ずっと二人で・・・ 3



――速水さんと過ごす時間はどうしてこんなに早いの・・・――


マヤは心の底から思っていた。





大阪までは本当にあっと言う間だった。

途中でグリーン車に乗り込む客は数人程度であり、ほとんど貸切のように広々とした空間で、他愛のない話やら

演技の事を会話しながら時間は過ぎていった。 

もちろん、買ったお菓子は、すべてがマヤのお腹の中。

幸せそうな顔をして頬張り続ける彼女に、真澄は笑顔を絶やすことがなかった。


――明日の帰りも一緒なんだよね――

そう考えると嬉しくてたまらない反面、明日の自分が一体どんな事を考えているのか想像もつかず・・・。


「さあ、降りるぞ」

「・・・はい」

真澄に促されるようにして、マヤは慌てて新幹線を後にした。





新大阪の駅はラッシュの時間帯に重なり、想像以上に混雑していた。

はぐれないように、と心の中で言い訳をしながら、マヤは小さく彼の腕に掴まって歩き、至福の時を過ごす。


――とうとう、着いちゃったんだ・・・大阪――

ずっとドキドキしながら、眠れない夜を過ごしながらようやく到着したというのに、まだ夢かもしれない、なんて思う自分

がいて、本当に嫌になってしまう・・・。


――全部全部、ホントに全部が夢だったらどうしよ――

マヤは、それを確かめるかのように、彼の横顔を何度も見上げていた。





「ダイヤモンドホテルへ頼む」

ほどなくして二人はタクシー乗り場へと到着し、真澄はマヤを先に座席へ乗せ、ゆっくりと隣に腰を下ろした。


先ほどの開放感のある新幹線の車内とは違い、こうして肩が触れ合うようにしてタクシーに乗るのもすごく嬉しい、と

マヤは思う。


――新幹線だって、グリーン車でなければもっと近づいていられたのかな――

悲しいほどささやかな発想が浮かび、マヤは自分に苦笑する。





やがて混雑している駅付近を抜け、タクシーに揺られていると、立派な風貌の建物が目に飛び込んできた。


――あれがダイヤモンドホテル・・・すごい――


ヨーロッパをイメージしたようなオシャレな外観が目をひく。まるで周りを圧倒するかのように美しく聳え立つそのホテル

は、もう目前に迫っていた。


「本当はもっと快適なホテルが大阪にはいくつかあるんだ。 今回は、会食するレストランが近いからここにしたんだ。

気に入ってくれるといいんだが・・・。」

「・・・・・」

耳元でそっと囁いた真澄の言葉に、マヤは戸惑いながら首を傾げる。

無知である自分はホテルの格付けさえも知らないのだから・・・。


それでも、そんな自分でもダイヤモンドホテルという名前を耳にした事はあるわけで、一体、真澄が理想としている

ようなホテルがどんなものなのか、想像すらつかない。


「でもあの・・・とっても素敵なところみたい・・・」

精一杯そう答えると、真澄は安心したような笑顔を見せたので、マヤもホッと息をついた。






「いらっしゃいませ。お待ちしておりました。速水様」


待ち構えていたべルボーイに出迎えられた後、2人は静寂なロビーを抜けフロントへ向かっていた。

質の良い絨毯が敷き詰められ、有名なデザイナーが手がけたと思われるオブジェや絵画がいくつか立ち並んでいるのが

目に入り、マヤはキョロキョロと辺りを見回しながら膝が震えそうになっていた。


――すごい・・・こんな立派なホテル・・・緊張しちゃうよぉ――

真澄と並んで歩くことを考え、自分が持っている中では一番のワンピースを選んできたつもりだったのに・・・それすらも

場違いなように感じてしまう・・・。


「マヤ、こっちだ」

「あ、はい・・・」

フロントで署名を終えた真澄に声をかけられ、マヤはできるだけ落ち着き払った表情をしよう、と意識しながら歩き出す。





「それでは、最上階のスイートルームへご案内します」

「・・・・・・!?」

目の前を行くベルボーイにそう告げられると、マヤはギョッと驚いて目を見開いて息を止めた。


――ス、スイートルーム!!――



いつかテレビ番組か何かで紹介されていた時、自分には一生縁がないものだと思っていた。

今回の旅行だって、無難なツインルームかなあ、とか・・・もしかしたらシングルルームを2つ用意しているかもしれない

などという考えは浮んでいたけれど、スイートなんて・・・。


「あ、あのぉ・・・スイートルームって・・・誰でも宿泊できるんですか・・・?」

ふと浮んだ疑問をボソリと吐き出すと、ベルボーイはにこやかに答えた。


「ええ。特に新婚の方などがお使いになられます」

