキするもの

なのか・・・。

それとも、今から住み慣れた土地を離れ、遠くへと向かうのだという状況が胸を躍らすのだろうか。


そして更に、もう充分に分かりきっているはずの ”二人だけで” という言葉が頭の中に飛び出してくると、マヤの

胸の鼓動は確実に速まっていく。


――どうしよ・・・もう後には引けないよ・・・――




マヤがそれほどの不安を抱えながら歩いているというのに、真澄はいつも通りの調子と変わりがないのが悔しくも思え

る。


――あたしの気持ち、分かってないんだろうなぁ――


マヤはチラチラと真澄の横顔を見上げながら、ぼんやりとそんなことを思い、軽く目を伏せた・・・。




「うわぁ・・・グリーン車って、こんなに広くてゆったりしてるんだ・・・」


新幹線の車内に乗り込むと、マヤは驚きの余りに息を呑んだ。

平日の夕方の新幹線・・・しかもグリーン車には、ほとんど乗客がいない。 まだラッシュ前の時間帯というのも幸い

したようだ。


「まるで貸切状態だな。さあ、菓子の食べ放題グルメツアーの始まりですよ・・・お嬢さん」

「!!!」


マヤは、真澄がドサリとシートの上に置いたビニール袋を目にすると、何も言えなくなっていた。

結局、売店で新発売のチョコやクッキーを袋一杯買ってもらってしまったのだ。マヤはギリギリまで「いらない」と

言っていたにも関らず、物欲しそうに見ている視線の先に気付いた真澄が適当に指示して購入したのだ。


「どうした?みかんも買えばよかったと後悔しているような顔だぞ?」

「違いますっ!」

クスクスと真澄の笑い声を聞き、マヤは


――なんで速水さんってば、いつもそうなの???――


と、言葉になりそうな気持ちをぐっと抑える。



しかし、今日の真澄は絶好調というほどに からかい口調が続いていく。


「でもまあ、貸切じゃなくても君は気にしないだろうな。 以前に食べつくしたケーキの量もすごかったしな。

あれは、俺の中でベスト3に入る伝説なんだ・・・クククッ」


――完全にバカにされてるっ――

小さく唇を噛み締めたマヤは、


「もうっ!速水さん、いい加減にして下さいよっ!いつもいつも!!」

と、ついに感情を爆発させ本気で訴えたつもりであるのに、真澄はますます愉快そうに腹を抱えて笑っていた。






「窓側にどうぞ」


真澄に促され、ゆったりとした座席に腰を下ろしたマヤは、しばらく彼に対してのデリカシーのなさに怒りを感じ、

無言で窓越しのホームを視界に入れていた。


――もう知らないっ!速水さんなんて・・・速水さんなんて――



ところが・・・


新大阪行き、発車します”