「・・・・・」

――そ、そうなんだあ・・・知らなかった。 で、でも、新婚って・・・――


そう思いながら顔を赤らめ、慌ててベルボーイから視線を外した時だった・・・。



――わっ・・・転ぶっっ!――

・・・・マヤは はずみでよろけてしまい、もつれた片足が絨毯に引っかかり、前のめりの体勢になってしまった。


「きゃっ」


「危ないっ」


・・・僅かな一瞬で真澄に腕を掴まれたマヤは、彼に思い切り抱きつくような格好になったものの、どうにか転倒するのを

免れていた。


「大丈夫か?」



イラスト:ミナ様


「ご・・・・・ごめんなさいっ・・・」


――うわーーっ!ドジっ!こんな立派なホテルで転ぶところだった。速水さん、呆れてるかも・・・――



動揺しているマヤを尻目に、真澄は平然とエレベーターに乗り込みマヤを促した。


「ほら、また気をつけないと」

「分かってます・・・」

恥ずかしさと、子ども扱いされている悔しさと・・・更にまだ彼の強さがジンジンと腕に残っていて、頭の中を真っ白に

させていく。

――ああ、もうヤダっ――



いつまでも安定しない心・・・・それでもすでにエレベーターの扉は閉まり、ゆっくりと動き出していた。




・・・自分の胸の鼓動がうるさいのが分かる。

最上階に到着するまでの、静寂した重圧感がマヤの呼吸をどんどん苦しくさせていく。



――・・・・あたしの心臓、ほんとにもう壊れちゃいそう――





「それでは、ごゆっくりどうぞ」


ひととおりベルボーイに部屋の案内を受け、改めて部屋を見渡したマヤは、呆然として開いた口がふさがらなかった。


・・・なんという広さと美しさだろうか。

白を基調にしてどこまでも続く長い壁に煌びやかな装飾品。各所には立派な油絵がずらりと並び、パーティーも可能

なほど大きな美しいダイニングテーブル。 革張りの重みのあるソファーにアンティーク調の家具類。

そして極めつけはガラス張りの大窓から望める都会の街・・・。

夜になれば、さぞかし美しい夜景が広がることだろう。


「・・・・・」

どれも素晴らしすぎて、言葉が浮かんでこない。

ふいに、亜弓や真澄の屋敷で世話になった事などを思い浮かべてみたり・・・。


特別な旅行でもないのに、こういう部屋を平然と用意できる真澄と自分の立場の違いは計り知れないのだと実感する。


やっぱり自分は長い夢を見ていて、目が覚めたらいつもの狭いアパートの布団の中なのではないだろうか・・・。




「気に入ったかな」

真澄に声をかけられ、マヤは我に返った様にビクリと肩を動かした。


「あの・・・こんなにすごいお部屋・・・びっくりして・・・」


「そうか。それは良かった。俺が戻るまでゆっくりしているといい」

真澄は腕時計を確認すると、大きな鏡の前でネクタイを締めなおし、早口で言葉を並べた。


「夕食を一緒に取れなくてすまない。このホテルは気軽に入れるコーヒーショップがフロント近くにある。伝票に

部屋番号とサインをしておけば代金は払わなくていいから・・・ルームサービスも同じだ。分かるか? いくつかの

ショップも入っているから欲しいものもそうして買えばいい」


ポンポンと頭を軽く叩かれ、マヤは答えた。

「えっと・・・あたし・・・適当に・・・どこかコンビニでお買い物でもするし。大丈夫です・・・」


「気にすることはないぞ」


「そうじゃなくて・・・そのほうが落ち着くと思うから・・・」


真澄は怪訝そうな顔をしていたものの、その言葉に納得したように言葉を出した。

「そうか・・・分かった。部屋を出るときは必ずルームキーを忘れるなよ。キーは、そのカードだ。さっきベルボーイ

も説明していたが、2枚あるから一枚は俺が持っていく」


「はい」


「なるべく早く戻れるようにするよ。できれば・・・今夜中に・・・」

真澄がそう言いながら視線を合わせてきたのでマヤはドキンと胸を突かれ、何も言えずにサッと視線をかわしていた。

――ヤダ・・・なに避けてんの、あたし――

「・・・・」



すると真澄は、

「・・・長引いたら日付が変わるかもしれない。君も疲れているだろうから、遅くなったら先に休んでいるんだな」

と、言葉を結んだ。


「・・・・」

マヤは何も言えず、コクリと小さく頷く。 

それだけで精一杯だった。


―― ”速水さんが帰ってくるまで何時でも待ってます”――

そう言えたらよかった。

でも、待っていられると苦痛に思うのかもしれない・・・。



「じゃあ、言って来る」

マヤがつまらない事をウジウジと悩んでいる間に、真澄はブリーフケースを手にし、部屋を出る準備を終えていた。


こんな風に部屋から出て行く姿を見送るなんて、想像もしたことがなくて、照れくさいような妙な気持ちに包まれていく。



「いってらっしゃい」


結局、マヤはそれだけ言うと、彼の後姿を目に焼き付ける。


パタン・・・・・



――行っちゃった――

ドアが閉められると、マヤは取り残されたような寂しさを胸に抱え、小さく唇を噛んだ。





――どうしようかなぁ――



革張りのソファーに ちょこんと座りながら、もう何度も壁の模様やシャンデリアを意味もなく観察していた。

普段、こんな風に空いてしまった時間をどんな風にやり過ごしていたのかも思い出せない。 

テレビをつければ、それなりに暇つぶしになりそうな映画やドラマも放映されていたが、どれもまともに耳に入ってこな

かった。

これほど心が浮付いているなんて自分でも信じられない・・・。


――まだ夕方の6時かぁ――

先ほど出て行ったばかりの真澄に次に会えるまで、少なくともあと数時間もあるなんて。

心の中に、まるで大きな穴があいてしまったかのような寂しさが広がっていく。東京から何時間も一緒にいたのに。



――ジュースでも飲もうかな――

気を紛らわすように立ち上がったマヤは、部屋をグルリと見回し・・・無意識に・・・いや、もしかしたら意図的にか、寝室

の方面に目をやっていた。


「・・・・」

先ほど、ベルボーイの男の人に各部屋の説明もしてもらったのだが、気恥ずかしくてまともに見ることができなかった

部屋だ。




「うわぁ・・・すごい贅沢」


ソロソロと自然に足を向かわせ部屋を覗き込んだマヤは思わず声をあげていた。



小柄なマヤには もったいないほどのゆったりサイズのベットが2つ並んでいる。


そっと近づいて一つのベットに腰を下ろし、ゴロリと横になってみた。 

ふかふかとして気持ちが良い。

広い天井も開放感でいっぱいだ。



――速水さんが横になっても充分に広そうだよね・・・・・・これだけ広ければ2人でも・・・――

そんな発想が無意識に浮び、マヤは飛ぶようにして起き上がった。


――ヤダヤダヤダヤダッ!!何考えてんのっもうっ――

周りに誰もいないというのに、赤らめた頬を両手で覆い隠していた。


だいたい、彼が自分のような子供を相手にどうこうしようなんて発想があるのかさえも分からないではないか。

いつも通りに”子供は早く寝るんだな”なんて、バカにするに決まっている。


――でも・・・もしかしたら・・・――

マヤの脳裏に、社務所で彼が一瞬見せた、怖いような顔つきが浮かび上がる。


――”俺も男だからな。責任が持てなくなるかもしれんぞ”――

そう言って強く抱きしめて、そして・・・・・。


マヤは、自分自身を両手で抱え込むようにしながら、再びベットに身を倒した。


こんな状況で、彼が帰って来てからどんな風に何を話したらいいのだろう・・・。

どんな顔して待ってるべきなんだろう・・・。

早く会いたいのに、時間が経つのが怖くなる・・・。

やりきれないもどかしさが充満していくのを感じていく・・・。


――ああーーーもうっ!どうしちゃったの、あたし!!――

一人で部屋にいればいるほど、余計な事に悩まされてしまいそう・・・。




「買い物でも行こうかな・・・」

いつものように独り言を叫ぶと、マヤは勢い良くベッドサイドに降り立っていた。

こんな所でじっとしていたら、彼が帰ってくるまでに気が狂ってしまいそうな気がする。


勢いで飛び出そうとするマヤの脳裏に、ふっと真澄の言葉が思い浮かんだ。


『ルームキーを忘れるなよ』


――あ、そうだった――


「分かってるもん」

マヤは声を出しながら小銭や携帯と一緒にコートのポケットにそれを収納する。


「よーし・・・ちょっと探検も兼ねて行こうっと」


できるだけ彼のことは忘れて、自分の事だけを考えて・・・・。



マヤは悶々とした気持ちを振り切るように深呼吸をして部屋を後にした。


――結構、人が多い時間だったかも――


キョロキョロと不安定な足取りをしながら、マヤはホテルを抜け出し、気の向くままに足を進めていった。

学校帰りの学生の群れや、足早に急ぐスーツ姿のサラリーマンが行き交う歩道。 これほどの人がいるというのに、

知り合いに合う可能性が全くないのだという小さな不安が付きまとう。


しかし、見知らぬ街と言っても、都会の大阪は思っていたよりも違和感がないものだった。