と、いうアナウンスの声が響き、発車のベルの音を聞いた途端、マヤは以前、紅天女の里へと向かった日のことを

ふいに思い出しハッと真顔になっていた。


あの時は、まさかこんな未来が待っているなんて想像もつかなかったのだ。

こうして肩を並べて新幹線に乗り、旅行をするなんて・・・。

あの日の自分は・・・。


マヤは遠い目をしながら思わず言葉を出していた。



「速水さん・・・あたし・・・あの時、京都出張から戻った速水さんに偶然このホームで会って・・・お別れした後、走っ

て追いかけたんですよ・・・」

「・・・・?」

真澄は唐突なマヤの言葉に驚きを隠せない様子であった。


「それは知らなかったな・・・一体、なぜだ?」


真澄の言葉を受けると、マヤは静かに口を開く。


「”紫のバラの人はあなたですか?” って聞こうと思って。 でも、追いつけなかった・・・。あの時、あたしが間に合

って聞いていたら、速水さんはどう答えていましたか・・・?」


マヤは気持ちを高めながら、ふと浮んだ疑問を真澄に投げかけていた。


真澄は、ゆっくりと手のひらを口元へと運び、目を細めながら、しばし空間を見つめ続けている。


――どうでもいいような質問だったかな・・・――


マヤがそう不安に思い始めた頃、真澄は途切れ途切れに言葉を出した。


「そうか・・・あの時に・・・か・・・。もしもそんな事を言われた上で君に愛の告白なんてされていたら、駅の ど真ん中

が舞台に早変わりして、俺と君のラブシーン・・・だったかもしれない・・・」


「・・・・もうっ!真面目に聞いているんですけど!」


まるで冗談のような言い方をしたので、気を張り詰めていたマヤは一変して噛み付くような口調で叫んでいた。



「ククッ・・・すまない。でも、俺は大真面目で答えたつもりだけどな。まあ、紫のバラの人の正体だけを問われたの

なら、苦し紛れにでも誤魔化したかもしれない。 あの時はまだ・・・俺は少なくとも君に好かれてはいなかったんじゃ

ないのか?」


今度は逆に問われる立場になったマヤは、ぐっと言葉を詰まらせた。


――あの時のあたしは・・・??――


マヤは しばし言葉を失い・・・・そして少し首を傾げながら、


「どうかなぁ・・・真実を知りたい気持ちのほうが大きかったかも・・・」

と、答える。


「・・・そうだろうな・・・」


真澄はその言葉を目を閉じながら聞いていた。



そして・・・

――・・・本当はもしかしたら・・・好きな気持ちに気付いていなかっただけなのかも――

そんな結論がマヤの脳裏に浮んだその時だった。


真澄が突然・・・何も言わずにマヤの手をとり、ぎゅっと強く握り締めてきたので、ビクリと体を強張らせてしまった。


――速水さん!――


右手が完全に塞がれた状態になり、マヤは みるみる顔を真っ赤にさせ、思わず顔を伏せる。

すっぽりと覆い被されるほど大きな彼の手のひら。そして美しく長い指先はマヤの手の内側にまで回り込み、すべての

意識がそこに集中してしまうのだ。


「・・・・」

「このまま大阪に着くまでずっとこうしていようか?」


真澄が体を近づけ、そっと彼女の耳元でそんな言葉を囁いたので、マヤは心臓の音が聞こえてしまうのではないかと

思うほどドキドキと鼓動を速めながら消えそうな声で呟いた。


「な、なに言ってるんですかっ・・・もう・・・・こ、困ります・・・」

沸騰しそうな顔を彼に見られるのが恥ずかしくて、マヤは精一杯体を窓の方向へと向ける。


「何が困るんだ・・・?」

真澄は、体の向きをギリギリまで横にし、前かがみになるようにしてマヤの顔を覗きこんできた。


――キス・・・される?――

マヤは、あまりにもいきなりな展開に顔も体も硬直させたまま、ぼんやりとそう思った。


・・・・ところが真澄は、マヤがゴクリと息を呑み込むと同時に、ゆっくりと体を離し、手のひらも解放した。


――・・・あ・・・・――


「冗談だよ」

「・・・・」


温かい彼の手のひらが離れてしまうと、マヤは安心と寂しさの混合した不思議な気持ちが揺れ動くのを感じた。


――困ることなんて・・・・別にない・・・のに・・・あたし・・・――


マヤは、いつまでも子供染みていて大人になりきれていない自分に真澄が内心呆れてしまったのではないかと不安に

なる。

そんな自分が悔しくて、なんだか涙が出そうだった・・・・。


――もっと大人にならなくちゃ・・・――



「分かってるよ」

「・・・?」

「右手が塞がってると好物のお菓子も食べれなくて困るんだろう?」


・・・すべてを台無しにするような、イジワルな真澄の言葉だった。

「!!!!!」

――速水さんっっっ!ヒドイッ!!――


そして真澄がスーツのポケットからタバコを取り出すのを確認すると、マヤは口をパクパクさせながらも、興奮気味に

叫んだ。


「こ、困るのは速水さんでしょっ!タバコ吸うんだからっっ!!!」


マヤの言葉に、真澄はタバコを取り落としそうになり、愉快そうに吹き出した。


「君といると本当に退屈しないよ・・・」

「・・・・・」


――”退屈しないよ”って・・・――


それは、もう何度も何度も彼の口から聞いたことのあるセリフだった。

でも、普通の大人の男の人が恋人に言う言葉とは、ちょっと違う気がする・・・。


「マヤ・・・」

「・・・・」

真澄の呼びかけにも、マヤは無言になる。



「悪かったよ・・・。 これで機嫌を直してくれ」

彼の方を全く向こうとしないマヤに、真澄は売店で買ったチョコレートの箱を差し出してきた。




――あたしを連れて行くのは、退屈しのぎになるからですか?・・・速水さん・・・――



そう聞いてみようかと思ったのに・・・言葉にならなかった。



「・・・別に、何も怒ってないですから・・・」


マヤは、抱えている思いをすべて心にしまい込み、ようやく体を正面に向き直した。





2人を乗せた新幹線は複雑な思いを抱えて西へと向かっていく――。















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