ただ・・・・道行く先の看板に「大阪」などという表示を見つけると、自分が住んでいる街とは違うのだなあと実感する。

それだけの事だ・・・。

考えようによっては、次にいつ来れるのか分からないという場所をうろつくのは、ワクワクとして楽しいものかもしれない。



マヤは、通りがかりに目に付いたお店を覗いては、『ああ、こういうの速水さん好きかな』とか、素敵なレストランを

見つけては『速水さんと一緒に食べたいなあ』などど思い浮かべて歩いていく。


そして、次に見つけた時計屋のショーウインドーを覗き込みながら無意識に彼に似合いそうなものを探し、ふと鏡に

映った自分の姿を見てハッとする。


――うわぁ・・・あたし、こんなニヤニヤした顔して歩いてたんだっ――

「・・・・・」


・・・なんだか自分に呆れて溜息をついてしまった・・・。

――はぁぁぁぁ・・・・――


自分だけの時間を楽しむつもりでいても、結局、心の中は彼でいっぱいなんだと自覚する・・・。

いつからこんな風に変わってしまったのだろう。 

どこにいても、何をしていても、どうして彼と結びつけてしまうのだろう。

以前の自分だけのココロはどこに行ってしまったんだろう・・・・・。


――もうあたし、重症だぁ――

世の中の恋人同士は、みんなこんな風なのだろうか・・・・ワカラナイ・・・。





そうしてトボトボと歩きながら ふと空を見上げたマヤは、なんとなく雲行きが怪しいという事に気付き始めていた。

暗さのせいでよく分からないけれど、雨が降りそうな気配があるような・・・。

いざとなればコンビニで傘を買えばよいのだけれど、真澄が傘を持っていないのを思い出し、気がかりに思う。


――ああ、でも確か、この近くにあるお店って言ってたし。大丈夫よね――

そう思いながら足を進めていったものの、コンビニらしき店が見つからず、マヤは周りを大きく見渡していた。

こんなことならフロントで尋ねてくればよかったのかもしれない。




――あ、あった!――

ようやくコンビニの看板を見つけた。 しかし・・・・それは大通りの反対側。


――うわあ・・・歩くとけっこうあるかな。まあいいか・・・時間もあるし――

そんな呑気なことを考えていると・・・

・・・ピチャンッ・・・・

冷たい風を感じる頬に、小さな雨粒がかかった。


「やだな、急がなくちゃ」

東京から持ってきた大荷物の中には折りたたみ傘もあるのに。 

マヤは自分の要領の悪さに呆れながら横断歩道を目指す。



そしてその時、目指している大通りの反対側の歩道に、見覚えのあるトレンチコート姿の男の人が目に入ってきた。


――あ・・・れ・・・速水・・・さん?――

マヤは視界の悪い中、できるだけ集中してそこに視線を向けた。


――やっぱり・・・速水さん・・・だ――

彼は全くこちらには気付いていない。 見知らぬ土地で、出かけてしまった彼の姿を思いがけず発見できて、マヤの

胸は条件反射でドキドキと高鳴る。


「あれっ・・・」

思わず声を出した。 彼の隣には、見たことがない大人の女性の姿があったのだ。 綺麗な人・・・・。

マヤは、やはり人違いではないかと更に目を凝らす。 しかしそれは間違いなく彼であり、何かプレゼントのような

物と紫の薔薇を抱えているのがはっきりと目に入った。


――う・・・そ・・・・・――


女性が手持ちの傘を開き、真澄に差し出すのが見えた。

真澄は差し出された傘を手にし、2人で雨を凌ぎ始めていた。彼の手から紫の薔薇とプレゼントが彼女に手渡される。


2人がどんな会話をしているのかは分からない。

それでも、微笑みあいながら楽しげにしている姿だけはハッキリと確認できた。


――”紫の薔薇は、一生、マヤにしか贈らないよ”――

あのクリスマスの日にそう誓った彼の言葉が、何度も何度もマヤの脳裏に浮かび上がる。


それなのに・・・・・。



やがて女性がタイミングよくタクシーを捕まえた。 傘が閉じられ、2人揃って後部座席に乗り込む姿が目に映る。


――行ってしまう!――

マヤは無意識に走り出そうとしていたが、大通りの歩行者信号が同時に赤になり、タクシーは容赦なく進んでいく。


「速水さん!」

誰にも聞こえないほど弱々しい声でマヤは叫んでいた。


小さなマヤの体に無数の雨粒が叩きつけられていく。


――速水さん!――


マヤはタクシーの消えた方向に目を奪われたまま立ちつくしていた。















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